そして母になる 第2話 解答編と後日談
解答編
しかし一体何から考えるべきなんだろう。部屋はずっと鍵がかかっていた。だからシンプルに考えて、扉は開けられなかったという事になる。密室の中の女性を妊娠させる方法なんてあるのだろうか。彼女の部屋の中は昨日のままだった。何もおかしなところはない。机があり、その上に昨日飲んだお茶がそのままになっている。
「カップが二つあるな。恐らく彼女は犯人と二人でお茶を飲み、その後ベッドインしたんだ。クソ、殺してえな」
沢越が怒っていた。それを飲んだのは俺だった。でもここで言うと「てめえ、何二人でお茶してるんだ」という感じでボコボコにされるだろう。それなので俺は話を逸らすことにした。
「でも彼女は誰ともそういうことをしていないと言っていました。もし寝ていたとするなら、そんなことは言わないですよね。やっぱり誰かが寝ている彼女にそういうことをしたんですよ」
「そんなこと言ってもなあ。鍵を開ける方法なんてないし、やっぱり誰も入れないだろ。ただこういうふうに考えていくと、犯人は密室に入らず、彼女を妊娠させたってことになってしまう」
そうなると、犯人は誰もいない? いや、ちょっと待て。
「さっき説明しましたよね。男性の精液が体内に入ると妊娠するって。でも最後までちゃんとニュースを見ていないんですよ。だからもしかすると俺たちが思っているように、セックスに限らないのかもしれないです。つまり本当に、字の通りに、精液が体内に入るのかもしれない」
「つまり精液を彼女が飲んだとかってことか。ならこのコップが怪しいんじゃないか」
彼は机の上のコップを見た。その周りには水飛沫が飛んでいる。俺は指で少し触れた。
「うわ、粘ってる。気持ち悪い」
俺は手を振って、指に付いたものを飛ばした。精液が彼女のコップに入ったことは分かった。でもどこから入ったのだろう。あの時部屋には彼女以外には俺しかいなかった。でも俺は彼女のコップに精液なんていれていない。
その時、俺は自分の部屋で起きたことを思い出した。酒が零れてきたように、こっちでももしかすると……。
天井を見るとシミが出来ていた。間違いないだろう。あのシミは精液によるものだ。
「うわ、汚い。っていうか、この上ってあなたの部屋じゃないですか。え、あなたが犯人? 」
「あー、そういえば昨日オナニーしてたからなあ。あははは、そうか僕が犯人か。童貞を捨てる前にパパになるとは思ってなかったけど。まあ、彼女をボテ腹にできたと考えると気分が良いな」
沢越は笑顔を浮かべている。
「いや、あなたが犯人なら彼女に謝ってください」
「何で? たまたま彼女が妊娠しただけで、僕はオナニーをしていただけだ。まさか、それが罪になるのか?ならないだろ。それに僕は絶対に子どもを認知しない。だってセックスしてないし」
「アンタって人はどこまで腐っているんだ」
「おいおい、僕だって被害者なんだぜ。まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかったよ」
彼は笑いながら、部屋を出て行った。前々から思っていたが、やはりまともな人間ではない。俺はあいつと距離を置こうと思った。もう全てが不快だった。俺は自分の部屋に戻った。もうここから出よう。こんな変態のいない、まともな人しかいない場所に住もう。
その時救急車のサイレンが聞こえた。まさかまた救急車が来たのか?
防護服を着た救急隊員が俺の隣の部屋をノックしていた。ドアの鍵が開く音がする。部屋の中にはお腹が大きくなった伊藤がいた。彼は救急隊に担架に乗せられた。
「え、あの、付き添いとかしましょうか? 」
「一体何でこんなことに……私は何もしていないのに……」
彼は涙を流していた。俺は何が起こっているのか分からなかった。
「ふざけんなよお前ら。本当にもう男性は……」
救急隊員にまたキツイ事を言われる。彼はそのまま運ばれていった。俺は彼の部屋の天井を見た。そこにはシミが出来ていた。その下には彼の蒲団が敷かれている。
「そんな、男性が妊娠するなんて」
今見た物を信じられなかった。精液が体内に入ると妊娠する。まさかそれは性別を問わないという事なのか。
「うぎゃああああ」
二階の部屋から悲鳴が聞こえた。俺は悲鳴の方へと向かう。何だか嫌な予感がする。
伊能の部屋のドアが開いていた。中から沢越が血相を変えて出てくる。「おい、やべーぞ。また妊娠した、しかも次は男だ」
彼の後ろから伊能が出てきた。その腹は大きくなっていた。やはり男も妊娠をするんだ。でもなぜだ? 伊藤は上から精液が落ちてきたが、ここは二階だ。どこからも精液が落ちてきたりはしない。
「もしかして、精液を飲んだりしました?」
「そんなことするわけないだろ。マジで何が起こっているんだよ」
その時、突然沢越がしゃがみこんだ。苦しそうな声をあげている。驚くべきことに、彼の腹が大きく膨れ上がっている。
