上州武尊スカイビュートレイル130K    救助活動記録

ちょうど1週間前、僕は今までのトレラン人生の中で(と言ってもたかだか2年だが)、最も大きく心が揺さぶられる出来事の真っ只中にいた。

そんな自分のために、そして山や自然に身を置く機会のある一人でも多くの人のために、記憶が薄れないうちに書き留めておきます。

記憶がフレッシュなうちに、なるべく多くの人に今回のこと知ってもらいたいと思い、つらつらと書き続けた結果、文才の無い駄文で超長文になってしまいましたが、ご容赦願います。


今年は6月に「奧信濃100」で、トレランで初の100キロレースを完走していた。

来年はいよいよ国内最大のトレラン大会「FUJI100(100マイル=160キロ)」に出たいので、100キロを超す長距離レースにチャレンジしておこうと、「上州武尊スカイビュートレイル130K」にエントリーしていた。

スタート直前の荷物預けの体育館で、知ってる顔が見えた。シャルマさんだ。

彼との出会いは、今年4月の「チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(118キロ)」。無事完走して体育館で着替えていると、流暢な日本語で「すいませんが、タオルを貸して頂けませんか?」と話しかけてきた。タオルや着替えを持っていなかったらしく、ガタガタ震えている。あわててタオルを貸して、医務室に連れて行き体を温める。そうこうしてるうちに、最終のシャトルバスが出てしまったので、僕の車で彼の宿まで送り届けた。その車中でいろいろ話し、二人とも次は「奥信濃100」にエントリーしていることを知り、健闘を誓い合って別れた。

そういえば、その前年の富士五湖ウルトラマラソンでも同じようなことがあった。


やはり完走後の体育館で、足がつりまくって動けなくなっている若者がいたので、僕の車で送ろうと準備をしていたら、彼が全身ガタガタ震え始めたので車椅子で医務室へ。ストーブがついている部屋でエマージェンシーシートにくるまれて震えがおさまるのを待っていた。その間に医療スタッフが僕に、彼の名前や宿泊場所などを聞いてきたが、いや知らないよ、ただの通りすがりの者なので。そう答えると、「あぁそうでしたか! あとはこちらで対応しますので、もう大丈夫です、本当にありがとうございました」とお礼を言われ、少し彼が心配ではあったがその場を離れた。

ふとスマホを見ると、一緒に走っていた仲間達から「おーい、さんちゃん、どこー?」「どうした?大丈夫?」などというメッセージがたくさん来ていたので、手助けをした後のすがすがしい気持ちで仲間の待つ宿に向かった。

今までレース後は足が痛かったり攣りまくったりと、自分のことだけで精一杯だったけど、少し余裕が出てきたのか、困っている人がいたら自分で動いて手助けできるようになったことに、自分が完走することに加えてちょっとした喜びを感じていた。


前置きが長くなりすぎた。
文才の無い凡人ライターなのでご勘弁を。
さて、ようやく上州武尊スカイビュートレイルのお話。

2024年9月22日朝4時、130Kの部がスタートを切った。

滝汗クラブ名誉会員の僕にとって、小雨はありがたい。
ややグダグダだったスタートの号砲と同時に、シャルマさんと「頑張ろう!」と声を掛け合い、手に持っていたヘッデンを頭に装着しようとしたら、バンドがゆるゆる。もたもたと調整してるうちにシャルマさんはスーッと前方へ。はやっ!

この時、9/22(日)04:00

剣ヶ峰に向かう序盤の登りで、レジェンド望月将悟さんが周りのランナー(徒歩ラー)を颯爽と抜かしていく。走ってるわけではないが、明らかに周りとはペースが違う。
そんな百戦錬磨の望月さんとは違い、僕は初の130キロ、どんな結末が待っているんだろう?明日の今頃はどこでどんな気持ちでいるんだろう?と、ドキドキワクワクしながら走り(歩き)続ける。
ふと周りの選手を見渡すと、ポール使用率がものすごく高い。確実に8割以上はいたんじゃないか。
剣ヶ峰手前の稜線は風雨が強かったが、そこまでの登りで汗だくになっていた僕にとってはとても心地よく感じられた。さすが滝汗クラブ。両手を広げて風を全身で感じながら天を仰ぐ。
これが噂のスカイビューか。
真っ白。。。

