遠野 花巻にて
昨日大山登山のつぶやきに遠野高等学校の皆さんから「スキ」をいただきました。
とても嬉しくて、遠野に行った時のことも思い出しました。
いつか書こうと思っていましたが、この機に『遠野』と『花巻』に行った時のことをご紹介しようと思います。
花巻へ
出張族の私は2014年4月に新潟へ出張しました。
当時バカな私は新潟は東北地方だと思い(新潟は北陸)、一度行ってみたかった岩手県はすぐ近くだと勘違いしていたのです。
岩手県の花巻市は大好きな『宮沢賢治』さんの故郷なので、思い切ってレンタカーで岩手に向かいました。
羅須地人協会
まず初めに行ったのは賢治さんが農民を集めて文化活動を行った『羅須地人協会』という建物です。
この建物は彼が教鞭をとった花巻農業高校の移転先に、偶然建っていたのを発見されたという奇跡のような縁に結ばれた建物で、今の場所に移転されたとのことでした。
この質素な家で賢治さんが音楽活動をしたり、芝居の稽古をしたりしたと思うと感慨深いものがありました。
宮沢賢治記念館、イギリス海岸
市内のホテルに泊まり、次の日『宮沢賢治記念館』に直行、彼にまつわるものを見、敷地内の森を見学して童話の世界に浸った後、『銀河鉄道の夜』に出てくるイギリス海岸に向かいます。
イギリス海岸は北上川の一角にある川岸で、賢治さんに興味のない人には全く何の感慨も無い所でしょうが、私にとっては特別な場所です。
小説のシーンを思い浮かべながら川の流れを見ていました。
この日の夜は賢治さんが通ったという『藪蕎麦』という蕎麦屋で、サイダーと蕎麦の『宮沢賢治セット』を食べました。
彼は酒ではなく、サイダーで一杯やりながら蕎麦を食べたという事です。
遠野へ
次の日、これまた私の大好きな『遠野物語』の舞台遠野市へ移動しました。
以前の記事で娘と馬の悲恋物語『おしら様』を書きましたが、ここ遠野は何とも不思議な空気感を漂わせている町なのです。
駅前のレンタサイクルでこの不思議な町を散策することにしました。
カッパ渕
おしら様の次に向かったのは『カッパ渕』です。
むかしカッパが出没したという事でしたが、狭くて浅い用水路のような川を見て、「カッパがここに出たのか?」と笑いが止まりません。
森の入り口にある鳥居
次に山口の水車に向かいます。
途中山裾の森の入り口に鳥居が現れました。
この鳥居の奥には神社はありません、ただ森が続いているのです。
何だか古代からこの地の主であった神様が存在するような気がして、ぞっとするような胸騒ぎを感じ、足早にペダルをこいで鳥居を後にしました。
山口の水車
山口の水車は観光用に整備された水車小屋ではなくて、昔からの建物をそのまま保存した水車小屋です。
素朴な小屋を見ていると、遠野の人たちの素朴で優しい気持ちが伝わってくるようでした。
デンデラ野
ここからほど近い所に『デンデラ野』という場所があります。
むかし年老いた父母が村を出て行き、老人たちだけでひっそりと生活した場所だとのことです。
姥捨て伝説というものが各地にありますが、ここデンデラ野は村人が老人を捨てたわけではなく、家族と住まいを異にして生活した場所です。
老人たちは昼間は家族のいる村に出向き、農作業などを手伝ってわずかな食料を分けてもらったという事でした。
とはいえ、昔のこの地方のまずしさはデンデラ野に表されるように厳しいものがあったのは事実なのでしょう。
現代の新興国も当時の日本も、急激な近代化と富国強兵政策は都市部と農村部との強烈な貧富の差を生み出したのです。
遠野と花巻にて想う
花巻は大好きな宮沢賢治さんの聖地巡礼となりました。
彼の詩や小説を愛している者にとっては、特別な場所なのです。
賢治さんはこの地の人々を愛し、育むことを自らの生涯の十字架としていたようです。
銀河鉄道の夜の巨大な南の十字架は、その象徴だったのかもしれません。
遠野は民話の里というだけではなく、古くからその土地に存在する精霊が今も宿る場所だと感じました。
森の入り口にある鳥居や山口の水車、デンデラ野には昔から存在する神・精霊を感じさせる空気が流れています。
この二つの土地は今の私たちが失ってしまったものを残し、伝えている大切な場所だと感じました。
また機会があれば行ってみたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?