「くっそ、何でこんなことになってるんだ」
俺はこの二人の恐るべき共通点に気づいた。その時、共用スペースのテレビから音声が流れてきた。
「男性の精液が体内に入ると妊娠するという現象が世界中で起きています。恐るべきことに毛穴からも侵入し、そして男性、女性共に妊娠をしてしまいます。専門家によるとこのような異常な現象は見たことが……」
恐るべき情報が告げられていた。そうだ、彼ら二人は昨日オナニーをしていた。その際に手の毛穴から体内に入った。
その時、腹に痛みを感じた。俺もさっき沢越の精液に触れてしまっていた。
「い、痛い」
俺のお腹は大きくなっていた。
ドアの開く音がした。足利先輩も妊娠していた。
「なんかさっきオナニーしたら、こうなったんだけど」
俺たちは、一人残らず妊娠した。ここにいる全員が母になってしまった。終わり。
え、気持ち悪すぎる。何だ、このおぞましい解答は……。全然予想もしなかったような展開になった。
「でも結局僕の推理は合ってたってことでいいんだよな」
「鷹司を妊娠させたのは沢越っていう推理か?」
「そうだ。予想外の展開だったけど、結局彼女を妊娠させたのは沢越だったじゃないか」
「そうだな、それはあってる。彼女を妊娠させたのは沢越で間違いない。でもこの犯人あて小説に対する解答としては、不正解だ」
「今あってるって言ったじゃないか」
「だから、違うんだよ。この問題はそもそも鷹司を妊娠させた犯人なんて聞かれていないんだ」
「でもお前さっき、俺が正解したみたいな反応だったじゃないか」
「いや、俺は一度もお前が正解したなんて言っていないぞ」
彼は笑いながらそう言った。
「冒頭部分をもう一度読み直してみろ。被害者が疑わしい人物について考えている場面だ。思い浮かべているのは「彼か彼、それとも彼。まさか彼?」。つまり四人の人物について考えているな」
「それの何がおかしい? 鷹司から見て、自分を犯した可能性があるのは沢越、伊能、伊藤、足利、語り手の沢永の五人。あれ、一人多いじゃないか」「そうだ容疑者は四人じゃないといけない。という事は冒頭の語りは、鷹司じゃないってことだな。それに彼女の一人称は平仮名で「わたし」、だが冒頭の一人称は漢字で「私」。だからこの問題で聞かれている妊娠した人物とは、彼女以外のメンバー、つまり男性ってことだ」
こいつそんな姑息な事をしていたのか。僕は反論を試みる。
「冒頭の語りとは合致しないかもしれない。でも鷹司だって被害者なんだから、これも別解として認めるべきだろ。つまり僕の答えだって間違いじゃない」
「被害者を妊娠させたのは誰か当てろって書いただろ。わざわざ冒頭で被害者のモノローグって書いているんだ。ここで指してる被害者なんて、冒頭の語りの人物に決まっているだろ」
「う……。じゃあ、あれはどうなんだよ。伊藤は上から垂れてきた精液で妊娠したっていう部分。何で上から落ちてきた精液が上手い事かかるんだよ。そこはおかしいだろ」
「おいおい、しっかり読めよ。そんなの彼の部屋の中の描写から分かるだろ。彼の部屋は壁一面に本棚が並べられており、奥のキッチンを除くと前後ろ、右左、どこを向いても本棚がある。本棚の上にはつっかえ棒がされている。と、こう書いてあったな。それに彼の窓には保護フィルムが貼ってあったな。これは彼の部屋だけだ。最初に沢永は部屋中に散らばった窓の破片を集めているよな。保護フィルムを張っていたらそんなに飛び散らないはずだ。だから沢永が特別に貼っているんだと分かる。ここから彼は地震を人一倍心配しているということが分かるな。そんな奴が部屋の中で眠るとしたらどこだ?」
「そんなの分かんないだろ」
「いや、分かる。答えは部屋の真ん中だ。なぜなら壁一面に本棚が並べられているからな。もし地震で倒れた際に、下敷きにならないようにするなら、本棚の下では眠らないだろ。だから結果として彼は部屋の真ん中で眠ることになる。その結果部屋の真ん中でオナニーしてたやつの精液を受ける事になったんだがな」
彼はずっとへらへらしながら解説をしている。
「ふ、ふざけんな。さっきまで指摘しなかったけど、精子が体内に入るで毛穴からとは思わないだろ。伏線だ、伏線を出せ」
「なんだ、伏線さえ貼っておけば満足なんだな。安心しろ、ちゃんと伏線は仕込んでいた。っていうか本当にちゃんと読んだか? まず救急隊員は防護服を着ていたな。つまり触れるとマズイってことが分かるだろ」
「防護服の描写なんて無かっただろ。最後で急に出てきたけど」
「最初に主人公がマスクを付ける場面。「テレビでは医者や救急隊員の人が映画でしか見ないような装備が付けられていた。知らなかったが、非常に感染力の高いウイルスに立ち向かう際はいつもこのような対策が取られているらしい」と書いていたな。つまり今回もそのような対策が取られているだろうという事は予想できるな。そして次に救急隊員に怒られる場面。女性のようだったとあるだろ。なぜここまで女性だと判断できなかったんだ? つまり見ただけでは分からない状態だったと考えられるな」
