マイルスデイビス〜ジョンマクラフリンそしてジェフベックへ その3

こうしてコード進行というジャズの制限を取り払ったマイルスはモードジャズという革新的な手法をオーソドックスなジャズ楽器編成で名演を収めたアルバムをリリース後、今度は歪ませたサウンドを主体とするエリクトリックギターのプレイヤーにアプローチすることとなる。
ギター経験者なら分かると思うが、ギターはコードの構成音を主体とするフレーズにはあまり向かない楽器である。特にピックを使って演奏することが主体のエレクトリックギタリストに取ってはその難易度は顕著である。

マイルスはまずエレクトリックギタリストとして永遠に語り継がれるであろうジミヘンドリックスにアプローチした。ジミヘンドリックスの若過ぎる惜しまれる死によって実現はしなかったが、実際にマイルスとジミは実際に遭遇していてミニセッションの様なものをやったのは事実らしい。
もしジミが亡くなっていなかったら、マイルスがジャズマンとして最初にエレキギタリストを採用したアルバム、ピッチェズ・ブルーでエレキギターを弾いていたのはジミヘンドリックスだったかも知れない。

しかしながらビッチェズ・ブルーはリリースされた。ギタリストはジョンマクラフリンである。
彼はおそらくジャズに分類されるアルバムで最初にエレキギターを歪んだサウンドで弾いたギタリストであろう。
リリースされたのは1970年、あのジミヘンドリックスが亡くなった翌年である。
ジョンマクラフリンのギターは異色であった。あのジミヘンドリックス及びヤードバーズ出身の三大ギタリストがペンタトニックスケールを主体にソロを引いている時代において、多種多様なスケールを高速で弾きこなすテクニックを駆使する稀有なエレキギタリストだった。当然高度な音楽理論をマスターしていたと想定できる。

ここでようやくジェフベックの話ができる。
すでにジミヘンドリックスは亡くなり、エリッククラプトンはブルースに枯れ、ジミーペイジはレッドツェッペリンに注力、しかもあまりテクニック追求へのこだわりのないギタリストであった。

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