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【医療的ケア児】 ドイツのNICUからICUへ(生後)
ドイツで爆誕した我が家の次男。
生まれつきの筋肉の疾患で、生後すぐに呼吸器を使用開始しました。
NICUからICUへ転院
38週で早産だったためNICUに入りましたが、
低体重や早産の問題よりも、
筋肉が弱いがゆえに重大な疾患をすぐに疑われました。
そのため急変やリスクに備えて、産後一日でICU(集中治療室)のある病院へ転院しました。
ICUで筋生検
筋肉に異常があることがすぐにわかり、
すぐに筋肉の生検をすることになりました。
筋肉を麻酔して中の組織を取り出し、顕微鏡でみて、筋肉組織の特徴から疾患を絞り込んで検討するためです。
私たち親子にとって、人生2度目のオペ承諾サインを(1度目はこの次男を緊急帝王切開)したのです。
まさか、この筋生検をきっかけに次男が危篤となることとは……。
遺伝子検査
筋肉の異常が考えられることから、複数の疾患を疑い、既に世の中で明確となっている遺伝子変異に該当があるかどうかを調べるための遺伝子検査が行われました。
当初は筋ジストロフィーやALSなどの疾患を調べていたようですが該当しませんでした。
それぐらい、ミオパチーという疾患がすぐに選択肢に上がらず、病名にたどり着くまでには時間がかかりました。
遺伝子検査と筋生検を掛け合わせて、専門家の先生も訪問いただき、いろんな方面から病名を検討していただきました。
看取りの可能性
実は筋生検を行なう前から、次男の体には
「乳び胸」(にゅうびきょう)という胸の中に大量の液体が溜まり肺を圧迫し呼吸困難が起きる状態が度々起こっていました。
経管栄養(鼻の穴からマーゲンというチューブを胃まで入れている)で母乳をあげてみたり、
ミルクをあげてみたり、
栄養を中止したり、
呼吸器の設定を調整したり、
何が要因で乳び胸が起こっているのか、ドイツの優秀な医師たちも頭を悩ませておりました。
栄養も呼吸も落ち着かない状況であることから、体力が消耗されていることは一目瞭然。
感染症にかかり命を落とすリスクが高いことを私たち両親に何度も伝えられていました。
筋生検のあと、オペの傷が原因なのか、栄養状態が悪く弱ってしまっていたためなのか、
懸念されていた通り感染症で状態が悪くなり、
次男は一気に危篤に陥ってしまいました。
最も、つらくて苦しい時間でした。
疾患 病名もまだわからない、唯一できる搾乳ですら、乳び胸により母乳をあげられずに中断をせざるを得ない。
妊娠前に用意していた産着すらまだ着せてあげられない。
おむつ替えで少しでも体制を変えるとそれをきっかけに痰詰まりをおこしてしまうこともある。
動かすことがリスクにもなりうる、簡単にだっこもできない。
できないことばかりで、心も沈み誰とも会いたくない、産後のホルモンの影響もあってか、人と話したくないという日々が続いておりました。
唯一救われた点は、ドイツのICUではその当時(2016-2017年)、有難いことに家族であれば24時間面会可能だったことです。
まだ未就学児だった当時の長男も希望すれば我々両親といつでも入室することができました。
次男のために、買ってあげたものを家から持ち込むこともできました。
次男が危篤に陥ってしまった時、ちょうど日本から義母が応援に駆けつけてくれている時期でもありました。長男は義母に家でみてもらい、
わたしたち夫婦は病室でずっと次男を見守らせてもらいました。
正直このころはまだ医療知識も浅く、どんな状態で危篤になってしまっていたのかわかっていませんでした。
このまま苦しませるのではなく、安らかに命をまっとうすることを祈るのか?
一命を取り留めることを願うのか?
もし生きられたとしてもこの先どうなるのか、
一緒に暮らせる日などやってくるのか?
何をどう祈ったら良いのか、何が正解なのか…見失い混乱しておりました。
ただただ、目の前の次男を尊く愛おしく見つめることしかできませんでした。