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【Face to Face】後世へつなぐ

経験や体験を過去のこととして終わらせるのではなく、決して同じ過ちを犯さない決意を後世へつないでいくことで、明るい将来を目ざせる。

October 2024

 9月も後半になると、秋の気候になってきたと感じるようになりました。暑い夏も、いよいよ終わりを告げるようになったなと思います。私が会社へ入社した1981年頃は、8月の後半に夏が終わるなと感じていたのが、今では1ヶ月も後になってしまいました。8月最後の週のラジオ番組で、小田和正さんの「夏の終り」という歌が流れていました。歌の中で「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい」という歌詞がありました。歌詞は恋人との関係を描いたものですが、夏を過ごした人と冬を過ごした人の感情に当てはめることもできるなと思いました。猛暑と呼ばれる日を過ごした私たちは、少なからず冬に対して憧れを抱いたかもしれません。また、寒い冬を過ごした時は、夏の季節を懐かしむということもあったと思います。この歌は1978年に出されたものです。猛暑と呼ばれる夏ではなく爽やかな風が流れる夏の終りであり、四季を十分に感じることができる時代であったと思います。恋人との関係を表わした歌詞は、人の感情と季節の雰囲気がマッチしていた時代だと改めて感じました。この歌をオフコースというグループが世に出したときは、歌詞の「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい」は、歌いだしに使われていました。その後、小田和正さんがリメイクして出されたときには、この歌詞は途中で使われるようになりました。過去は、四季の変化で人の感情を表現した歌い出しだったのですが、現在の自然環境の変化では、人の感情を表現し難くなったのかなと思ったりします。四季の変化の状況は昔とは変わってしまいましたが、人の感情の変化を歌い繋ぐという思いは変わらないのだと思います。

●コラム「春秋」が伝えたかったこと

 8月の日経新聞の「春秋」というコラムに気になる話題が載っていました。一つは、東京の中学生たちが夏休みの旅行中に戦時下の1945年へタイムスリップするという宗田理さんの小説「ぼくらの太平洋戦争」のことについてでした。小説は、愛知県豊川市にあった巨大軍事工場「豊川海軍工廠」での生活、そこで起こった大空襲の悲惨な状況をタイムスリップした中学生が体験するというものだそうです。そして、宗田さんはあとがきに「戦争の最大の被害者は、いつの時代も子どもたち。にもかかわらず、今も世界のどこかで戦争をしている」と記されています。悲しい体験は様々な手段で伝え、2度と同じことを繰り返さないようにすべきだとコラムは締めくくっていました。もう一つは、太平洋戦争の時に日本の各地を爆撃した米国爆撃機B29をテーマにした企画展が、軍需工場があったことでたびたび空襲を受けた東京都武蔵野市の「武蔵野ふるさと歴史館」で開催されているというものでした。B29の製造工場の紹介映像は、圧倒的な国力の違いを示しています。当時首相直轄の研究機関がはじき出した対米戦のシミュレーション結果は「日本必敗」であったというものでした。政府はこの結果を黙殺して戦争へのめり込んでいったという歴史を、日本の次のリーダーは繰り返さないことを誓ってくれるのだろうかという内容でした。2つのコラムを読んで感じたことは、現在の日本の平和は、一朝一夕に成しえたものではないということと、この過去の経験、体験を決して風化させてはいけないということだと思いました。この2つのコラムを読んで、「豊川海軍工廠」があった「豊川海軍工廠平和公園」とB29をテーマにした企画展が開かれている「武蔵野ふるさと歴史館」へ行ってきました。

●大規模な軍事工場ゆえの悲劇

 「豊川海軍工廠平和公園」へ行って案内ガイドの方に話を聞くと、私と同じように新聞のコラムを見て来たという方が多くなったとおっしゃっていました。海軍工廠とは、艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造する日本海軍の直営軍需工場のことを言います。豊川市は海に近いとは言えない立地なのですが、海軍の航空機用機銃の生産であったことと、起伏が少ない場所であったという点で選定されたそうです。建設当時は、3町1村(宝飯郡豊川町、牛久保町、国府町、八幡村)がこの土地に存在していました。戦争が進むにつれ航空機が戦闘の中心となり、航空機用の機銃や対空機銃の需要が高まったことで工廠が発展し、3町1村が合併して豊川市になりました。最盛期は、5万人以上の人々が働いていたそうです。このような状況から、豊川海軍工廠は東洋随一の規模と言われていました。この大規模な軍事工場であったことで、1945年8月7日にB29爆撃機が124機も飛来し、30分間に500ポンド(250kg)爆弾を3,256発(約800トン)も投下しました。この空襲で、工廠で働いていた国民学校の児童生徒を含む2,500人以上の命が奪われたそうです。コラムの中で、タイムスリップした生徒の一人が思っただろう記載がありました。「戦争っておれたちが考えていたのとはまったく違ったな」というものです。私は戦後の生まれですから、当然、戦争を知りません。もし、小説「ぼくらの太平洋戦争」で記載されているようにタイムスリップして戦争の悲惨さを経験したら、同じようなことを考えたと思います。太平洋戦争の終戦から80年近くも経っているので、このような悲惨な出来事があったことは、経験者の証言やそれを伝え聞いた方々の語りでしか知ることはできません。豊川海軍工廠平和公園の平和交流館には、海軍工廠で働いていて亡くなった多くの方々の記録や遺品が残されています。特に、動員された生徒や女学生の日記や遺書を読むと、熱いものがこみ上げてきます。今も世界のどこかで戦争が行われています。その戦争の多くの犠牲者は、戦争という行為とは関係のない普通の人々、特に子どもたちです。このような悲劇を後世に伝えていくことで、平和な世の中を目ざすことへつなげていきたいと感じました。

