目の前にある林檎を握りつぶす
同じく物語を紡ぐ漫画や映画と異なり、小説は絵がなくても文字で書くだけで、表現できます。映画や劇は脚本を描いたあとで、役者が演じることで初めて表現できますし、漫画は長い時間と手間をかけて絵を描くことで表現できます。
小説は文字で表現するとその場でその風景を表出することができます。
「林檎がある」と書くことで、読者の目の前に林檎を登場させることができるわけです。
「テーブルにはひとつの林檎が置いてある。赤く艶やかな林檎だ。男はその林檎を大きな手で掴むと、僕の目の前で握りつぶした。潰れた林檎から鮮烈な香りと果汁が飛び散った」
林檎の汁が顔にかかった風景を思い浮かべることができたでしょうか。林檎の香りを嗅ぎ取ることができたでしょうか。
林檎じゃなくても宇宙船でも怪獣でも小説家は文字だけで描き出すことができます。
これが映画だったら、脚本家がシナリオを描いてからセットを組んだり、CGで描いたりしてその場面を創出する必要があるので、小説に比べて、コストも時間も膨大にかかります。
小説の良いところは、文章で書けばその世界を創造できることです。お金もほとんどかかりません。
もちろん、本にして刊行するには多くの手を介する必要がありますが、物語自体を表すのは小説家ひとりでもできます。
だからと言って、小説の執筆が簡単なわけではなく、絵がないから読者がその場面を想像しやすいように文章を組み立てないといけません。
文章だけで世界や人物を創造し動かせることが小説の面白いところでもあり難しいところだと言えます。
小説家は、できるだけわかりやすい言葉で世界を創造しようと毎日悪戦苦闘しています。