剣ヶ峰のピークで大勢のランナーが一斉に立ち止まりポールを畳み始める。その数、20〜30人くらいか。絶景も見えないしポールも無いのでそこでごぼう抜き。
その後の下りは、岩場や木の根っこなどの大きな段差、雨で泥々スリッピーになった急斜面の連続。とても走れたもんじゃない。抜かすことも抜かれることも無く、前の人から「こんなひどいのは初めてです」「まだしばらくこんな下りが続くんです」などと教えてもらったり、「危ないっすね〜」なんて話しながら慎重に下っていく。

しばらく進むと、下から「ケガ人!転倒して鼻と口から出血!上のスタッフに伝達してー!」という声が飛んできた。すぐ後ろの人に伝え、少し降りると、トレイルから少し外れて一段下がった所にランナー(Aさん)が横たわっている。顔面に血が流れていて、口と鼻から出血、前歯も複数折れている。

この時、9/22(日)08:12
標高1779m地点


既に一人のランナーがAさんに寄り添い、「安心しろ、俺が下まで下ろしてやるから」と声掛けしながらも、ケガの様子を冷静に見極めて上のスタッフへの伝達内容を追加したり、上半身を起こそうとするAさんに「横になってていいから」と促したり、「もし余分な水ボトルやエマージェンシーシート、ガーゼなど置いていける方は無理のない範囲でご協力お願いします!」と周りのランナーに声掛けをしている。

僕は知識も経験も無いが、彼の振る舞いは、専門の医療スタッフのような完璧な初動に見えた。彼に任せておけば大丈夫だろう。そう思えた。ただ、相当な血が出ているので消毒や飲料用に水は必要そうだと思い、ザックから新しい水ボトルを1 本提供する。

まず大事なのは大会本部に状況を知らせることだ。スマホを取り出し、本部にかけるが繋がらない。なら大会救急本部だ。繋がらない。大会事務本部はどうだ? 繋がらない。
通りかかったランナーが「俺のスマホは電波バッチリ立ってるんで」と本部にかけてくれ、ようやく状況を伝えられた。

この大会は、スタート直後から「残り◯km」という標識が1キロおきに設置されている。スタートして1キロ走ったところで「あと137キロかよ」なんて笑いながら見ているが、中盤以降になるとメンタル的にキツいという意見もある。でも、アクシデントが起こった時にこれはありがたい。現場の場所を1キロ単位で伝えられるわけだから。

しかし実際には、事故現場のキロ数を間違えて伝えてしまい、大会本部を混乱させてしまった。その辺りの詳細は、スーパー初動ランナー、林泰州(タイシュウ)さんの記録を参照されたし。

https://www.facebook.com/share/p/PxDKbeHoxq69UtzY/

ボリュームゾーンに近い時間帯だったことと、事故発生直後ということもあって、現場では小さな渋滞が起こっていた。しかし、水やガーゼなどを提供すると、その場ですぐにできることは無くなり、ランナー達は徐々にレースに復帰してゴールを目指し山を降りていき、まもなく渋滞は解消した。

僕は、葛藤していた。

楽しみにしていた初の130キロレース。まだ序盤も序盤。たった20キロしか走ってない。小雨が降り、暑がりの僕にとっては絶好のコンディション。ここまで痛みやケガも無く順調。2016年の人生初のマラソン大会でDNF(Did Not Finish=途中棄権)して以来、DNF無し記録も続いている。このまま走り続けたい。

ただ、最初からAさんに寄り添っているスーパー初動ランナーの様子を見ていると、明らかに彼一人に任せておける状況ではない。
彼は、
「俺はここでDNFするから。何があってもお前を下まで降ろすから。置いていったりしないから。安心しろ」
と言っている。
そんな状況にただならぬ雰囲気を察した僕を含め3人がその場に留まった。他のほとんどのランナーは、心配そうに足を緩めるものの、
 「大丈夫ですか?」
 「あぁ、低体温症か」
などと言いながら現場を横目に通過していく。
Aさんの全身をエマージェンシーシートでくるんでいたので、ぱっと見ただけでは怪我なのか、ただの低体温症か、わからなかったのだろう。

時々、立ち止まって状況を聞き、さらにエマージェンシーシートなどを提供してくれるランナーもいた。

Aさんは、頭を強打して大ケガしているにも関わらず、常に意識がハッキリしていたのは、僕らにとって大きな安心材料だった。
さすがに声は弱々しいけど。

少し落ち着き、その場に残った4人がようやくお互いに自己紹介をし合った。
スーパー初動ランナーは林泰州(タイシュウ)さん。
スマホで大会本部に電話をかけてくれた野間謙治(ノマケン)さんに、馬場裕之さん、そして僕。

