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清須会議以降
映画『清須会議』
今観たら面白かったです。
信長の長男織田信忠の息子である三法師さまをご当主に!と提案された流れわかりやすかったのと、
お市の方の心情が計り知れないよ。
秀吉の人たらしっぷり、大泉洋が似合ってた。
清須会議のあと、
●秀吉が賤ヶ岳の戦いで柴田勝家をやぶる。
「信長さまのあとをつぐのはこのわしじゃ」
●織田信雄(のぶかつ)信長の二男
「父上のぞうりとりだった男が、、
おもしろくない、、。」
●浜松城にいる家康
織田信雄からのお手紙
「これ以上秀吉のすきかってにさせておくことはできない」
一緒に秀吉とたたかおう。
たしかに秀吉は織田信孝(信長の三男)。(柴田勝家と手をむすんでいた。)を自害させるなど、やることがひどすぎますな。
で、小牧・長久手の戦い
●秀吉方の大将羽柴秀次がやぶれ、
池田恒興、森長可とかの武将が討ち死に。
やがて秀吉は、信雄と講和を結びました。
家康は
「信雄どのが講和しては、たたかう理由がない。フゥ」
秀吉と家康のこの戦いはいったいどちらが勝ったのか?
秀吉はもはや天下をとったも同じ男。
その秀吉に対して、
家康はしたがわなかった。ほかの大名とはわけがちがうところをみせつけた。
つまり家康の勝ちじゃ。
やがて、豊臣秀吉が天下を統一して家康は有力大名となりました。
(家康目線のわたし。)