受け手がどう思うかが全て
先日ある鯖のXマッチ通話で苦言を呈された。
賑やかに会話しながら潜るチャンネルで私含む複数が暴言を吐いたと訴えた方がいたのだそうだ。
私は管理者から連絡をいただいて、指摘をくださった方に不快な思いをさせて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それと共にどこが不適切な発言だったのか自覚が無く、困り果ててしまった。
管理者に具体的な発言の指摘があれば教えて欲しいとお願いしたのだが、結局どの言葉がNGだったのかまではわからなかった。
私は下手くそ過ぎて他人から罵倒されまくって来たので、大抵のことはスルー出来るようになってしまった。
内心ではいつか見てろよと思いつつも『そうですね。私が至らなくてごめんなさい』とその場をやり過ごしてきたので、自分が酷いことを言われてもあまり怒りが湧かない。
自分を傷つけるような言葉に対してすっかり鈍感になってしまった。
それでも自分の発言が誰かを傷つけているかどうかには常に敏感でいたいと猛省した。
同じ言葉でも人によって受け止め方が異なる。
だから、より敏感な人に合わせないとこうした問題が起こる。
こうして私は誰かに嫌な思いをさせないために賑やかXマッチ通話には二度と参加しないと決めた。
1人で黙々とやるか、どうしても吐き出したい時は適切な鯖とチャンネルを選んで自衛することにした。
それがお互いが快適にゲームを楽しめる道だと思う。
つまり、受け手がどう思うかが全てなのだ。
これは最近話題になっていた決勝戦ラストのウルショが煽りか否かも同じ性質の問題だと思う。
ただ、受け手側にもひとつだけ注意が必要だと感じている。
自分の線引きを大事にするのは当然なのだが、あれもこれも全部ダメとなれば誰とも一緒に遊べなくなる可能性がある。
敏感な人こそ感性の近いフレンドとのご縁を大切にして欲しいと思う。
違う価値観を知ることは大切で有意義だ。
時にはちょっと苦い思いをしながら、今日も皆が楽しめる道を模索する。