野狐9段までの道のり
東北六県大会優勝を目指した道中にて野狐9段を達成することができたので、1つの区切りとしてこれまでの囲碁人生を振り返ってみようと思う。
囲碁を始めたきっかけ
小学1年生のGW中、私は祖父の家に預けられていた。
当時はゲームやマンガなどを持っておらず暇だったので、毎日涼しい部屋で過ごしていたのだが、部屋の隅に見たことの無いものが置かれていることに気づいた。
最初は「なんだこれ?」くらいにしか思っていなかったが、いつもそこに置いてあるのでさすがの私も気になってきたところに、ちょうど良いタイミングで後ろから祖父がやってきた。
それが私が囲碁を初めて知ったきっかけで、流れのまま祖父に教わることになった。
あのとき囲碁を始めたのは私が人生で一番誇れる瞬間だと思う。
囲碁を初めてから高校卒業まで
囲碁を始めて数ヶ月後に盛岡の囲碁センターで級位者認定大会が開催され、私は10級で参加して4連勝で8級に上がることができた。
人生初めての大会で結果を出せたことで、自分には囲碁の才能があると勘違いし始めたのがこの頃だと記憶している。
小学2年生時には第1回小・中学校囲碁団体戦が開催され、私も予選を勝ち抜いて代表選手に選ばれた。
ちなみに第1回に限り都道府県ごとに中学生3人・小学生2人の5人チームでの大会で行われたのだが、いつかこの方式が復活して欲しいと思っている。
大会で思い出に残っているのは1局目で緊張のあまり序盤で石が死んでしまったがなんとか持ち直して逆に相手の大石を取り返して逆転勝ちを決めたことと、2局目で最後に先手1目のヨセを見逃したことで半目負けしてチームも2勝3敗で敗れたことである。
だが今思うと嬉しさと悔しさを同時に味わえたのは非常に良い経験だった。
小学校3年生~卒業までは祖父の尽力により県内強豪の方に薫陶を受けることができ、今の自分の棋風に多大な影響を与えてくれた。
中学・高校では部活として囲碁をやりたかったので、地元の中学校ではなく岩手中・高等学校に中学受験して入学した。
ここから暫くは中高での主な大会戦績について書いていく。
中1のときに出場した団体戦では予選リーグ最終戦で前回大会4位の麻布中学校と対戦した。
始まる前には顧問の先生も「当たって砕けて来い」と言っており、勝てる相手ではないと考えていたのも無理は無い。
だが先鋒は負けたものの副将は勝ち、対局中にも関わらず残った大将の私に勝敗がかかる状況になったのを感じていた。
しかし相手は麻布の大将ということもあり、序盤から劣勢に立たされたが何とか逆転のチャンスを狙っていたところ、運良く種石が取られるのをうっかりしてくれたことで形勢不明となった。
その後はお互い時間も無くなり時計の叩き合いになったが、(当時は秒読みなし)数えてみると私の半目勝ちとなった。
この勝利により全国ベスト8となり、夕方には祝勝会として焼き肉パーティーが開かれた。
同じ年の個人戦でも初の予選リーグ抜けを果たし、全国ベスト16入りできたことはとても幸運だった。
中2・中3ではジュニア本因坊の東北予選で2連覇し、全国大会に出場した。
だが中3の時は大会直後に東日本大震災が発生したため、全国大会が中止となったのはとても残念だった。
同じく中3では一般棋戦において初めて岩手県大会で優勝することができた。
当時中3での県内一般棋戦優勝は史上最年少だったが、2年後に小6で優勝した子がでてきてキレそうになった。
高1では高校選抜団体戦で全国3位に入賞することができた。
最終戦では大将の私は負けてしまったが、副将と先鋒が勝ってくれたことでチームメイトに助けられた。
特に先鋒戦は相手が最後のダメの詰め方を間違えて1目損してくれての半目勝ちだったので、非常に幸運だった。
だが個人戦では東北大会で中2の時に対戦して勝った方に敗れた1局が響いて全国大会に出場できなかったことが悔やまれる。
4勝1敗で3人が3すくみ状態で並んだのだが、くじ引きによって全国出場者2人を決められたことは今でもおかしいと思っている。
だがその悔しさをバネに、高2では昨年負けた相手に完勝して5戦全勝で全国出場を決めた時のことは今でもハッキリ覚えている。
ちなみに団体戦でも14-1で岩手県の圧倒的優勝だった。
高校最後の大会である総文祭では初めて団体戦の副将として出場して5位の成績となった。
その時の高文祭は長崎で行われたのだが、軍艦島を含む思い出の写真が私の不手際でスマホを水没させた事ですべて消えてしまったのが痛すぎる。
以上が中高での主な戦績となる。
東京へ進学・黒歴史
大学では東京の方に進学したのだが、実は学生時代に囲碁はまったくと言っていいほどやっていなかった。
立命館大学から囲碁推薦の話が来ていたらしいのだが、その時はすでに燃え尽きていたので同学年で将棋をやっていた人に譲った。
唯一出場したのは大学1年生時の学生最強位だけだったと思う。
そしてこれは私の黒歴史になるのだが、大学に来てすぐに宗教の勧誘を受けてしまい、何もわかっていなかった私はホイホイついて行ってしまったのである。
おそらく小学1年生で囲碁を始めた時と同じような感覚でいたのだろうと思う。