「でも救急隊員を見て、二人の顔は曇っていたって書いてあるだろ。そこではしっかり表情が分かってるじゃないか」
「いや、違うんだな」
彼は少し笑っていた。
「ここもさっきの所と合わせると意味が分かるだろ? もし本当に表情が分かっていたのなら男性か女性かなんてわかるはずだ。まあ、もしかしたら男性、女性どちらか分かりづらい顔だったのかもしれない。でも二人目の救急隊員についても女性らしいとあるだろ。二人とも分かりづらい顔ってのはさすがにおかしいよな。つまり、二人の顔は曇っていたっていうのは、本当に二人の顔の部分が曇っていたってことが分かるな。防護服を着こんでいたために、中で熱がこもって曇ってしまったんだ。少し後の部分で語り手が暑そうといっていたのもこれが原因だな」
「でも普通防護服を着ていたのなら、何かしらの反応を示さないとおかしいだろ。主人公は防護服について普通に受け入れていたことになるだろ」
「作中世界では、感染症が流行していただろ。だから防護服については見慣れていて、特に特別な反応はしなかったんだ。主人公は今回起こっていることについては、途中まで知らなかった。でも感染症が流行していたんだから、それへの対策として付けていると思ったんだろう。マスクを付けるかは個人の判断に任さられているとあったが、感染症が無くなったとは書いていないだろ」
彼はすらすらと説明していく。
「じゃあ、男性が妊娠するっていう伏線は……」
「救急隊員がまたここに来ることになったって言ってるだろ。これを主人公は以前起こった沢越の事故とあわせて考えている。でもこの事故自体は二年くらい前の出来事だろ。そんな昔の話を持ち出してくるのは、ちょっとおかしい。それよりは、もう一人運ばなければならない人がいるから、また来ることになったと考えた方が納得がいく。つまり鷹司を妊娠させた人物の事だ。救急隊員は寝ている彼女を襲ったと考えていた。実際は違ったわけだが、こんな奇妙な特徴のある建物の事なんて救急隊員は知らないからな。そう考えるのが普通だろう。そしてその人物が犯す際に、精液が自分の体のどこかに付いてしまうなんてこともすぐ予想できるよな。それでこんなセリフが出たんだな。それに冒頭のナレーションで「世界はこのような恐ろしい事態となっていた。この事態と無関係でいられるのは、強姦される恐れのない女性や性欲の無い男性だけだろう」とある。ここではなぜかセックスをしない男性については触れられていない。つまりオナニーすると妊娠してしまうからだ」
僕はあっけにとられてしまった。そんな読み方をするとは思ってもみなかったからだ。
「そう考えたら救急隊員が男性に対して強い物言いをするのも納得いくよな。だってこいつらがセックスなりオナニーなりをするだけで自分の仕事が増えるんだからな」
彼はずっと説明を続けている。
「まあこの小説の解き方としては、条件がどんなふうに人に影響を及ぼすのかという事から考えないといけないってことだな」
僕は説明された部分については一応納得した。でも納得できない部分もある。
「こんな話、現実的じゃない」
「いや、現実的って。そんなもの、この話に求めるなよ。ちゃんと条件を読めよ。精液が誰に影響を及ぼすのか、どのように及ぼすのか書かれていないだろ。これがあるから今までのが全部成り立つんだ。お前はそこを読んでいないのか?」
「でも、そもそも男性には子宮が無いんだから、妊娠できないだろ。そんな条件一つ付けたくらいで、それがクリアできるわけないじゃないか。男性も女性も妊娠しますとでも書いていたら別だけど」
「は。じゃあ、何だよ。お前はこれが現実的な話だったら納得するのか?」 彼は激昂して言った。
「まあ、そうだね」
「じゃあ、その通りに書き換えてやるよ。お前が納得するように、現実的な物語として書き換えてやる」
「やれるものならやってみろ」
彼は怒りながら出て行った。僕は少し言い過ぎたかなと思った。
それから長い年月が流れた。しかし彼が書き換えた小説を持ってくることは無かった。恐らく無理だったんだろう。あんな条件一つだけで成り立っていたバランスの悪い話を書き換えるのは難しいと思う。それこそ全く別の話に作り替えるなら話は別だ。でも彼もあそこまで言ったんだから、そうしたくなかったんだろう。だから彼はアプローチの方向を変えたんだと思う。
物語を現実的なものに書き換えることは出来ない。それならどうするか?
現実の方を物語に近づけてしまえばいい。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
赤子が泣いている。
「おめでとうございます。立派な女の子ですよ」
看護師がそう言って赤子を僕に抱かせてきた。この子は二十人目の子供だ。
現在の地球の人口は二千億人を超えたらしい。