「が」は遠くて「は」は近い
自分の日本語能力が信用できません。執筆中は辞書を片手にいつも苦労しています。
中でも、苦手なのが助詞の使い方です。日本語の助詞ってむずくないですか? ひとつの助詞が複数の意味を持ち、別の助詞と意味が重なっている部分もあるし。
特に小説を書いて悩むのが「が」と「は」の使い分けです。
「が」と「は」の使い分けは、それだけを解説する本があるぐらいかなり複雑です。
文法書に真っ先に書かれているのが、未知の情報は「が」、既知の情報は「は」という使い分けです。
・彼が夫です
・彼は夫です
「紹介します。彼が夫です」では、聞き手は「彼」が初対面な印象を受けます。
「紹介します。彼は夫です」だと、聞き手は「彼」を知っていて(見ていて)、彼の属性である「夫」と紹介しているような感じがします。
これだけなら、まだなんとか使い分けられそうですが、「が」と「は」はこれだけでは終わりません。
・彼が走っている
・彼は走っている
この場合の「が」と「は」は、どうでしょう。
「彼が走っている」と「彼は走っている」のどちらが未知で既知なのかよくわかりません。「彼が走っている」の場合でも、話者も聞き手も「彼」を知っていたように感じ取れます。
「彼が走っている」の方が、「ひとりの男が走っている」情景を淡々と描写している感じがしませんか。話者は、走っている彼をただ見ているように思えます。
対する「彼は走っている」は、なにかしらの思いがあって、走っているように思えます。
「彼は走っている」だと、走っていることは知っていて、さらになんらかの意味を含ませているように感じ取れます。例えば、「雨なのに、彼は走っている」とか。
あまりにも助詞をわかっていないので(「助詞」と書こうとすると「女子」と誤変換しそうになります。確かに女子のこともわかっていないですが)、文法書を何冊か読んだことがあります。
その中の一冊にわかりやすい説明がありました。
その本では、「が」は話者と遠い位置にあるもの、「は」は話者と近い位置にあるものと解説していました。
なるほど、未知なものは遠くにある(あった)から「が」で、既知なものは近くにあるから「は」なのか。
感情を込めずに描写するものは遠くにあるから「が」で、話者の意図や思いが含まれる場合は話者の近くにあるから「は」なのか。
僕は三人称で書くとき、視点人物が行動する描写には「は」を、第三者のときは「が」を使うことが多いです。絶対ではないですが。
視点人物は話者と近くまたはそのものの場合が多いので、この文法書の説明通り「は」を使うのが妥当だということになります。
視点人物を少し離れた場所から描写する場合(カメラが少し遠い位置にある場合)は、主人公だとしても「が」を用います。
これだけで「が」と「は」の使い分けを説明することはできませんが、文法の専門家でもないので、基礎知識を学んで、描写するものの距離で使い分けていれば大きな間違いはないかと思っています。
文法に詳しい人がいたら笑われるかもしれませんが、まあ、小説家は文章の専門家ではないですからね(と言い訳)。