1度目の離婚は調停でした
「あのさ、離婚したい 」元夫1(最初の結婚相手)にしてみたら、突然すぎたことでしょう。
「は?何言ってんの?」半笑いしながら軽くスルーされた、はじめの一歩でした。
ヒステリーすぎる姑。
それゆえ、妻と子よりも母親の顔色を伺うことが最優先の超マザコン夫。
ヒステリーを起こして暴言吐きまくりの女房を野放しにし、言いなりの舅。
当時から20年以上経った今、自分を省みる視点で振り返ってみても、 あの家族と縁を切ることができて本当によかった、という思いだけです。
それでも離婚なんて自分には無理だと思っていました。
実家の両親、特に父親が許してくれなかったし、 自分の力だけで息子2人を育てていく自信もなかったです。
だから、ひたすら我慢するしかないな…って、子供たちの存在だけがわたしの生きる理由でした。
書いたら本ができ上がるほど、わるい意味で驚きのエピソードてんこ盛りなのでここでは割愛しますが。
離婚を決めた理由は、長男にまで辛い思いをさせていると分かったことでした。
何度か離婚について話がしたいと伝えましたが応じてもらえなかったので、
・実家の両親に離婚を考えていることを話す
・仕事に就く
・調停について家裁へ相談に行く
などを密かに進めていきました。
実家の父が離婚を反対する理由は、娘や孫たちの幸せを想ってではなく、 自分の体面を保つためだと感じたので、説得には時間がかかると判断し、 実家に頼らず自分で何とかしようと思いました。
わたしは一人っ子なので、相談したり頼れる兄弟姉妹はいませんでした。
調停での離婚経験がある友達もいなかったので、理解してくれる存在がなく、とても心細かったです。
家庭では、息子たちとご飯を食べたりおしゃべりしたり…3人だけの束の間が、唯一の心が穏やかになれる時間でした。
そんなある日、わたしからの離婚話に情緒不安定になっていったのか、元夫1が息子たちに対して異常な行動をしました。
朝食のとき、牛乳が入ったコップをわざと逆さにしてテーブルにぶちまけたり、 次男がブロックを積み上げて遊んでいたら、それをわざと蹴って壊したり。
そういうことをニヤニヤしながら無言でやるので、異様すぎて怖かったです。
そして別の日ついに、パパあそぼ〜と寄っていった長男に肘てつをして前歯を折ったのです。
身の危険を感じて、口の周りを血で真っ赤にして泣く長男と、それを見てショックで固まっている次男の手を取って、着の身着のまま家を飛び出し、とりあえず実家に逃げました。
それからはもう元夫1との家に戻ることはありませんでした。
さすがに実家の両親も、逃げてきた孫たちと娘に態度が和らぎました。
でも離婚後の親権を得ることを視野に入れていたので、 実家の世話になることなく3人での暮らしを始めなくては!と思っていました。
(実際には、実家の親など頼れる身内がいるのなら、その方が親権は得やすいです。 詳しくは別の記事で。 )
元夫1の留守を見計らって、何回かに分けて必要最低限の荷物を取りに行きました。
それと並行して、息子たちと3人で暮らすアパート探しや、調停の申し立てをしました。
あのときの自分のパワーというか行動力はすごかったですね、新しい仕事にも慣れる前でしたし。
離婚が成立したあとに、安心して落ち着いて引っ越しを完了させました。
動き出す前は、経済的な不安などありましたが、 離婚届を出したあの瞬間の解放感やこれからの期待感は、言葉で表せないほどです✨
何より、3人での暮らしになってから、息子たちがのびのびと楽しそうで。
その笑顔を見ては、わたしのしたことは間違ってなかったと、自分を安心させていました。
毎晩のように元義母の「〇〇さんちょっと来て!」とわたしを呼ぶ幻聴にビクッとなって夜中に目が覚めていた生活から、ぐっすり眠れる日々がまた訪れたこと。
それを自分の決断と行動で掴んだことが、わたしの誇りの一つとなりました。
もし今あなたが悩んでいるのなら、わたしが支えになりたいです。
あなたは一人じゃないよ♡