パパの「自己犠牲」が家族を苦しめる?気づきからはじまった変化の記録
「もう限界かも...」
そう思いながら帰宅する日々。仕事に育児に家事。特に発達障害のある次男の療育に全力を注ぐ毎日で、心も体も疲れ切っていました。「すべては子どものため」。そう自分に言い聞かせ続けた結果、気がついたら家族全員が暗い顔をしていたんです。
でも今は違います。3人の子育ては相変わらず大変だけど、不思議と心が軽くなりました。何が変わったのか、シェアしたいと思います!
・毎日感じていた漠然とした不安が消えた
・子どもたちの「できない」が受け入れられるように
・仕事でも育児でも力を抜けるようになった
・家族との何気ない会話が増えた
・「パパ、だいすき!」という言葉が増えた
「がんばるパパ」の落とし穴
転機は、ある平日の夜でした。
仕事を早めに切り上げて、次男の療育に付き添い、その後長男と長女の習い事の送迎。「よし、今日も完璧!」と自分を褒めていた矢先、次男が突然大泣きを始めました。
疲れていた僕は、思わず声を荒げてしまいました。「なんでわかってくれないの!パパはこんなに頑張ってるのに!」
その瞬間、長女が小さな声で言ったんです。
「パパ、最近怖いよ...」
その一言で、僕の中で何かが崩れました。自分を追い込んで頑張れば頑張るほど、大切な家族との距離が広がっていく。「子どものため」と信じていた行動が、実は逆効果だったんです。
気づきから変化へ:3つのターニングポイント
「完璧な父親」という幻想との決別
育児書を読みあさり、発達障害の専門書で勉強し、SNSで最新の育児情報をチェックする。そんな「いいパパ」でいることに必死でした。
でもある日、次男が僕のズボンの裾を掴んで「あそぼ!」と言ってきたとき、はっと気づいたんです。子どもが求めているのは、知識や情報で武装した父親じゃない。ただそばにいて、一緒に笑ってくれる存在だったんだと。
自分を解放する選択
「子どものために」という言葉に縛られて、自分の時間を持つことに罪悪感がありました。でも、心にゆとりがないと、子どもの気持ちに寄り添えないんです。
休日の朝30分だけ、散歩の時間を作ってみました。最初は後ろめたかったけど、その小さな「自分時間」が、不思議と一日の景色を変えてくれました。
「待つ」という新しい選択肢
「パパ、自分でやる!」
次男のその言葉を、以前の僕は聞き流していたかもしれません。時間がないからと、つい手を出して済ませていたはず。でも今は違います。時間がかかっても、子どものペースを「待つ」ことができるようになりました。
力を抜いたら見えてきた景色
驚くべきことに、僕が力を抜き始めてから、家族の表情が変わってきました。
朝の準備で手間取る子どもたちに、「急がなきゃ」と焦る代わりに「大丈夫、もう少しゆっくりしよう」と声をかけられるように。すると不思議と、子どもたち自身が時間を意識し始めました。
発達障害のある次男との関係も、劇的に変わりました。できないことを責めるのではなく、できたことを一緒に喜べるようになったんです。小さな進歩に、家族みんなで拍手する。そんな時間が増えてきました。
先日、妻がつぶやいてくれました。
「最近、家族の笑顔が増えたよね」
その言葉を聞いて、目頭が熱くなりました。
今、伝えたいこと
家族のために頑張りすぎているパパへ。
「子どものため」という思いは、本当に素晴らしいものです。でも、その気持ちに押しつぶされそうになったら、ちょっと立ち止まってみませんか?
僕が気づいた大切なことをシェアさせてください:
・完璧を目指さなくていい。それは子どものためにもならない
・自分を大切にすることは、家族も幸せにする
・子どもの「できない」に寄り添う時間を持とう
・たまには何もしない時間も必要
・小さな進歩を、家族で喜び合おう
時には力を抜いて、深呼吸をして。
そうすることで見えてくる、新しい景色があるはずです。
(※この記事は、3人の子育てをする一人の父親の経験です。それぞれの家族に合った方法を、ゆっくり探していただければと思います)