冥土(こんな夢を見た)
薄暗い闇の中を私は裸で歩き続けていた。
湯桶を持っているから風呂に入りに来たのだろう。
とにかく私はひどく疲れていた。全身が風邪の引き始めのように怠い。
道の左右にある灯篭の僅かな灯りが床石に反射して、緑とも青ともつかぬ曖昧な色でぼうっと光っている。
突然、何処からか烏の鳴く声が聞こえた。それはやけに胸を打つ、恐ろしげな声だった。私はその身を守るように身体を縮こませた。
暫く歩いていると、再び烏の鳴く声が聞こえた。今度はハッキリと方向が分かった。前方からだ。
そのまま歩いていくと、やがて卵が腐ったような匂いがして、闇の先にもうもうと広がる暖かな霧が現れた。
霧の中に露天風呂があった。露天風呂の周辺には灯篭がぐるっと輪になるように並んでいて酷く明るい。
私の他には誰も人がいなかった。
私は湯桶で体を流した後、湯に浸かった。湯の暖かさが疲れ切った身体に染みるように心地よい。
私は空を見上げたが、何も見えなかった。ここに来るまでの道中では満天の星空があったのだが、露天風呂に入ったとたん見えなくなった。煙のせいか 或いは灯篭の照明が明るすぎるのか。私は目を閉じてただただ湯の暖かさに身を委ねた。
暫くすると、ひたひたと足音が聞こえてきた。
湯煙の中にシルエットが見えた。背の高い、痩せた男のようだった。しかし、あまりに湯気が濃いせいか男の影以外何も見えない。
何処かで見たようなシルエットだ。
「邪魔するよ」
男はそう言うと身体も洗わずに湯に入ってきた。
私のすぐ隣、1メートルも離れていない場所に男はいるのだが、やはり影しか見えない。
ふーっと深く長いため息が聞こえた。
そのため息を聞いて、私はある人の事を思い出した。
「あの、杉村健一さんですか」
杉村健一は私の母方の伯父である。子供の時からよく遊んでもらったから覚えている。長いため息。歩き方。鋭利な顎。丸刈りの頭と凹んでる後頭部。シルエットだけでも分かる特徴的な容姿。
「お前、咲か」
「・・・・はい」
自分で聞いておきながら私は信じられない思いでいた。
「おじさん、良くここへ来るんですか」
自分の声が震えているのが分かる。
「ああ、仕事終わりにはよくな・・・」
伯父が戸惑ってるような声をだした。
私は思わず尋ねた。
「あの、おじさんは、健一さんは死んだのではなかったのですか」
伯父は黙り込んだ。私も次にいうべき言葉を見失ってしまい、そのまま暫く沈黙が続いた。
2分ほど後、伯父が口を開いた。
「いいや」
物々しい声だった。
「死んだのはお前だよ」
再び何処かで烏が鳴いた。
それが合図であるかのように、灯篭の灯りがすべて消えた。
伯父の気配も消え、私は闇に取り残された。
湯の暖かさともうもうと立ち込める湯気だけが私の感じ取れるすべてだった。
静寂の中、私は次に何が起こるのかを待った。
しかし、何時まで経っても何も起きなかった。