日記の断捨離
日記をつけるのが趣味だ。
古いものでは小学5年生の頃の物もある。
書いてなかったときもあるが、ぽつぽつと記録していた。
なんで好きなのか理由はよく分からないが、文字とかイラストを書くとリラックスできるのである。
ただ、「自分が急にいなくなったら、これ誰が処分するんだろう」と長年どこか心の負担になっていた。
他人の、故人の残した日記ってなかなか捨てられない。
(日記だけじゃなくて、絵とか図工の作品とか、他人の手作りのものって捨てづらくないですか?)
「躊躇いなく日記を捨てられるのは自分自身だけだ」と思い、意を決して断捨離することにした。
改めて過去の日記を読むと、自分が確実に年を重ねていることを実感する。
「学生時代なんてつい最近だわ。自分なんて若者と感覚そんなに変わらんやろ。」とか思っていたがそんなことはなかった。
確実に今は年老いてる。
このノリで若者と話すと「自分を若いと思っている痛々しい人」と思われてしまうぞ。
調子にのるなよ。
まず、過去の日記は文体が若い。「!」を多用している。おまけにテンションも高い。なにがそんなに楽しいのだ。
そして小さなことで喜びを感じていた。おいしいものを食べたとか、誰かに親切にしてもらえたとか。感性が今より豊かだったのだろうか。
反対に負の感情もチラホラ書かれていた。今だったらそんなに気にならないような人間関係の悩みや、妬みや家族に対する不満など。
全てシュレッダーにかけた。このために家庭用シュレッダーを買ったのだ。
(しばらく手作業でハサミで切っていたが埒が明かなかったため。)
以前は日記を捨てるのが自分の生きた証(そんな大層なものではないが)を捨てるようでできなかった。
しかし、日記を捨てることは、過去の自分を否定することではない。
自分と向き合って前に進むためのひとつの儀式だと思う。
過去に日記を書いていたのはセラピーみたいなものだ。そのときは感情を吐き出すことが必要だったのだ。
今後も日記は書き続ける。たとえ捨てることになっても。