豊川海軍工廠平和公園内にある豊川市平和交流館
公園内にある当時使用されていた旧第一火薬庫
旧第一火薬庫の内部(3部屋の火薬室が存在)
中央の火薬室(当時の部屋を再現、壁は二重構造で室温が外より5度ほど低い)
一番手前の火薬室(中の壁板が外されて二重構造が分かるようになっている)
外観は小高い土塁に囲まれた旧第三信管置場
土塁の中には置場としての建物が存在している
当時使用されていた街路灯(柱身だけが通路脇に残っている)
豊川海軍工廠の名残:工廠引込み線、佐奈川橋梁
豊川海軍工廠の名残:正門(現日本車輌製造豊川製作所)
豊川海軍工廠名残:ケヤキ並木(正門から南に延びる道路の両側)
豊川海軍工廠名残:海軍境界杭(敷地の境に設置された標柱)

●忘れてはいけない戦争の記録と記憶

 もう一つの訪問場所は、中央線の武蔵境駅の近くにある「武蔵野ふるさと歴史館」です。ここでは、豊川海軍工廠をも爆撃した米国爆撃機B29をテーマにした企画展が開かれていました。メインは、米国立公文書館で発掘した1944年の映像資料です。戦争のための爆撃機を造っている映像がずっと流されています。この映像を見ていると、豊川海軍工廠平和公園の平和交流館の展示内容とのギャップに驚きます。豊川の平和交流館に展示されている写真には笑顔が一切ありません。一方、武蔵野の歴史館での米国の映像は多くの方々の笑顔で溢れていました。両者の中に登場している方々は、軍の関係者というよりは、普通の民間の方々です。豊川の写真には動員された生徒や女学生が多く、武蔵野の映像には主婦を含む多くの女性や若者が登場していました。兵器を造る材料にも乏しく造るための工具も十分でない日本と、たっぷり積みあがったアルミニウム材料を誰でも取り扱えるよう工夫された工具類を使う米国との国力の差を痛感しました。コラムに記載されている優秀な若手を集めて組織された首相直轄の研究機関がはじき出した「日本必敗」は、間違っていなかったことを示していると感じます。この国力の違いにより造り上げられた爆撃機B29により、武蔵野にあった中島飛行機武蔵野製作所も大きな爆撃の被害にあいました。今回の展示では、映像資料だけではなく、「B29を地上から見た」「墜落機を見に行った」などの様々な証言をもとに、戦争の記録と記憶の継承が行われていました。また、これらの記録と記憶の継承にかかる課題についても伝えている企画展でした。

武蔵野ふるさと歴史館に展示されている2000ポンド爆弾(通称1トン爆弾)の模型
(実際に投下され、戦後は不発弾として発見されている)
歴史館に展示されている工場の発展と爆撃被害を伝えるパネル
今回の映像公開に至った経緯を示したパネル
映像資料の概要を伝える

●後世へつないでいくこと

 2つの場所では、違った視点で戦争というものをとらえていますが、共通しているのは多くの犠牲者を出す戦争は決して行うべきではないということです。日本を襲っている台風や大雨といった自然災害の発生を防ぐことは難しいと思いますが、戦争といった人間が犯す行為は防ぐことは可能です。日本は戦争において原爆という大きな被害だけではなく、多くの地域で空襲という被害を受けています。大きな被害だけでなく、多くの場所で大小様々な被害があり、多くの犠牲者があったことを認識する必要があります。経験していないから起こっても仕方がないということではなく、経験から学び経験を伝えていくことで、同じ過ちを犯さないという決意を持つ必要があります。豊川と武蔵野へ行って、そこで起こっていたことを知ることにより、後世へつなぐということの重要性を改めて感じました。

空襲で犠牲となった豊川海軍工廠従事者を慰霊する供養塔
平和の像(二度と戦争を起こさないシンボルとして豊川市に建立)

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