縁切り&縁結びに行った話
会社の新しい上司が自分の失敗を部下に押し付けるクソ野郎だと嘆く友人と、東京縁切り&縁結びツアーを開催したことがある。
クソ上司と縁が切れることと、新しい仕事の良縁を願って、豊川稲荷東京別院と高木神社にお参りしようというのだ。
上司や仕事をくそ扱いすることには賛否あろうが、個人的にはたとえいいとこがあったとしても自分には合っていない時点で互いに立派な悪縁なので、互いのためにも、ここはすぱっと切ってもらうべきだと思う。
困ったときの神頼みである。
豊川稲荷東京別院は現世ご利益、特に出世や商売に定評のある寺社だが、境内には縁切りで有名な摂社もある。
まずはここで縁切りをしてもらうことにした。
手水でちゃんと手を洗ったあと、本殿にご挨拶。御朱印をいただいて、あとは必要なご利益の摂社めぐり。縁切りと出世が目的である。
友人が熱心に縁切りを願っているとなりで、私は友人の悪縁が切れるよう一緒にお願いし、ついでに他の摂社では金運をお願いする。
境内にある駐車場となりの、昭和で時の止まったような売店では油揚げやモチなどが乗ったお供えセットも買えるので、こちらも購入して奉納。
あちこちの神様仏様に悪縁切りと開運を願った。
「友ちゃん、こっちにご利益戦勝っていう摂社あるよ。祈っておこう」
「戦勝…?」
友人は私が指さした説明文の看板を見て何ともいえない顔をした。
豊川稲荷東京別院の摂社のほとんどには、隣にご利益を書いた棒がささっているのでとてもわかりやすい。
ごく普通の休日にも関わらず、境内は人で溢れていた。奥ではあきらかにどっかの会社の偉い人が祈祷をうけている。
大人の闇である。
「いや、私は戦じゃなくて、穏便に自然にどこか遠いところにいなくなってほしいんだけど」
戦勝という単語に友人はやや難色をしめした。
だが、私の意見はちがう。
「なにごとも、勝つにこしたことはないよ?」
「なんでいつも殺意高めなの?」
私は元来気が小さくて臆病な性格であるため、避けられない脅威は二度と立ち上がれないくらいに打ち負かしておきたいのだ。チワワやロボロフスキーハムスターが見かけによらず凶暴なのと同じ原理である。私の場合は外見が派手なので、どちらかというとイソギンチャクとかのほうが近いかもしれない。
「円満に切れない縁だった場合に備えて、次善の策として打倒できるのは大事だと思うんだよ」
「君、そういうとこあるよね」
友人は遠い目をした。
しかし、私とて別に上司に憎悪を燃やしているわけではない。視界に入らないならそれでよし。入ってかつこちらを攻撃するなら相応の報復を与えたいだけである。
「突然、その上司が自然派に目覚めて山村に移住して、二度と都市部には現れないとかでもいいんだけど」
「追放刑かな」
私の友人だけあって、なかなかキレのいいツッコミである。
「別に相手の不幸を願ってるわけじゃなくて、こちらがあらゆる手段で幸福に近づきたいだけだから、別に手段が戦勝でも良くない?」
「発想が悪役なんだよなぁ」
文句もいいながらも友人は私の勧めにしたがい祈ってくれた。私は隣で友人の勝利を祈った。
ちなみに、かなりがちめに祈っているひとは珍しくなかったので、どれだけ熱心に祈っても境内でうくことはなかった。
闇である。
さて、次は高木神社。
今では恋愛の縁結びやアニメコラボで有名だが、もともとは色恋よりも心願成就や商売や交渉の結びのご利益の神社なので、仕事関係にも適しているのだ。
こちらでは、友人は自分に別の仕事の縁ができるか、あるいは上司が別の良縁に引かれて他の道へいくようにお願い。
私は最近他のチームの仕事があふれて手伝いに駆り出されていたシステムが、近年稀にみるアホみたいな作りでうんざりしていたのでその仕事との縁切りと、人手不足なのでよい仕事仲間との出会いを祈願した。なぜ縁結びで有名な神社で縁切りを願っているのかは自分でも分からなかったが、友人の心願成就を祈る間に、自分の欲とも向き合うことになったのかもしれない。
この高木神社、お守りやグッズがおむすびの形で可愛いことでも人気の神社。かわいすぎるお守りの数々に我々のテンションも上がった。
御朱印がニ種類あったので、両方の御朱印もらい、互いにおむすび型のお守りを送りあった。
なお、こちらも縁結びで有名なだけあって、絵馬は縁切りスポットほどでないにしても闇であった。こんなのを毎日聞かされては神様仏様も大変である。もしくは、意外とワイドショー感覚で楽しんでいたりもするのだろうか。そうだとすると、それもまた闇である。
そして、縁切り&縁結びツアーから一月。
神頼みの結果はというと、
友人→上司は妙に出張とトラブルが続きほぼオフィスにいない状態が続く。
ガチャで神がかった出目が2週間続く。
探しものが続々見つかる。
私→縁切りを願ったシステムに致命的な欠陥が見つかり、緊急メンテナンス。私の担当から外れる。
数ヶ月経っても復旧できず、そのままサービス終了したと風の噂できく。
縁切りの本気度がエグかった。
用意できなかったご縁の分は他の願いに振り分けましたということか。
友人は上司がいなくなって少し元気になった。
私は露骨に仕事が楽になった。
そしてきっちりニ種類、妙にもの関係の運が向上した(出版社在庫なしで手に入らないはずの本がふらりと入った滅多にいかない書店で見つかるなど)。
縁切り&縁結びがどれほど効果があったのかは不明だが、偶然でも自分に都合が良すぎてやや不安になったため、お礼参りにはいった。
『神様の縁切り縁結びは極端から極端に走るので、困ったときの神頼みは最後の手段』というのは、京都在住時代にあちこちで聞いた話だ。京都には有名な縁切りスポットがいくつもあったため、戒めとして言われていたのかもしれない。
あまり縁切りも縁結びも必要としない人生を歩んできたので、「ふーん、そうなんだ」としか思っていなかったが、なんというか、今回の一件で神頼みというのは思うより心の持ちようへの影響は大きいのかもしれないと思った。願望を文章化するのが祈りの一歩目なのだから、無理もない。
神頼みは、自分の闇と向き合う覚悟が必要だ。