
USSプロメテウス 第一話

艦内時間0600時、プロメテウス号のブリッジは夜間照明から昼間モードへとゆっくりと明るさを増していた。当直を終えたガンマシフトのクルーたちが、次々とアルファシフトのクルーと交代していく。
「当直報告を。」
エリザベス・ハワード艦長は、いつものように紅茶を手にしながらブリッジに入ってきた。チャールズ・ウィルソン少尉が敬礼とともに報告を始める。
「異常なし、艦長。船速ワープ3で予定航路を巡航中です。深宇宙探査レンジ内に既知の天体および人工物体なし。船体およびすべてのシステム正常。」
「了解。ご苦労様でした。」
ハワードは艦長席に着きながら、大型ビュースクリーンに広がる星空を見つめた。プロメテウス号は現在、ベータ象限の未探査区域を航行中だ。地球からの距離、47光年。この区域での探査任務は、まだ始まったばかりだった。
「艦長、科学部からの報告が入っています。」サラ・シュミット少佐が科学ステーションから声を上げた。「昨夜の量子分光分析の結果、このセクターの恒星密度が標準値より12%低いことが判明しました。原因は不明ですが、継続して観測を行っています。」
「面白いわね。」ハワードは科学ステーションのディスプレイに目を向けた。「何か仮説は?」
「まだデータが不足していますが...」
その時、通信将校のアイリーン・ファラデー少尉が突然、身を乗り出した。「艦長! 微弱な規則的信号を検出しました。」
「規則的? 自然現象じゃないのね。」
「はい。パルス間隔は正確に3.6秒。しかし、既知の通信プロトコルとの一致はありません。」
ハワードは思案するように紅茶を一口すすった。「発信源は?」
操舵士のトム・ライリーが応答する。「方位280マーク15、距離約0.8光年です。」
「その方角に何かある?」
科学ステーションのディスプレイが切り替わる。「人工物体を確認しました。」シュミットが報告する。「大きさから判断して、宇宙ステーションの可能性が高い。しかし...」
「しかし?」
「生命反応がありません。環境システムは作動しているようですが、乗員の気配が全くない。」
ブリッジに緊張が走る。この未探査区域で、人工物体を発見すること自体が異常だった。しかも無人とされる宇宙ステーション。それは多くの場合、何か不穏な事態の痕跡を意味する。
ハワードは決断を下した。「針路を変更して接近。ワープ2まで減速。イエローアラートを発令。」
「了解。針路280マーク15に変更。」ライリーの手が素早くコントロールパネルを操作する。
「シュミット少佐、詳細スキャンを開始して。」
「承知しました。」
「ファラデー少尉、その信号の解析を続けて。何か意味のあるパターンを見つけられるかもしれない。」
「はい、艦長。」
プロメテウスは緩やかなカーブを描きながら、新たな針路へと向きを変えた。ビュースクリーンの星空が滑るように動き、未知の宇宙ステーションがある方向へと艦首が向けられる。
「艦長、副長のチェンが到着しました。」
エレベーターから降り立ったジョン・チェンは、すでに状況を把握していた。「面白いタイミングですね。」彼は自分の定位置に着きながら言った。「昨夜、エンジニアリングで奇妙な出来事がありました。」
「どんな?」
「メインコンピューターが突然、数式の演算を始めたんです。誰も命令していないのに。オコナーが調べましたが、原因は特定できなかった。」
ハワードは眉をひそめた。「数式?」
「はい。しかも、解けない方程式だったそうです。」

