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古戦場で感じたもの
私はなぜか戦国時代に惹かれます。
先祖が瀬戸内の海賊(の下請け)だったこともあり、戦国の世には興味津々です。
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そういうこともあり、かなり前に北陸出張の際『戦国古戦場ツアー』を敢行しました。
今回は、そこで感じたことをお伝えしたいと思います。
大垣
大垣には有名な城があるという事で、車で向かうことにしました。
途中渋滞や道迷いに時間を取られ、大垣市に着いた時には午後7時頃となっていました。
いそいでホテルを取り、チェックイン後商店街を歩いてみることにします。
食料を買い込みさらに歩くと、なんと城の脇に出て来たのです。
「うーん、こんな所にあったのか」
何だか気が抜けたことを思い出します。
結局営業終了時間なので中には入れず、見ただけで終わりました。
あくる日、朝食後行ってみようと思いましたが、何だか気が向かずそのまま関ケ原に向かって出発です。
関ケ原古戦場
関ケ原は戦国ファンなら誰でも知っている場所ですよね。
自動車で関ケ原入りし、激戦地や三成公本陣などに行ってみました。
石田三成が陣を構えた笹尾山から見ると、関ケ原での諸将の布陣が一目瞭然です。
ここから激戦地と言われる田んぼまで、すぐそこです。
大勢の人が戦死したのも、手に取るように見えるほど近くにありました。
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さっそく笹尾山を下りて、激戦地に行くと背中がゾワゾワするような感覚になります。
ヘナチョコ霊感の私ですから、先入観からくる錯覚だったのかもしれません。
家康公が先勝後、首実検をした場所は陰気でイヤな雰囲気だったのですぐ去りました。
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姉川、小谷城
関ケ原から次に向かったのは、浅井家の本拠地『小谷城跡』です。
城のふもとを流れる姉川流域で、織田・徳川連合と浅井との合戦があった古戦場にも足を運びました。
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小谷城跡は『クマが出ました』という看板が登り口にあり、車で少し進んだ後ビビって引き返しました。
ここまで来て、もったいないけどクマには勝てません。
小谷城のふもとに少し広くなった場所があり、看板に『血原』と書いてあります。
姉川合戦の折、浅井方の兵士が大勢戦死し、ここが真っ赤に染まったところからつけられた地名だそうです。
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はっきり言って、今回の旅で一番恐ろしい胸騒ぎを覚えました。
現在はきれいな公園になっているという事ですが、次に行くには勇気がいるでしょう。
賤ケ岳
小谷城から賤ケ岳に向かいましたが、どこが古戦場なのかはっきり分からず、それらしき場所で写真を撮るにとどまりました。
ああ、情けない・・・
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金ヶ崎城跡
次に訪れたのは敦賀市にある『金ヶ崎城跡』です。
信長公が浅井長政公の謀反により、大慌てで京都まで撤退したことで有名な場所です。
ここにも入り口に『クマ注意』の看板がありました。
町に近く、港や石炭の集積所などがある地域なので、こんな所にもクマが出るのか、と驚きました。
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ビビりながらも登っていくと、城跡の石碑がありました。
霊的なものは感じませんでしたが、信長撤退戦の始まりだった場所ということで感慨深いものがあります。
水戸天狗党
敦賀市には金ヶ崎城の他にも歴史的な場所があります。
敦賀市は幕末の水戸藩で、尊王攘夷を旗印に集まった『水戸天狗党』終焉の地でもあります。
彼らが真冬に裸で閉じ込められたニシン蔵が再現してあり、処刑された武田耕雲斎をはじめとする天狗党の墓所もあり、彼らの無念の思いが漂う場所です。
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志半ばで武士の尊厳を無視された処刑に、彼らの怒りが伝わるような空気が漂い、全身が震える場所でした。
戦国の世
数か所合戦の場所や城跡、幕末の志士たちの墓所を回ってきました。
戦国や幕末にロマンを重ねる人はたくさんいます。
しかし、多くの人の命が消えて怒り、恨み、無念さが渦巻く時代であったことも確かです。
古戦場巡りをして、実際に人がなくなった場所に立つと勇ましいだけではなく、亡くなった人の悲しみまで伝わってきます。
あらためて合掌。