タイシュウさんは終始冷静だった。Aさんを全身エマージェンシーシートで二重三重にくるんでいたが、
「寒くないか?今はまだ興奮しているから大丈夫だろうけど、絶対にそのうち寒くなる。寒くなり始める前に言えよ」と。
小雨が降り続き、標高も高いので、じっとしている僕らもガタガタと震え始めた。

ようやく一人、大会関係者が現場に降りてきた。無線で状況を連絡してもらうが、電波が届きにくく、なかなか通じずもどかしい。それでも大会本部と直接コンタクトがとれる状況になったことは大きな安心材料だ。

そしてさらにもう一人。大きなザックにタープやバーナーも持っている。雨足が強まってきたので、Aさんが雨に濡れないようタープで屋根を張り、バーナーでお湯を沸かしてペットボトルに入れ、カイロ代わりにする。

そして看護師、スイーパー達も到着。
看護師リーダー斉藤さんがテキパキとAさんの様子を観察し本部に伝える。鼻から出ている血の色を観察して、「頭蓋骨骨折していそうだ」とも。
本当に心強いリーダーだ。

この辺りはノマケンさんもnoteに克明に記録しているので、こちらも参照されたし。

https://note.com/calm_roses64/n/nfec1c94fb922

しっかりエマージェンシーシートで全身をくるみ、ストレッチャーに乗せ、総勢20人弱でようやく現場を降り始めたのは、10:20。

事故発生から2時間以上が経過していた。雨は降り続いていたが、気温が少し上がってきたのはよかった。

下山中のことは、タイシュウさんとノマケンさんの記録にかなり詳細に書かれているので、そちらを見て頂きたい。

なんやかんやあって、ようやく車が入れる林道までたどり着いたのは18時頃。日の入り時刻を過ぎ、辺りは薄暗くなり始めていた。

下山開始してから約8時間がたっていた。移動距離は約2キロ。
トレラン風に言うと、キロ4時間。
わかりやすく言うと、時速250m。

標高は、1780mから1250mへ、530mのDOWN。

本当にギリギリの救出劇だった。


救助活動に関する知識も経験も無かった凡ランナー視点でいくつか振り返ってみた。

幸運だった点

①発生時刻。

・あと少しでも遅かったら、林道到着前に暗くなってしまっていた。

・もう少し遅かったら(最後尾に近かったら)、適切な初動をとれる経験のあるランナーが少なかったか、いなかった可能性大。

・もし夜中だったらビバークせざるを得なかったかもしれないが、天気、気温、標高の悪条件下では、大げさではなく命に関わる状態になっていたかも。

・もし、既に100キロ以上走ったレース後半だったら、ランナーがバラけていて通りかかる人数も少なく、水やエマージェンシーシートを提供してくれたり、そもそも救助活動に回れる人手が大幅に少なかったはず(今回130Kの完走率は約30%とのこと)。いたとしても、体力の余力が無くて力仕事ができなかったり、もっと時間がかかっていたはず。また、レースの制限時間を大幅に超える救助活動になっていた可能性があり、その場合は救助する側の手持ちの水や食料も少なく、ケガ人自身や救助する側も生命の危険にさらされていたかもしれない。Aさん自身も10時間にも及ぶ救助活動に耐えられなかったかも。

②Aさんのすぐ後ろにタイシュウさんがいたこと。そこまでの20キロの道のりのどこかで、ほんの数秒でもタイシュウさんが速くて現場に居合わせていなかったら、今回のような適切な初動行動をとれていなかったはず。Aさんを安心させる声かけ、怪我の状態把握、上のスタッフに口頭伝達するよう指示、通過するランナーに水やエマージェンシーシートなどの提供を求める声かけ、Aさんを降ろすにしても相当な時間がかかるから渋滞を引き起こさないように最終ランナーが通過するまではここで待機すべきとの冷静な判断、等々

③救助活動の後半に向けて徐々に気温が上昇し(標高が下がった影響?)、天候も回復してきて、Aさんや救助隊メンバーの体力低下を防げた。


不運だった点

①雨で地面がぬかるんでスリッピーだったので事故は起こってしまった。また、下山にも時間がかかった。雨の下りはいつも以上に注意深く。

②携帯の電波が入りにくく、なかなか大会本部にも救急本部にも連絡がとれなかった。最初のスタッフ(山岳会の秋山さん)が持っていた無線も繋がりにくく、現場の場所やケガ人の状況などがなかなか本部に伝わらず、もどかしかった。そのせいで下山開始が遅くなってしまったとも思う。

