マジクソから学ぶ。
未だに昇華不十分なテーマ。
だから、この記事を読んでもなんの役にも立たないと思います。
あくまでわたしの記録ですから。
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自分が女性であることに恥を感じ出したのは、幼少期から太りやすく、平均よりもふくよかな体型をバカにされてころだったかも。
保育園児のころから、わたしは(たかが)平均よりも1・5倍は身長も体重もあった。背の順もいつも一番後ろ。骨格も太いほうだから横幅がより恰幅よく見えた。
背は高くてもスラリとはしていなかった。
可愛く言うとわがままボディ。
通称デブ。
でも別に気になんてしていなかった。
「わたしである」という認識が、外見でなくて意識のほうにまだ濃くあったし、それって、子どもときなんてみんなそうだったんじゃないかなと思う。
だから、当時の子どものころなんて、自分の姿がどうかなんて気にもとめていなかった。みんなの顔が、みんな違うのは当たり前なのと同じように、自分の体型にフォーカスなんて向いてなかったから。
けど現実は違ったの。
先生や、ませたクラスメイトがわたしのことを、いままでとは違う、なんだか不快に感じる笑顔で接してくることに、あるときにやっと「あぁ、わたしはバカにされているのだな」と子どもながらにだんだんと思い知った。
こちらとあちらで線引きされている行為に思えた。
本当に気持ちの悪い笑顔だった。
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もうすこし成長した小学1年生のとき、体操着に着替えて体育の授業を受けていたら、
「ゆきこって太ってたんだね」
一番仲良しだと思っていた友だちに、幻滅されたような顔つきでそう言われた。
それが、ショックすぎて、ひとりで教室に足早に戻ったことを覚えている。いま思うとそれって本当に友だち?ってツッコみたくなる。
ふくよかに、いつからこんな冷たい世の中になったのよ・・・。自分が醜い存在なのだと、壮大な勘違いを受け入れてしまったのはこのころだったかな。
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宇宙の法則を知ったいまでは、それは自分が受け入れてしまったひとつの信念にすぎないなのだから仕方ないとわっている。気に食わないのに、その信念を受け入れた現実が見事に反映されていた。
読書好きであったのは本当に良かったと思う。フィクション小説に夢中だったころから、いつしか精神世界・スピリチュアルというカテゴリーに分類された本たちを大好きになったのは、マジクソ体験のおかげかも(笑)
わたしがダントツでおすすめするのが並木良和さん。並木さんを知ったのは2020年の夏だったかな。本も出されているんだけれども、そのまえにYOUTUBEで知りました。けっこうわりと最近。
初めてみた動画がたしかこちら👇
スピにのめり込んでいたわたしが、並行してうつ症状を発症しているときに存じ上げた方。 都市伝説・超自然とか心霊現象がどうとか、そういうスピスピ騒いで盛り上がる囲いから抜け出たその先の、
『スピって実は地に足つけて自分(日常)を生きることだよ〜ん☆』と教えてくださった、わたしにとってはコーリングな存在。めちゃくちゃ大切な話しされているのに、ちょいちょい昭和のダジャレとかを混ぜてくるから面白い(笑)
ざっくりまとめると、『自分がいま幸せじゃなきゃ、スピがどうとかなんて何の意味もないでしょっ?だから自分と一致して生きるのよ☆』って核心を突いたこと言ってくれます。
どうしても自分から目をそらすための逃げ場処になりやすいのよね・・・まぁこれは、スピ業界に限らず現実のあれやこれやに言えますが・・・。そういう裏話がどうとかというよりも、
そんなことにうつつを抜かしていないで、さっさと自分に集中すること。どこまでも自分と向き合うことに意識を向ける、そんな本当の自分に戻りたいひと向けですね。
海外の本だとこのような本を読んでいた。
いまも再読したりする。
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話しをデブの少女時代だったころに戻します。
両親も、わたしの姿になんだか苦笑い。
「痩せてないのがいけないのよ」
「おまえは太っているからお菓子はいらないな」
そんな言葉ばかりを浴びせられてきた。
さらに輪をかけて祖母や叔母にも、会うたびに「痩せろ」と言われてきた。なんかフツーに挨拶するかのように、当たり前のように、永遠と言われ続けてきた。
・・・うちの親族マジクソだな。
(故人)祖母や叔母は、わたしが小さいころから誰彼構わず何かを言わずにはいられない性格で、めちゃくちゃ偉そうだった。死んでから知ったけど、若いころの祖母は、ヤクザの人を丸め込むぐらい怖かったらしい。
※わたしは暴力団とはいっさい関係はありません(笑)
文句と嫌味しか知らないの?と思うほど、不愉快なことしか口から出てこなかったことを覚えている。そうしなきゃ生きてこれなかったんだなぁ・・・。それくらいキツ〜い正確だった。
想像つくと思うけど、うちの家系って、絶対に謝らないんだよね。
「あなたのために言ってあげているのに何よっ!?」って逆ギレ。
(頼んだ覚えは一切ございません、って言うとさらにキレられた)
否定することがもう条件反射だった。
それが生きる原動力だったのだと思う。
人のためという名の、人のせいにしなきゃ生きられない人種。
皮肉なことに、長生きしているひとはそんなにいない。
60後半、70代くらいでどんどん死んでいった(言い方)
わりと早死にのほうかもしれない。
あぁついにエネルギーを向ける相手すらいなくなったのだなって、超冷たい考察をわたしはしている。
わたしが知る限り、自分を生きているひと、見たことなかった。
幸せになれると信じて結婚して、子どもを産んで、高いマイホーム買って、そのために家にいないでお金稼いでいるのに、
でもぜんぜん幸せじゃないことに幻滅して、家族を罵り合ったあげく離婚して、こんな悲惨な自分の人生の責任を、どうしても自分が受け入れたくないから、パートナーや子どものせいにして、
なにもかも全部まわりのせいにして人生いきてきたひと、死ぬほど見てきたから。自分の親がまさにそうだった。
だから、わたしはこんな人生設計をさっさと捨てたよ。おとぎ話の夢のような幸せが、本当にそこにあるなんて信じられないくらい、マジクソな現実を突きつけられて生きてきたから。