スーダン紛争
今回はスーダン紛争についてまとめます。
アフリカ55ヶ国中面積第5位、人口第8位、GDP17位のスーダンをご存知でしょうか?
周辺国にはかつてスーダンを支配していたエジプトが北に位置しており、1500年代にイスラム教化されていました。
結論からお話しすると、スーダン紛争はスーダン国軍と準軍事組織RSF(民間の弾圧部隊)の争いです。
まず、1990年代からイスラム原理主義教徒の支持が強い、独裁者のバシール大統領がスーダンを統治していました。
しかし、2011年に南スーダンが分離独立したことにより、スーダンの原油利益が損なわれ、経済が不安定になり物価が高騰しました。
また、スーダンにイスラム教アラブ人、南スーダンにはキリスト教黒人と宗教的にも分かれました。
スーダン国内では民衆デモが起こり、そこにスーダン国軍と準軍事組織RSFが同調した(スーダン革命)ことで2019年にバシール大統領が失脚しました。
その後独裁者が国を統治するのではなく、文民と軍が共同で統治する民政移管を試みたものの、最終的にスーダン国軍のブルハン将軍の独裁政権に変わりました。
次にアメリカとイスラム原理主義という観点から年代別に一連の流れを説明します。
1996年 バシール大統領がビンラディンを国外退去
→ビンラディンがアフガニスタンに行く前にスーダンで一時匿っていたが、アメリカからのプレッシャーにより国外退去を余儀なくされた
2001年9月11日 アメリカテロ
→この事件をきっかけにアメリカがイスラム過激派のテロ組織を壊滅させることを目標にした
→悪の枢軸国(イラク・北朝鮮・イラン)を特に警戒した
2003年 イラク戦争
→イラクのサダムフセインが大量破壊兵器を作ってイスラム過激派のテロ組織のバックアップをした疑惑により、アメリカが中東に介入
2010年代 アラブの春
→サダムフセインの処刑により、軍事独裁政権を転覆させる民主化の動きが現れる
→軍事独裁政権の転覆には成功したが、かつてのテロ組織による断続的なテロや内戦、国民の識字率の低さや政治の知識の不足により民主政治が成り立たず、民主化に失敗
→最終的にイスラム過激派による軍事政権が樹立
2011年 南スーダン分離独立
→アラブ全体の独立と民主化の影響を受けた
2017年 トランプ政権とアメリカがリーダーを務める国連PKOが縮小
2019年 スーダン革命とバシール失脚
2020年国連PKO活動UNAMIDが撤退
→UNAMID : 国際連合とアフリカ連合が共同で行なっていた平和維持活動
2021年 ブルハン将軍のクーデター
→UNAMIDの撤退によりブルハンを止める組織がいない
→周辺諸国(リビア・チャド・中央アフリカ・南スーダン・エチオピア・エリトリア)は内紛で経済力がない
→エジプトはかつてスーダンを支配していた当事国なので助けを求めづらい
2023年 スーダン国軍vs準軍事組織RSF
→民主化を進めようとしたのは軍だが、それを潰しているのも軍
最後に、スーダン紛争はスーダン一国の問題ではありません。アメリカとイスラム原理主義で説明した通り、アメリカが撤退したらどこかが動き出すかもしれないのです。
私たちにできることはスーダンの首都ハルツームをどちらが先に抑えるか、またその後スーダンをどのように運営していくか見守らなればなりません。
最後まで読んでくださりありがとうございました😊