③事故現場の天気と標高。最初は小雨だったが、徐々に雨脚が強まった。標高も1780mあったので、看護師達を待っている間に体が冷えてきた。サポートメンバーは足踏みなどして体を温められるが、Aさんがガタガタ震え始めたときは焦った。じっと耐えてもらうしかなかったので、エマージェンシーシートがたくさんあって本当によかった。今回は最初から雨だったので、レインウェアや防寒着など持っていたし、通過するランナー達も提供してくれて助かった。やはり、どんなに晴天予報でも暖かくても、想定外のことが起こることを想定して持ち物を選ぶべきと痛感した。


学んだこと、考えさせられたこと

①救急セットは自分がケガした時の為の物という意識だった。だから今までは「自分はケガしないから大丈夫」と軽く考えていて、一人でトレーニングで山に入るときもまともな救急セットを持たないことが多かった。けど、「自分は大丈夫」にはまったく何の根拠もない。それに、例え運良く自分は大丈夫だったとしても、ケガをした人に遭遇するかもしれない。今回みたいに。レースの必携品になっているから、という理由だけでリストに書かれた物を持っていればいいということではなく、それらを正しく使える事が大事。また、必携品リストに書かれていなくても必要な物は無いか、レースごとにコースの特徴やタイムテーブルなどを見ながら常に考えを巡らせるべき。
血液が付着した物に触れるとき、看護師はビニル手袋を使っていた。薄手だし嵩張らないし、防水防寒の役割も果たせるので、これからは救急セットに加えよう。

②救助活動する場面に遭遇したとき、僕みたいに専門知識が無くても、周りを冷静に観察すればできることはたくさんあることに気付いた。

・交通整理(ランナー渋滞を起こさないように)

・先回りして石などの障害物を除去する

・先回りしてルート検証(正規ルートではなくても早く安全にストレッチャーを通せるルートはどこか?を見極める)

・ケガ人への声かけ(エマージェンシーシートで全身を覆っていて表情が見えないし、常に看護師が横についているわけではないので)

・救助隊の最後尾でゴミ拾い(既に全ての選手は通過した後なので普通にゴミが落ちてたり、ケガ人を覆っているエマージェンシーシートが千切れて落ちたりする)

・太い木にロープ掛けする時のサポート(小柄な女性だと腕を伸ばしてロープを幹一周回すのは結構大変そうだった)

・隊列が長くなり先頭と最後尾で声が届きにくい時に中間位置で伝達

・荷物持ち(後ろに自分のザック、前にケガ人のザックを抱えた状態でストレッチャーを持つ時間帯もあった。長時間の救助活動を想定すると、負荷を分散することは大事)

・救助活動記録(時刻、活動内容、写真撮影、動画撮影等。今回と全く同じ状況の救助活動は無いと思うけど、細かな要素としては今後に役立つことはたくさんあったと思う。看護師リーダー斉藤さんが、「今起きてることの全ては今後の役に立つから、全部撮っといて」、と指示していた。ランナーがずっと録画することは無いと思うが、看護師グループは記録用に容量大きめのモバイルバッテリーが必要。)

・ストレッチャーを持ってる人の安全確保(後ろでストレッチャーを持っている人は、前の地面が見えなくて危険。大きな段差を降りる時やスリッピーなところ、谷側への滑落リスクがある所では、後方から体を支えて保持するとよい)

・ストレッチャー内に溜まった泥や水のかき出し(ストレッチャーを滑らせながら降りていくと、その端がスコップのように泥や小石をどんどん取り込んでしまう。それがケガ人の頭や衣類の中に入っていかないように。)

・ケガ人を着替えさせる目的などで少し長めに止まる場合は、先回りしてタープ設営してケガ人が濡れるのを防ぐ。炎天下なら日陰をつくる。

・行く先に太めの木の枝があれば曲げたり持ち上げたりしてルート確保しておく

等々。
できることはたくさんある。
周りを見るんだ!

