【Face to Face】麓と頂
梅雨が終わり本格的な夏がやってきました。先月のメッセージにも書きましたが、太陽の黒点が多い年は猛暑になると言われています。札幌市天文台の方も、今年は黒点の数が多いと言われていました。もう既に猛暑になっていることを考えると、やはり太陽の黒点が多い年の夏は猛暑になるようですね。猛暑という状況では、普通に屋外に出るだけでも汗をかく状態になります。この暑くて体力が奪われてしまう季節ではありますが、体力を必要とする登山をする方が多くなる時期でもあります。登山というイベントの中でも、世界遺産として登録されている富士山へ一度は登ることを目標にする方々は多いと思います。7月1日に富士山は山開きをしました。海外からも多くの方々が、富士登山を楽しもうと山梨県や静岡県を訪れています。今年から入山者の人数を制限したり、登下山道の使用料を徴収したりするようになりました。この使用料は、安全に登山していただくための登下山道の整備や混雑の抑止活動に活用されるのだと思います。私も2018年8月に初めて富士山の頂上へ行ってきました。富士登山は初めてだったので、初心者に勧められている五合目までバスで行き、途中の山小屋で一泊して頂上を目指すという工程で行いました。頂上に着いた時の達成感と満足感は、今でもハッキリ覚えています。
●五合目より下が本来の富士山?
「富士山へ登る」とは、富士山の頂上へ到達することを意味していると思います。7月2日の日経新聞のコラムに、富士山に関することが載っていました。山好きで知られたドイツ文学者でエッセイストの池内紀(いけうちおさむ)さんが「五合目より下が本来の富士山」ということを仰っていたという記述を見かけました。「混雑が激しい上半分と違って、人が少なく、歩きやすい。古い道が残り、昔の暮らしや信仰の痕跡に触れられるからという。頂上を目指すだけが登山ではない。愛(め)で方の裾野も広げたい。」と書かれていました。私も富士山の頂上へ登ったことで、富士山の全てを理解したように「富士山へ行った」と言っていました。しかし、何を理解したのかと冷静に考えると、理解していることが限られていることに気づかされました。富士山が世界遺産に登録されたのは、日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきたからです。「富士山一信仰の対象と芸術の源泉」として、ユネスコ世界遺産委員会が世界遺産へ登録しました。登録にあたっては、「富士講に代表される信仰と、浮世絵を始めとする様々な芸術を育んだ富士山は、人と自然の共生を象徴する未来に受け継ぐべき世界の宝である」と述べています。世界遺産「富士山」には登録されている構成資産が25件あります。バスで五合目まで行き、そこから頂上へ行った場合は、この構成資産のほんの一部しか見ることができません。富士山の頂上へ登ることだけではなく、世界遺産としての「富士山」を真に知ることも必要だと思いました。富士山の山頂は、火口を中心としてお鉢のような中心がくぼんでいる形状をしています。一周は約3Kmあり、このような形状から山頂の一帯を「お鉢」と呼んでいます。富士山を遠くから眺めると頂上が平らに見えるのは、この「お鉢」があるからです。
富士山の山頂は登ってみることで、どのようになっているかは理解することはできましたが、それでは五合目から下はどのようになっているのでしょうか。世界遺産「富士山」を全部知ることはできませんが、池内紀さんが仰っている五合目から下について知ってみたくなり、富士急行線の富士山駅から吉田口登山道五合目までを歩いてみることにしました。
●五合目より下を歩く
池内紀さんのインタビュー記事は、2013年頃のものなので、その当時とは様子が異なるだろうと思いながら訪ねてみました。富士山駅を出て富士山へ向かうメインの通りを歩くと、道路をまたぐように建つ鳥居に遭遇します。富士山信仰の世界への入口と考えられている富士吉田のシンボル「金鳥居(かなどりい)」です。かつては青銅を意味する「唐銅(からかね)鳥居」と呼ばれていたそうですが、それが訛って現在の呼び名となったとのことです。