「距離300,000キロメートル。」ライリーの声が、メカニカルなレンジファインダーの音と重なる。「減速継続中。」
サブ画面に映し出された宇宙ステーションは、どこか見覚えのある形状をしていた。中央のハブから6本のアームが放射状に伸び、その先端にはドッキングポートらしき構造物が見える。全長およそ800メートル。
「構造解析が完了しました。」シュミットがスコープから顔を上げる。青緑色の光を放つ計測器のディスプレイに、複雑な数値が次々と表示されている。「建造年代は約30年前。使用されている材質や工法から判断して、人類のものです。」
「30年前?」ハワードが身を乗り出す。「この海域にそんな古い施設があるはずがないわ。」
チェンが艦長の言葉に続いた。「そもそも30年前、人類はまだこの空域まで到達していなかったはずです。」
「艦長、エンジニアリングからの報告です。」通信パネルから、オコナーの声が響く。「昨夜の方程式、あれはステーションからの信号だったかもしれません。パターンが一致します。」
「画面に出して。」
メインビュースクリーンの一部が切り替わり、複雑な数式が表示された。等号の両側には、一見して解けないような項が並んでいる。
「これは...」シュミットが思わず呟いた。「線形代数の形式を取っていますが、通常の数学的解釈では意味を成さない。まるで...」
「まるで?」
「まるで、別の言語で書かれているような。」
ブリッジの空気が一瞬、凍りついたように感じられた。
「艦長、距離150,000キロメートル。」ライリーの報告に、わずかな緊張が混じっている。「通常航行に切り替えました。」
ワープから脱出したプロメテウスの周囲で、星々が点状の光となって固定された。
「了解。この距離を維持して。ファラデー少尉、通信は?」
「信号は変わらず継続中です。しかし...」彼女は通信機器のダイアルを慎重に調整しながら言葉を選んだ。「何か、違和感があります。」
「どんな?」
「通常、人工的な通信には必ず特徴的なパターンがあります。言語化された情報を送るための構造です。でも、これは違う。まるで...心拍のような。」
医療部長のクズネツォワが、招集されずともブリッジに姿を見せた。彼女は別件で艦長に報告があったのだが、この会話を聞いて足を止めている。
「それ、私の専門分野ね。」彼女は通信コンソールに近づいた。「波形を医療用モニターに転送してもらえる?」
「はい、すぐに。」
ファラデーが素早くスイッチを切り替えると、医療用の小型スクリーンに信号の波形が表示された。クズネツォワはしばらくそれを見つめ、やがて静かに言った。
「これは確かに生体信号に近い。でも、人間のものじゃない。私が今まで見たどの生命体のパターンとも違う。」
「では、何の?」
「答えられないわ。でも、もし本当に生体信号だとしたら...」彼女は一瞬、言葉を切った。「何か、意識を持つものが、あのステーションで...眠っているのかもしれない。」
その時、シュミットが突然、声を上げた。「艦長! ステーションの環境制御システムに変化が!」
「何が?」
「温度が上昇し始めました。まるで...誰かが目覚めたように。」

「環境制御システムの変化を詳しく。」ハワードの声には、緊張感が滲んでいた。
シュミットの指が、古典的なトグルスイッチを次々と切り替えていく。スキャナーの円形スクリーンに、ステーションの内部データが連続的に表示される。計器の針が規則正しく振れる音が、ブリッジに響いていた。
「中央ハブの温度が、マイナス50度から急速に上昇中。現在マイナス20度。酸素濃度も増加しています。」彼女は眉をひそめた。「しかし、奇妙なのは...」
「何が?」
「これらの変化が、人工システムによる制御には見えないことです。むしろ、生命活動に伴う自然な変化のような...」
クズネツォワが医療用スキャナーを覗き込みながら割り込んだ。「まるで、冬眠から目覚める生物のような変化ね。」
「でも、生命反応は?」チェンが問いかける。
「依然として検出できません。」シュミットは首を振った。「しかし...」彼女は突然、立ち上がった。「艦長、仮説があります。」
「聞かせて。」
「もし、私たちの生命探知装置が、既知の生命形態のパターンしか検出できないとしたら?」
ブリッジの空気が変わった。クズネツォワが黙ってうなずいている。
「艦長!」ファラデーが声を上げた。「信号のパターンが変化し始めました。」
通信コンソールのスピーカーからは、これまでの規則的な信号音が、より複雑なリズムへと変化していくのが聞こえる。古い真空管アンプ特有のノイズが、かすかに信号に重なっていた。
「間隔が不規則になっています。そして...」彼女はヘッドフォンを押さえながら顔を上げた。「まるで会話のような...」
チーフエンジニアのオコナーの声が、艦内通信から響いた。「艦長、コンピューターの異常な演算が再開されました。今度は...違います。」
「どう違うの?」
「まるで、何かと対話しようとしているようです。新しい数式が次々と生成され...」
その時、シュミットが再び声を上げた。「艦長、ステーションの中央ハブで、エネルギー反応が急上昇!」
ビュースクリーンに映るステーションの中央部が、かすかに輝き始めていた。
「距離は?」
「まだ15万キロメートルを維持しています。」ライリーが報告する。「しかし...」
「何かあるの?」
「操舵系に...干渉されているような感覚があります。」彼の手がコントロールパネルの上で躊躇う。「まるで、誰かが...いや、何かが、私たちを招いているような。」
ハワードは一瞬、目を閉じた。スターフリートの探査プロトコルには、このような状況に対する明確な指針があった。未知の人工物体には最大限の注意を払うこと。予期せぬ反応には警戒を怠らないこと。しかし...
「シュミット少佐、アプローチのシミュレーションを開始して。」
「はい、艦長。」彼女の手が、シミュレーション・コンピューターのキーを叩き始める。機械式リレーの軽快な音が、計算の進行を告げている。
「チェン副長、セキュリティ・チームを整備して。」
「了解しました。」
「クズネツォワ医官、生物学実験室の準備を。」
「承知したわ。」
「オコナー、コンピューターの演算記録を保存して。」
「了解。」
ハワードは、ビュースクリーンに映る謎めいたステーションを見つめた。30年前の人工物。解けない方程式。生命とも機械ともつかない反応。そして、この不可解な誘い。
全ては、何かより大きな謎の一部のように思えた。