③水ボトルやエマージェンシーシートを提供してくれたランナーが何人かいたが、人の救助のために救急セットを使ったのなら、次のエイドでそれ相当のものを補充できる仕組みがあるといいな、と思った。その先でまたケガ人に遭遇するかもしれないし、本人がそれを必要とする状態になるかもしれないし。厳密に言うと、エマージェンシーシートを提供してくれた人は、それ以降、必携品の一つを不携帯で走ってるわけで、そんな状態で抜き打ち検査されて失格なんてことになったらたまらない。

④一緒に救助活動する人みんなが同じ知識や経験値を持ち合わせているわけではない。知識経験のある人が救助に加わるととても心強い。知識経験は無いけど手伝えます!という人も頼もしい。知識経験が無くて自分には何も出来ないから・・・は間違い。そういう人を少しでも減らしたい。
的確に指示できる人がいるかいないかは大きい。初動では特に。その初動で大事なのは、周りを巻き込む力だと感じた。その点で、タイシュウさんは知識も経験も巻き込む力もあった。だから僕らはあの場に残る決心がついたんだ。本当に彼がいてよかった。
ランナーは皆、決して安くはない参加費を払い、より大きな大会に出るためのポイント獲得を目指し、何ヶ月も前から練習を重ねて体調を整え、遠くからこの地に来てレース本番を迎えている。だから、そう簡単にレースを中断する決心がつくものじゃない。僕だって大きな葛藤があった。実際、医療スタッフが来たらあとは任せてレースに復帰しようと思ってた。大きく揺れ動いていた心の天秤に、ほんのわずかな出来事やキッカケ、心の動きが加われば、簡単に「レース復帰」側に大きく傾き、その場を離れて走り始めていたかもしれない。そのくらい、ギリギリまで悩んでいた。レース中というのは、普通の登山とはちょっと違った状況下にある。でも、目の前にケガしたランナー、それも動けないほどの大ケガをしているランナーがいる時、「周りを巻き込む力」なんて無くたって、自然とみんなで協力し合えるようになればいいのだが。今のトレラン界には何かが足りないのだろうか? たぶんその答えは、自分の心が大きく揺れ動いた理由自体にあると思う。
トレランというスポーツは危険と隣り合わせという事実を、自分ごととして理解してなかった。
山で遭難した、滑落した、クマに襲われた、というニュースは散々目にも耳にもしてきたけど、全て他人事だった。自分に、自分の周りに起こることは無いさと。

でも、起こった。

僕の目の前で。

事故は、いつ誰の身に起こってもおかしくない。
起こらないに越したことは無いけど、残念ながらゼロにはできない。また必ず事故は起こる。

でも、事故を起こす確率を下げることはできる。それでも起こってしまった事故に遭遇した時、何をすべきかわかっていれば、最悪の事態を避けることはできる。苦しむ人や悲しむ人を減らすことができる。

だから、今回経験したことを一人でも多くの人に知ってもらいたい。特に、今回の僕みたいに知識も経験も無い人にこそ。

そして、これを知った人が次に山に行く時、または事故の現場に遭遇した時、「あ、そういえば、あんなこと言ってたっけ」と、心の持ちようや装備品、考え方や行動に少しでも影響を与えることができればいいな。
そして救助活動に携わることへのハードルが下がればいいな。
そして、悲しむ人や苦しむ人が一人でも減るといいな。


ちなみに、文中で「進むか留まるか、大きな葛藤があった」と書きましたが、今言えるのは、留まったことに対して、これっぽっちの後悔もありません。これは嘘偽りの無い本心です。

後悔どころか、逆に、今までのどんなレースの完走よりも、「やりきった感」は大きいです。

翌日の表彰式は、昨日のことがウソのような快晴。
知り合いが表彰台に立ったこともあり、僕の心も晴れ晴れしていた。

もう少しだけ続きます。

レースの3日後、大会理事長から電話がかかってきました。
今回の件に対して、直接お礼と感謝の言葉を頂きました。さらに、感謝状とか謝礼とか、参加費は全額返却とか、ものすごく厚遇なお話も。

もちろん見返りを期待して救助活動したわけじゃないですが、こういう厚遇事例があると、次にそういう場面に遭遇したランナーが、躊躇することなくレースを中断して救助活動に切り替えられると思います。
まぁ、そういう場面てのは無いのが一番だけど。

あと、Aさんは無事入院でき、意識もハッキリしていて、家族とも連絡がとれたとのこと。ただ、それ以上の詳しいことは個人情報の関係で大会本部側もわからないそうです。

これは綺麗事でも何でも無い本心なんだけど、僕は別に返金なんて無くても全然悔しさは無かった。俺はまた来年走ればいいのさ。
でもAさんは、下手すりゃ来年どころか明日を迎えられるかわからない状況にあった。
そんな一つの命を助けることができた、それだけで充分。


長文駄文を最後まで読んでくれた奇特な方がいるのかわかりませんが、そして、まだまだ書き足りないこともたくさんある気がしますが、キリが無いのでいったんここまでにします。

ありがとうございました。

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