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里見城跡に行ってみました

群馬県出張を利用して関東水軍の雄、里見家の発祥の地里見郷に行ってきました。

今回は下里見という所にある『里見城跡』を訪ねた記事を上げたいと思います。

高崎城へ

私は出張族でして、日本各地津々浦々を旅して回っています。
いつもは東京で会議を行っているのですが、今回は忘年会を兼ねて群馬県の『磯部温泉』でやろうということになりました。

さて磯部なのですが、東京から高崎までは新幹線でスイスイ行けるものの、高崎から磯部までローカル線が一時間に一本しか運行していません。

高崎駅で乗り換えるのですが、なんせ一時間待ちなので近くにある『高崎城』に行ってみることにしました。

高崎名物『高崎だるま』

駅から歩いて10分程度、堀と石垣が見えてきました。
天守閣などはありません。平城なので山を登る必要もなく楽勝でたどり着きます。

城跡はほとんどが公園になっていて、城という雰囲気はありません。
石垣と櫓や門が多少残っている程度です。

典型的な平城 現在はこの櫓と隣の門くらいしか見どころがない。

ここは北条家に従属した和田家の城で、秀吉の北条攻めの折には前田利家と上杉景勝の軍に攻められて落城しています。
その後は廃城となりました。

何故か藁の象が作ってある。?

磯部から下里見へ

磯部温泉で会議をしたのち、宴会が始まり『伊勢佐木町ブルース』などを歌って大いに盛り上がったのは良いのですが、次の朝にも会議の続きがあり皆お疲れモードです。

ようやく午前中の会議が終わり解散となりました。
高崎行の電車の時間が迫る中、走って磯部駅まで急行したので汗びっしょりです。

高崎駅からバスで約30分、下里見で下車しました。
このバスも1時間に1本しかありません、30分後のバスを逃すと新幹線に間に合わないので短時間で里見城を見聞することにしました。

この丘が『里見城』跡。

城山神社と里見城へ歩く

グーグルマップで見たところ、里見城跡はすぐ近くです。
農道のような道を歩くとチョー巨大な鳥居が見えてきました。
どうやら里見家を鎮護する『城山神社』らしいです。

神社自体は小さな御社だが、鳥居は超巨大!

小さいけれど地元の人々に大切にされている様で、掃除が行き届いていました。
この神社のご加護で、里見家が関東水軍の雄に上り詰めることができたのかもしれません。

城山神社から2~3分のところで、細くて草ボーボーの道にマップが案内します。

この道の奥に城跡が? マジか!


恐る恐る藪の中に分け入ると、あたりがパッと開けて草の伸びかけた広場が出てきました。

何とそこには『里見城跡』と書かれた棒が立っているではありませんか。
どうやらこの草っ原が里見城跡らしいのです。

里見城跡

ただの草っ原にしか見えない城跡ですが、房総里見氏の発祥の地で里見家の祖先新田義貞公が領有した場所だと思うと感慨深いものがあります。

里見城の標識棒とまなきねこ

説明板では堀や土塁跡があるようなのですが、草をかき分けて見つけなければならず、時間の余裕もないので辺りを見回して写真を撮るにとどめました。

この城は長野氏に従った里見氏の城でしたが、武田信玄の上州攻撃の際、落城し廃城となりました。

見たところ多少小高いとはいえ、こんもりした丘の上に作られた防備の弱い城で、石垣などもないところを見ると城というより居館跡と言った方がいいのかもしれません。

城跡のすぐ近くにある城山稲荷

最後は武田の武者たちに蹂躙されたのでしょうか?
里見の武士たちの末路はどの様なものであったか、気になるところです。

上州の山々から海の覇者になる

里見と言えば江戸湾に冠たる海洋豪族です。
北条家と数々の戦闘を繰り広げ、江戸湾の権益を争いました。

その里見家の発祥が、群馬県の山々に囲まれた小高い丘であったことは興味深いことです。

群馬の山は見た限りでも高く険しい山容をしています。
山陰出身の私がいつも目にしている、中国山地の山々とは比べるべくもない峻険さでした。

峻険で怪異な形をしている上州の山々

この山々から生まれた武士団が海の世界を支配するに至った事実は、人間の可能性や環境への適応性の高さを教えてくれる出来事だと思います。

さて、次はどこの城に行きましょうか。



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