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壊れていた私が私を取り戻すヒントは、誰よりも身近な人がくれた言葉にあった

今日の私は、ちゃんと“私という人間”の顔になっているんだろうか。ふと心配になり、目の前の人の顔色を伺ってしまう。

と言うのも、ここ数ヶ月間の私は、表情と心が一致していない瞬間が多かったからだ。

笑いたいときに笑顔になれない。悲しい話をするときに悲しい顔になれない。
“人間”ではない、何もかもちぐはぐな私がそこには居た。

でも、せめて仕事の間は、利用者さんのためにも笑顔でいないとなあ。
毎朝鏡の前で鼓舞しながら、素顔を見ないふりをして、わざとらしく笑顔の仮面を貼り付けた。

演技するのは、仕事の間だけ。
束の間の一瞬だ。耐えられる。と思っていたのだけど、無理だった。私自身が壊れてしまうまで、半年も持たなかった。

そんな私は新卒の介護職だが、8月末で今の会社を退職する。
気づけば、残りの勤務日数もあと20日も満たない。体調は何とか安定している。

退職したい旨を私が伝えたとき。色んな大人から、色んな言葉を受け取った。

だけど、実際にはどれが正しいとか、どれが間違っているとか、私には分からない。

私が受け取った意見は、それぞれ異なる年齢や立場の人が言っているし、私の考えではなく、「私以外の他の誰かが、各々の経験や境遇をもとに言っている」ことだからだ。
(言われて正直「本当にそうなの??」と言い返したくなる言葉もあったけれど、私に反論する勇気はなかった)

どの意見も一概に正しいとは言えない(どれだけ私のことを理解しているかは人によって異なるにしても)。だが不思議なことに、他でもない私のために言ってくれている、ってことは分かるから、何となく全部正しいんじゃない?と思ってしまうのだ。

健康が第一だ。生きること自体が何よりも大事なんだって。だから辞める決断をしたんだと私は思っているはずなのに。

今の私は正直、周りの意見に踊らされている。私の軸はどこにいってしまったの??って悩んでいる。

周りの意見を聞いて、視野を広げるのはもちろん大事なことだ。

でも、全ての言葉が正解じゃない世の中で生きるのってマジで大変すぎる。

環境のせいにしても仕方のないことだけど、X(旧Twitter)、instagram、note、Youtube、その他諸々のSNSが出てきたことで、誰もが自分の意見を(倫理的な制限はあるにしても、以前と比較すれば)簡単に言えるようになった。

だけどそうなると、誰かが不特定多数に向けて発信している意見が、あたかも目の前の私だけに言われているような感覚になることがある。そんな風にしてSNSの言葉に染まると、何気ない言葉すらもノイズになって、私の心の声が聞こえなくなってしまう瞬間もある。


本当の私が、誰かのノイズによって埋もれていく。
本当の私が、気づかないうちに誰かによって踊らされて、壊されていく。


悩んでも仕方がない。壊れないように傷つくしかない。傷ついて、後悔して、ちょっとずつ経験値にしていくしかないんだ。


でも、私が私として生きるためには、本当に傷つくしか、後悔するしか、方法がないの??


怖いな。傷つくのは。自分が壊れてしまうのももちろん怖いけど、傷つくのもやっぱり怖い。へっぴり腰で臆病な私が顔を出す。

でも経験値が足りないうちは、私を取り囲むノイズに抗うすべはないのかな。手も足も出ないんだろうか。

そう思い詰めていたとき。
久しぶりに実家に帰ってきた社会人4年目の姉から、こんな言葉をかけられた。

「ぶっちゃけ私はいつでも仕事を辞められるけど、誰かに言われたから辞める、とか、辞めない、って判断はしたくない。
影響力のある人の意見を自分の意見にするのやめな。まずは環境を整えて、純粋にあんたが好きなものに向き合ってみなよ」

そう言い切った姉に転職の経験はない。
だけど、なぜかこのとき、姉の口から出た全ての言葉が、未熟な私に重く響いた。

時には頼りない一面もある姉だけど、私の側に長い間いてくれたからこそ、私のために、言うべき言葉を言うべきときにちゃんと言ってくれた。

なんてカッコいいんだろう。さすが私だけのお姉ちゃんだと思う。泣きそうになった。

小さなことから変えていきたい。行動とか、仕草とか、選ぶものとか、環境とか。

Xのおすすめ欄を見るのをやめた。スマホの電源を切る時間を長くした。普段使う言葉にポジティブを取り入れてみた。良いと思える癖をつけるっていうのかな。

心に湧いた気持ちを、消えないうちに書き留めておく。今書いているnoteもたぶん、長い目で見れば役に立つのかもしれない。

あと昨日は、いつものシャンプーではなく、お試し用の少し高いシャンプーを使ってみた。

するとどうだろう。ヘアオイルなしでも、簡単に髪が纏まって感激した。

今のシャンプーだけでは髪が広がる。だから乾かす前にオイルを塗っていたけれど、ベタベタと毎日オイルを塗るのが手間で、本当は嫌だった。今まで当たり前だと思っていたから、それすらも気が付かなかったのかもしれないな。

余計なノイズに惑わされず、私の心の感覚や「好き」を取り戻していくためには、目の前の選択ひとつひとつから丁寧に向き合って、一日一日を大事に過ごすべきなのかもしれない。それがひいては、私を取り巻く環境を変えることになるだろうから。

壊れた私に言葉をかけてくれた人。姉も含め、全ての人に今もお世話になっているし、感謝している。ノイズも全て悪いわけではない。

流されて、傷ついて、打ちのめされて、冗談抜きで笑えないなんて日もこれから沢山あるだろう。

でも、少しでも希望を持ちたい。私が私を自力で取り戻すために。

明日の私は笑えるかな。楽しく過ごせるかな。

気にするのは極論、それだけでもいいのかもしれないです。

昨日よりも笑えていたら、楽しめていたら。たぶん、大丈夫だから。きっと。