そこから約6年半も無意味な活動してしまったのだが、何か犯罪をやらかさなかっただけ不幸中の幸いと言える。
囲碁界への復帰
宗教から完全に足を洗ったころ、もう一度囲碁界に戻ってみたいと思うようになった。
大学卒業直前から野狐はやっていたのだが、対面で打つようになったのはこの頃からだった。
東京の碁会所を探していた時に新橋の樹林さんに目が止まり、勇気を出して訪れることにした。
樹林の店長やお客さん全員がとても個性的な方たちでとても楽しく、久しぶりに囲碁の楽しさを思い出すことができた。
さらに縁あって新宿の秀策で囲碁インストラクターを務めることになった。
現在、私が岩手で囲碁を教えることになった原点とも言える場所である。
そして洪道場に訪れたことで、全国の子供たちのレベルの高さを思い知ることになった。
当時小学4年生でプロになられた柳原咲輝さんに負けた時は完全に心が折れたのを覚えている。
そして2021年の4月、アマ名人戦東京都大会で大会復帰を果たすことになった。
結果は本戦1回戦で洪道場の師範の方に敗れてしまったが、小学生の時に教えて頂いた岡田伸一郎九段に会うことができるなど、とても良い経験となった。
岩手に戻る決断
2021年5月31日、私は岩手に戻ってきた。
私がいた頃に比べて、高校生以下のレベルが大分落ちていることに気付いたからだ。
秀策でのインストラクター経験を活かす最高の舞台だと感じた。
この決断をするにあたって洪道場の洪清泉先生に相談し、とても親身にそして厳しく御享受して頂いたことはとても感謝している。
だが戻ってみて感じたのは、むしろ大人のレベルの低さだった。
毎年6月末に東北六県大会が開催されるが、当時の岩手が最後に優勝したのは2013年のことだった。
しかもその時は史上初の岩手県タイトル全冠制覇を達成した方が他県から来ていたことが理由で、実際は10年以上前からかなり遅れを取っている状況だった。
私が戻ってきてから1ヶ月後に盛岡で東北六県大会が開催されたので観戦したのだが、勝てるはずの相手に逆転負けを喰らうなど、悲惨な大会となった。
自分がやるしかない
私がこの大会を見た時、自分がこのタイミングで岩手に戻ってきた使命を感じたのを覚えている。
本来2020年に岩手開催となるところが、新型コロナウイルスの影響で1年延期となったことで偶然その場に居合わせることができたからだ。
ここから私がビッグマウスになったのは言うまでもない。
東北六県大会で岩手を優勝させるための最低条件は、私が県大会で結果を出して3人チームのメンバーに選考される必要がある。
なのでこの1年間は自分の人生の中で一番囲碁を勉強した期間であると言っても過言では無い。
2021年では残っていた2つの県大会に出場して運よくどちらも優勝することができたが、この間は毎日詰碁の本を5~6冊ほど合計1000問くらいは解いていたと思う。
中でも基本手筋事典は名著なので是非おすすめしたい。
勉強を開始してから2ヶ月後には人生初の野狐9段を達成できた。
もし岩手に戻ってこなければ一生辿り着けなかったかもしれない。
1年後の東北六県大会
そして迎えた2022年の東北六県大会では副将として出場し、宣言通りに団体優勝を成し遂げることができた。
表彰式では優勝したことを実感した瞬間、涙が止まらなくなった。
この年はアマ名人戦と赤旗名人戦で全国大会に出場したが、どちらも成績が振るわず残念な結果となってしまった。
2023年の大会結果
2023年は東北六県大会団体連覇と大将戦優勝を目標にしていた。
4月の岩手王座決定戦では優勝者が大将となるのが慣例となっており、とても気合いが入っていた。
結果として自分でも完璧と思えるほど上手く行き、念願の大将の座に就くことができた。
だが岩手日報に掲載された王座戦準決勝の自戦記を執筆した方に「事実上の決勝」とのタイトルを付けられたことは今でも納得がいっていない。(完敗したくせに)
その数日後には私の決勝戦の自戦記が掲載されたが、当時放送されていた「ひろがるスカイ!プリキュア」ネタで埋めつくしたところ、岩手日報さんがとなりの紙面にひろプリの記事を掲載してくれるという御高配を賜った。
その後5~6月頃には過去最悪の不調に陥り、アマ名人戦・アマ本因坊戦では代表を逃すものの本番に強い私は東北六県大会で覚醒し、宣言通りに団体連覇と大将戦優勝を成し遂げることができた。
11月の赤旗名人戦では学生チャンピオン経験者や元院生を破ってベスト8に進出することが出来たが、県大会では体調不良も重なったことでとてもフリカワリの激しい1年となった。
ネット碁の方でもこれまで新たに4つのアカウントで野狐9段を達成し、東洋囲碁でも9段となった。
まとめ
野狐9段になるのはもちろん大変だが、正しい手順を踏めば誰でもなれると今では感じている。
だが私の場合は、岩手を優勝させたいというキッカケがあったという運にも恵まれていたとも思っている。
幼少の時に強い人から沢山教わることができたのも、同じく運が良かったと言えるだろう。
今後の目標は東北六県大会団体3連覇と全国大会で結果を残すことである。
また機会があれば更新しようと思う。