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「挫折体験は必要だ」と思うこの頃

 やや勢いに任せて本記事を投稿する。
 世の中では、「挫折」がしばしば話題として取り上げられるだろう。できれば経験したくないと思う人もいるかと思われる。本記事投稿者もできれば味わいたくないと考える。しかしながら、確かに挫折はあまり経験したくないのだが、それでも1度は経験した方がいいと感じるようになった。以下にいくつかの事項を記載しようと思う。
 なお、(他の記事にも当てはまることだが)記載内容は本記事投稿者の体験に基づいているため、私的な話がいくつか含まれていることをご容赦いただきたい。


そもそも「挫折」とは

 「挫折」と検索すると、「仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと」(goo辞書)、「途中でダメになること」(TRANS.Biz)と出てくる。本記事投稿者もこれらの意味合いで使用するが、ことの大きさは特に問わないことにする(「アルバイトでのささいな失敗」「小テストでのケアレスミス」などの比較的小さなものから、「受験や就活などの人生に影響をもたらすような大きなものでの失敗」といった大きなものまで含む)。いずれも「挫折」というよりかは「失敗」というニュアンスの方が強いかもしれない。本記事で「挫折」がしっくりこなかった場合は、「挫折」を「失敗」に置き換えると分かりやすいだろう。

なぜ挫折が必要か

今後のため

 端的にまとめればこれに尽きるように感じる。
 挫折体験により、「次はこうならないようにしよう!」と心機一転し、次のステップへ行くことができるように思われる。
 挫折体験によっては、後悔の念などが長時間漂い、心の中での処理ができず、次に進むことができないかもしれない。しかしながら、その心の中での処理が大事であるように本記事投稿者には感じられる。なぜならば、時間をかけて心の中の処理を行うことで、「自分はなぜこんなにも悲しいのか?悔しいのか?」「自分は何を大事にしているのか?」「自分は今後どうしたいのか?」など、自分についての理解が大きく進むからである

対人関係などのため

 本記事投稿者は個人的に、挫折体験もなく、悠々と生活している人物を見るとどうも腹が立ってしまう。少し話が変わるかもしれないが、成功体験しかしていない人は、どうもテング(「傲慢」に近い)になっている人がいるように感じる。「あなたに謙遜さというものはあるのか?」というものさえ感じてしまうし、どうも円滑な対人関係が結べない。特に印象に残っているのが塾バイト先の1つ下の方である。詳細は以下の記事のエピソードを参照していただきたい。おそらく何となく伝わると思われる。


 挫折体験はきっと人柄に大きな影響を与えると本記事投稿者は考える。なぜならば、挫折という心的な痛みを伴う経験が、今後の行動を改めたり、相手の心情をくみ取ったりすることへ通じると思われるからである。

挫折体験には必ず意味がある

 「挫折」「失敗」「不運(事故により、不治の怪我を負う)(詐欺に遭い、大金をとられる)など」、いずれにせよ、それらにはそうなった意味があると本記事投稿者は考える。
 ここで、本記事投稿者の話を1つ交える。本記事投稿者の挫折とも言える体験は大学受験である(以下の記事の「屈辱体験」の欄にも示してある)。

 端的に申し上げれば、本記事投稿者は志望大学に落ち、受かった滑り止めの大学に入った。初めは別に不快な気持ちではなかったものの、とある人物との邂逅から「こんなはずではなかった!」という、怒りなどの複雑な感情に悩まされた、という話である。どうも納得のいくことではなかったので、「この大学に入るのではなかった…」などと考え、それは仮面浪人を真面目に考えた程であった。
 入学後しばらくはこの不快な感情に悩まされながら生活していたのであるが、それと同時に私の頭の中では色々な考えが浮かんでいた。「自分はどうしてこんなにも悔しいのか→アイツに会ったから」「どうして『アイツに会った』ということが悔しいのか→かつては学力が圧倒的に違って自分が勝ってのに、同じ大学で会ったということは、自分の学力のなさを証明することになるから」という具合である。
 少し時間がたった時の話になるが、自分は機会があり、小中学生とのかかわりを持つことができ、そこで色々な体験をした。そこでの子どもたちの人柄に私は感動したのは上述の参照記事のとおりである。もう1つ加えるなら、本記事投稿者はそこで、小中高の勉強内容にこだわっている自分が恥ずかしくなったのだ。小中高の勉強内容は日常生活に活かしづらい側面がいくらか存在するだろう。しかし、なぜ自分はそれらにこだわってよくわからない優越感に浸っていたのか、わけが分からなくなったのだ。「勉強ができる」「学歴がある」よりかは、「人にやさしくできる」「人の痛みが分かる」という要素の方が絶対大事である。私はそのように感じた。それに加え、「もし自分が志望校に合格していたら、このような気づきは得られなかった。もっとテングになっていただろう」と思ったのだ。

 さて、以上の体験談も踏まえ、本記事投稿者は再度「挫折体験には意味がある」ということを主張したい。何か自分には足りないものがあって、そういう状況になったのである。挫折体験の中から意味を見出すことは、きっと今後の人生に役に立つ。本記事投稿者はそのように考える。


(どうもまとまりがなく、物足りないため、更新すると思います)

最終更新:2023年2月3日

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