to HEROesで全曲フルサイズに感じる意義
2024.8.20追記
音楽好きでなければ、ライブもフェスも行きます!っていうタイプではなく、好きだな、と思った音楽を家や道中で聴く人の独り言。
to HEROesを観て思ったこと
to HEROesの配信を観たときにまず素敵だな、と思ったのがフルで楽曲を一つ一つ聴かせることだった。
なんだろ、楽曲というものをメインとしたアーティストへの移行を見せてもらったような気分。
アイドルファンの方にはめちゃくちゃ失礼なことを書くと、かつての彼らの古巣では曲は短く多くやるイメージしかなくて。
言い方がすごく悪いけれど自分たちがやりたい曲をやる、ではなく。
ドラマ出ます!主題歌です!のパッケージ感と流れ作業感が強く、自分たちがやりたいこと。曲を通して伝えたいことより、タイアップ先が常にメインにどうしてもなってしまう。
すんごい口悪く言えばファンや聴き手より、常に大人のご機嫌をうかがった曲に映ってしまう印象で。(いや、主題歌ってすごいことなんですけどね)
本人たちのやりたいこと、本音や意思や思いは二の次、みたいな。
ついでに書いちゃうと、コンサートも曲より、本人たちに重きが置かれているような・・・。(アイドルってそういうものなのかな?)
だからこそフルサイズを全部きちんと聞けたto HEROesは、曲にきちんと比重が置いてあるように感じて、すごく良かった。
米津玄師さんの言葉で納得
米津さんがインライ?で❝タイアップに対して悲観的になるのはわかる。
とおっしゃっていたそうで、その理由が
「音楽を聴く時は、あなたと私の2人だけで話がしたいじゃないですか。
その会話に第三者が介入してくるっていうのは当然ながら不快に感じる人もいるわけで」
とおっしゃられていて、マジでこれ!と強く思ったのです。
私は相手がどんな考えをもって、どんな道筋を立てて楽曲に落とし込んだかとかを聴いたり知るのが大好きなので、タイアップばかりの曲、そのアーティストに自分が飽きる理由が明確にわかった言葉でした。
制作者でもあるからこそ、フルサイズで届ける意味
やっぱり物事って起から結の流れというものがあるわけで。
基本的にそれは曲も同じであって、だからこそフルサイズを届けることに意味があるんじゃね?と勝手ながら思うわけです。
特に今回の出演者は、今までは与えられ既存のものを表現するということの方が、圧倒的に多かったと思うから。
そうではない、自分が伝えたい、表現したいものを自分たちで形にして自分たちの責任で表現して届ける。
表現者としてだけではなく制作者の立場としても、今回のフルサイズって意味があったんじゃないかなぁと。
(各アーティスト、手持ちの楽曲数が少ないこともあったのかもしれないけれど)
やりたいことができている、その顔がいい
私はがっつり古巣を通ってきた人ではないので、正直みなさんのお人柄ってほぼ知らないんですね。
そんな私が印象的だったのが、みなさんの笑顔。
勝手ながら、ああ、やりたいこと、できているんだろうなぁ。楽しいし充実してるんだろうなぁ。って感じる笑顔やパフォーマンス。
やっぱ人間どれだけ取り繕っても、本気の充実感に勝る表情や言動ってない。
だからこそ、彼らを詳しくは知らない私でもそう感じるってすごいことじゃね?と思うのです。
楽曲を愛するということ
繰り返しになるけど楽曲って、最初から最後までで一つなわけで。
ながーく薄ーく応援しているももクロというアイドルは、必ずライブでの楽曲はフルサイズなんです。
だから今回△バージョンだったから、○○の部分が聴けなかった!とかが、ない。安心安定に全部を観て聴けるパフォーマンス。
考え方次第なんだろうけど、それって楽曲にもファンにも寄り添ってるよなぁ、ともとれるわけで。
そういうパフォーマンスを観てるから、余計に今回のライブが全曲フルでやることに、きちんと意義を持ってやってくれているように感じた。
楽曲を愛するって、まるっと全部を愛するということ。
だからフルサイズって意義があってすごくね?
っていうライブだった。