この鳥居をくぐって進んでいくと、世界遺産の構成資産の一つであり、富士山吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社に到着します。参道入り口の鳥居と参道奥に在る高さ18mの日本最大級の木造鳥居である富士山大鳥居を次々とくぐって、吉田口登山道の出発点となる「登山門」に到着します。
ここから登山道へと入っていきます。暫く平坦な道を歩いていくと、「馬返し」までの中間点にあたる歴史を感じさせるお茶屋さん「中の茶屋」に到着します。
これ以降は少し勾配が急になった道を同じ時間歩いて「馬返し」へ着きます。「馬返し」と呼ばれるのは「登山道で道が険しくなり、乗ってきた馬を帰して徒歩に変わる地点」だからです。ここがゼロ合目に当たる場所で、ここからが本格的な山登りになります。両脇に合掌する猿の像が配置されている「馬返し」の象徴的な石造鳥居をくぐると、急勾配の山道になっていきます。
一合目から順に登り、五合目の佐藤小屋までが池内紀さん仰っていた本来の富士山になります。昔は多くの方々がこの道を歩いて富士山登拝(信仰の山である富士山を登るときの表現)を行っていたのです。山道のいたる所に昔の暮らしや信仰の痕跡をみることができました。五合目までの山道は林の中を歩いているような状態ですが、五合目に到着すると景気が一変して、樹木が少ない世界が広がりました。
●麓と頂の関係
今回は、「麓(ふもと)と頂(いただき)」というタイトルでメッセージを作成しました。今まで述べてきた通り、富士山の頂上を目ざして登山することと世界遺産としての「富士山」を知ることは、少し目ざすものが異なるだろうと思います。池内紀さんの言葉を知って、私たちの人生の中にも麓と頂が必ず存在しているなと感じました。山の麓から頂上を眺めていると、その頂上へ行ってみたいと思い、頂上を目ざして山を登ります。私たちの生活の中でも立場とか地位といったものがあり、低いところから高いところへの憧れがあり、その高いところを目ざしたいと努力をします。山の頂上を目ざすのと同じだと思います。山の頂上から麓を眺めると、素晴らしい景色が広がっていることにも気づくと思います。頂上は憧れでもありますが、頂上からの麓の眺めも私たちの心を晴れやかな気持ちにさせてくれるものです。頂は麓があって成り立つものであり、麓は頂があるから、その存在を認識できるものです。両方が共にあるからこそ山というものが存在していると思います。立場や地位が高いものは、低いものからの憧れですが、高いものは自分も低い立場や地位であったことを認識し、その立場や地位を向上させる努力を怠ってはいけないと思います。以前のメッセージにも記載した「トップダウン」と「ボトムアップ」の関係に似ているのではないかと感じました。しかしながら、頂を目ざすものは、その頂に到達すると次の頂が目に入り、それを目ざすことに注力してしまいます。頂に到達した場合は、その場所を新たな麓とする活動を行い、麓が豊かになった時に次の頂を目ざすという考えが良いと思います。そうすれば、常に麓を知っている方が頂を目ざすということで、お互いが良い関係になっていくように思います。富士山の頂上へ到達した方は、世界遺産としての「富士山」がどのようなものであるかも理解することで、真の富士山を理解することに繋がるような気がします。
●山の日に考えよう
8月11日は「山の日」です。山の存在、山の麓と頂上など、山に関することを改めて考えてみては如何でしょうか。山に登らなくても、山の麓の文化や習慣などを理解するだけでも、その山の存在を理解することに繋がると思います。「登るだけが登山ではない」という言葉もあるように、登山の楽しみ方も様々だと思います。少し高いところへ行くだけでも、普段とは違う発見ができるかもしれません。今年の「山の日」は、ちょっと高い場所へ行ってみて、普段とは違う気分を味わってみてはいかがでしょうか。
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