疫学教室に来るまで

  • はじめに

 約2年間、疫学・衛生学の教室で勉強したきっかけ、また勉強した内容について備忘録、そしてどこかの誰かに役に立つかもしれないと考え残しておきます。本来は成功した人の経歴が参考になると思いますが、こんな生き方もあるんだ、と何かの参考になれば(しくじり先生としてでも、、、)。

  • 耳鼻科医局に入ってから

 初期研修医が終わり耳鼻科医になった当初は皆と同じく臨床を頑張りたい、と思っており臨床研究などは全く考えていなかった。しかし、学会などで発表する機会はあり、上の先生から割り振られた症例を発表していた。自分で経験した症例ならまだしも、他の先生が経験した症例で褒められても嬉しくなかったし、質問の時に「これは自分が経験した症例じゃないので、術中のことについてはよく分かりません、、、」と答えるのは何となくかっこ悪い気がしていた。そのため、まずは自分で症例報告できるような症例を探し始めた。症例報告をするには勿論珍しい症例である必要があるため、見逃さないように気を付けていると外来が宝探しをしているような感覚で楽しくなった。そして、学会に行くと珍しい症例について学べるので学会に行くのが楽しくなっていた。
 偉い先生から学会では質問をどんどんしていきなさい、とアドバイスを受けた。しかし、知識もなく見当違いな質問すると恥ずかしいので、抄録を見て予習をしてから質問を事前準備していた。やはりできる先生は多面的な考え方をされており、はっとするような質問・意見をされており、自分もそのような質問ができるよう目指した。このような積み重ねによって論理的思考が養われた、かもしれない。。。


  • 初めての海外学会

 臨床研究をしようと思ったきっかけは医師4年目に参加したオランダの海外学会だった。その当時の医局長から一回は経験しといたら、と言われ確かにこういった経験はなかなかできないなと思いテーマはその先生から割り振っていただいた。海外は学生時代からインドや南米などにバックパッカーとして行っていたが、学会参加としていくのは初めてだった。もちろん英語は上手ではないし、まだ英語論文なども読む習慣がなかったので、医学英語が全く分からなかった。初めての海外学会はOral presentationの質疑応答で何を言っているかわからず、残念な感じで終わってしまった。しかし、国際学会ではそれぞれの国の医療を学ぶことができ、日本の医療の良さ・悪さを再確認する事ができた。学会以外の時間はオランダならば自転車でしょ、キックボクシングでしょ、と言われその気になってしまった。学会が終わって夕方からレンタサイクルを借りて1時間くらいかけてピーターアーツのキックボクシングジムに出稽古行くなど、普通はできない経験もする事ができた。これらの経験から、かっこよく海外で学会発表できるようリベンジしようと思ったし、定期的に海外学会で発表できるように日本の良さ、そして悪さをテーマにした臨床研究をしたいと思った。
 そのために、まずは日本と海外の医療の制度、健康への考え方、治療方法などを知る必要があると感じた。その時は短絡的な考えで、海外のことを知るには留学だ!!ということで留学を目指すことにした。

ステンドグラスの学会部屋
ドージョー・チャクリキ
  • 大学院に入ってから

 所属する医局での留学は今までは基礎研究での留学であり、臨床研究で留学するなんて考えていなかったしMPHなど知らなかった。留学するためにはまず大学院に、と言われ大学院に入ったがしばらくは県外の市中病院勤務だったため基礎研究をすることができなかった。今、できることをしなければ、ということで我流で臨床研究を始める事にした。市中病院の部長は研究には協力的ではあったが、単施設での臨床研究は一般化が難しく感じたし、一から指導してくれる指導者もいなかった(チェックはしてもらったが、研究計画がボロボロだったので修復不可能、、、)。そのため、症例報告ばかり書いていた。そんなこんなでも、大学に戻り基礎研究を少ししている間に順番は回ってきて、アメリカに基礎研究で留学する予定となった。

が、そこでCOVID-19パンデミックが
渡航が禁止され、留学は中止になった。

  • 疫学・衛生学に入るきっかけ
     留学のために基礎研究をしており、基礎研究自体で将来頑張っていこうとは思えなかったのでしばらくは大学で臨床をすることに。市中病院ではうまくいかなかった臨床研究だったが、大学では研究支援という形で疫学・衛生学の先生がサポートしてくれていた。しかし、相談した時は多変量解析など全く分からない状況で、どのような流れで研究をしていけば良いのか全体像がつかめていなかった。疫学・衛生学の先生から誰か教室に一人、そういった簡単な研究を見てくれるような人がいれば良いのにねえ、と言われ申し訳ない気持ちになった。と、同時に自分がその存在になりたい!!という気持ちがあった。ちょうどその時期に他大学から新しい教授が就任され、就任当初の面接で「留学に行けなくなった変わりに疫学・衛生学で2年間勉強させてもらいたい」と希望を出した。過去に疫学・衛生学に行った先例がなく、却下される可能性も考えていたが意外にあっさり承諾していただけた気がする。恐らくだが承諾していただいた理由として(1)論文(症例報告)をちょこちょこ書いていたこと、(2)新教授の知り合いでそういった分野で活躍されている方がいた、(3)今後の医局の幅を広げたい、などがあったと思う。最終的には疫学の先生にも了承いただき2年間お世話になることに。本当に人事万事塞翁が馬、という言葉がぴったりだと感じた。
    「疫学教室での2年間」に続く(9月~10月頃)

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うらけん 耳鼻科×疫学勉強中
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