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いとしの儚 《観劇記録》

少し前ですが、品川プリンスステラボールで上演されていた「いとしの儚」を観劇いたしました。今回はそのレポを書いていきたいと思います。

まず初めに、この作品は、私の中で、完全には咀嚼して言語化することができてないんですが、その、鈴さんをみれてよかったなと思ったので、一オタクの感想としてここに書きます。

※作品自体のあらすじや考察というよりかは主演の佐藤流司様のオタクの私が感じたことをただつらつらと書いているだけのものになります。
それを踏まえた上で読んでいただけると幸いです。🙇‍♀️

いとしの儚について

悪道会議さんの旗揚げ公演としての上演だった今作品。
作品自体は、すごく抽象的な表現になるけれど、「汚くて下品、だけど綺麗で鮮烈。」って感じがして、推しさんが出るからとチケットを取りましたが素敵な作品に出会えたと感じました。

そして推しさんの演じる鈴次郎をみて、推しさんがこの仕事を受けて鈴さんになってくれたこと、それを客として観ることができたこと

本当にこの上ない幸せでした。
素敵な芝居だった。

観る前に思ってたこと

正直、私はこのお仕事が発表されたとき、
この作品を、流さん演じる鈴次郎を見るのがとても怖かった。

いとしの儚という作品の取り扱う「愛」と「性」というテーマから、見たことのない佐藤流司を見れる作品で、かつこの作品が間違いなく推しさんにとっての役者としてのターニングポイントになるということはわかっていた。


だけど、私は、私の知らない佐藤流司を見るのが怖かった。


三年ほど彼をいちファンとして見てきて、彼という役者を見てきたと思うし、全ての事柄ではないが多くの彼の情報を吸収し、それらによって私の中で確立された佐藤流司像が既にあった。
そして、既に私の中で構築された佐藤流司像を大きく揺るがしかねない作品との対峙というのは、

あ、違う、こんなの私の好きな佐藤流司じゃない

という圧倒的違和感を感じる出来事である可能性が十分にあるのだ。もし、そう思ってしまったら、これからどうやって生きていけばいいのだろうか。
佐藤流司の新境地を観れるという高揚と、同等の恐怖があった。

それでも見ずに後悔はしたくないから、足を運んだ。

それが今作品の「いとしの儚」である。

佐藤流司の件鈴次郎

この件鈴次郎という男は、本当に私の推しさんなのか、分からなかった。というか正しくは、脳が混乱した、とでもいうのだろうか。

紛れもなくそこにいるのは推しさんなんだけども、最後に礼をするまで、件鈴次郎でしかなくて、カテコで話し始めた際にあぁ、佐藤だ、そうそう、私この人を観にきたんだったと感じるほどだったのだ。

普段他の作品でも佐藤だけど佐藤じゃない、その役である、というのはよく感じるが、今回の作品は段違いに役に入り込んでいるように感じられた。

役でしかない、というのは本当に役にしか見れないということなんだなと思ったし、(当たり前なんだけど…笑)
それができる人である、というのは改めてすごいことだなと感じた。

なんというか、佐藤流司の演技力の現時点での最高到達点を見れたようなきがする。
未知の領域でもきちんとまとめ上げて最高の作品へと持っていけるというのが本当にすごい役者である。

超個人的に思ったこと

また、今回の鈴次郎は、今まで推しさんがだしてるのを聞いたことない声で怯えていたり、全体を通して見たことない推しさんの演技が見れるところも多くて個人的によかった。笑

それと、多分、私は死ぬまで佐藤のオタクだな〜って本能的に思った

この人以上に私の心を掴んで離さない人間に出会えるとは心底思えない。

私の中の最高の芝居を更新し続けるあなたに心酔しているなあと改めて深く感じた日だった。
東京まで見にいってよかったな。

以上いとしの儚レポ(というかオタクの戯言)でした。🫶
最後まで読んでくださってありがとう!


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