おすすめ欄を見るのをやめてみたら、私だけの幸せの形が見えたかも
↑このnoteを書いて以降、私はX(旧Twitter)のおすすめ欄を見るのをやめていました。
何だかんだ、今もほとんど見ていません。本当に一瞬だけスクロールするくらい。
それ以外は、完全に閉じた状態をキープ。
するとどうなったの??ってことなんですけど。
驚くほど自分の内側に意識が向くようになりました。
これはXのおすすめ欄自体が、必ずしも悪いって訳ではないです。
ただ、終わりがないので、一心にスクロールし続けていると、あっという間に1時間も経ってしまうんです。
見ている間は刺激的で面白いなあと思うんですけど、やっぱり無意識のうちに、画面上にひしめくあらゆるノイズに、私自身が踊らされているような感覚がありました。
うかうかしていると、自分の意識の中にまでノイズが潜り込んでしまう。何事ものめり込みすぎると怖いですね。
だから見るのをやめて初めて、私ってこんなにSNSに影響されていたんだって、身を持って知ったんです。
おすすめ欄を見る頻度が減ると、X自体をあまり見なくなっていきます。そうなると、必然的に目線が上に向くようになっていきました。
あ、空が綺麗だなあ。とか、今まですぐ近くにあったのに、気が付かなかったもの。自然の移ろいだったり、頬を撫でる空気の冷たさだったり、宍道湖で見た夕陽の、儚い煌めきだったり。
そういったものに愛おしさや温もりを感じるようになったんです。
あ、これなのかもな。私の幸せって。
少しずつ、何となくですが、本来の私らしい感覚が戻ってきたのかもしれません。
お金で買えないもの。小さなこと。近くにあるもの。そういうのだって、幸せに繋がるんですよね。
SNSには、色んな人が発信する「幸せの形」が転がっています。めっちゃキラキラしてますよね。思わず目移りするくらい。
そんな投稿を見てるだけで、満足した気分になれるんだと思います。ネガティブな投稿って、そもそも見る気がしないですし。
だけど、キラキラしているから、どうしても目立ってしまう。自分の内側の微かな声が、目立った幸せに埋もれてしまうのかもしれません。
本当の幸せって、自分だけが心からときめくものなんじゃないでしょうか。
そんなことを考えながら、今日、ふと思い浮かんだこと。
紅葉を見に行きたいな。
私のnoteを一回でも、一人でも見てくださる方がいるだけで、とてもとてもありがたいな。