「シミュレーション完了しました。」シュミットの声が、張り詰めた空気を破る。「接近経路は三つ。各経路の安全係数を計算しています。」
メインビュースクリーンの一部が切り替わり、三次元の航路図が表示された。緑、黄、赤のラインが、プロメテウスからステーションまでの可能な経路を示している。
「ここが問題です。」シュミットがライトペンで黄色い点を指し示す。「ステーション周辺に未知の力場が形成されつつある。性質は不明。既知のシールドパターンとの一致はありません。」
「わかるわ。」クズネツォワが医療用スキャナーから顔を上げる。「生体信号も変化している。さっきより...複雑になっているわ。」
その時、エンジニアリングからの緊急通信。オコナーの声が、艦内スピーカーから響く。
「艦長! コンピューターの演算、解読できました。これは...対話なんです。」
「対話?」
「はい。最初の方程式は質問で、コンピューターが解答を返すと、また新しい方程式が...まるで会話をしているようです。」
「内容は?」シュミットが食い入るように問う。
「それが...」オコナーの声に戸惑いが混じる。「天文学的な計算式に見えます。恒星の質量、軌道、そして...」
「そして?」
「空間の歪み。この空域の異常な恒星密度の原因について、コンピューターと...議論しているようなんです。」
ブリッジの空気が凍り付いた。シュミットが先ほどの観測データを思い出したように画面を見つめている。
「通信の解析状況は?」ハワードがファラデーに向かって問う。
「パターンが会話的なリズムを持ち始めています。」彼女は通信機器のダイヤルを微調整しながら説明する。「しかし、既知の言語パターンとは全く異なる。むしろ...数学的な構造を持っています。」
「数式による会話...」チェンが思案顔で呟く。「これは、ファーストコンタクト・プロトコルの範疇かもしれません。」
「同意見です。」シュミットが振り返る。「これは明らかに知的生命体との接触。ただし...」
「私たちの知る生命とは、全く異なる形態を持つものとね。」クズネツォワが言葉を継ぐ。
突然、ステーションの中央ハブが強く輝きを放った。
「エネルギー急上昇!」シュミットの声が張り詰める。「しかし...敵対的なパターンには見えません。」
「力場が変化しています。」ライリーが報告する。「まるで...通路を作っているような。」
ビュースクリーンには、ステーション周辺の力場が、まるで光の道のように形成されていく様子が映し出されている。それは、シミュレーションで示された三つの経路のうち、最も安全とされた緑のラインと完全に一致していた。
「彼らは...私たちのシミュレーションを観察していたのね。」ハワードが静かに言った。
「そして最適解を...承認したということですか?」チェンが問う。
答える代わりに、ハワードはブリッジ前方の大きなビュースクリーンを見つめた。30年前の謎めいたステーション。数式で対話を試みる未知の存在。そして、今や目の前に示された明確な招待。
「諸君。」彼女はゆっくりと艦長席から立ち上がった。「これは明らかに、知的生命体からの意思の表示よ。しかも、私たちの安全を考慮した上でのものね。」
ブリッジのクルーが、息を呑んで聞き入っている。
「準備を始めましょう。」

「進入経路、確認されました。」ライリーの声が、静かなブリッジに響く。「方位280マーク12。距離12万キロメートル。」
「エンジンを4分の1出力に。」ハワードの命令に、操舵パネルのスライダーが静かに動く。「慎重に。」
プロメテウスは、光り輝く経路に沿ってゆっくりと前進を始めた。ブリッジのクルー全員が、息を詰めて見守っている。
「艦長。」シュミットが科学ステーションのスコープから顔を上げた。「力場の分析結果が出ました。これは...保護フィールドです。」
「保護?」
「はい。宇宙線や微小隕石から、完全に防護された経路です。驚くべき技術です。」
チェンが付け加える。「彼らは本当に、私たちの安全を考えているようですね。」
その時、オコナーからの通信が入った。「艦長、コンピューターとの...対話が進展しています。彼らは、この空域の異常について説明しようとしているようです。」
「異常?」
「はい。この空域の恒星密度が低い理由...それは彼らが...」オコナーの声が詰まる。「彼らが、空間を折り畳んでいるからなんです。」
シュミットが即座に反応する。「空間の折り畳み! そうか...だから観測データがおかしかったのね。」
「折り畳んでいる?」ハワードが問う。「何のために?」
「おそらく...」シュミットは新たなデータに目を走らせながら言葉を継ぐ。「航行のためです。彼らは、空間そのものを操作することで...」
「彼らの母星まで、経路を作っているのね。」クズネツォワが言葉を完成させる。
ブリッジの空気が、新たな理解とともに変化した。
「距離8万キロメートル。」ライリーが報告する。「ステーションの構造が、よく見えてきました。」
ビュースクリーンいっぱいに、ステーションの詳細が映し出される。放射状のアームは、まるで数式を空間に描くように配置されていた。中央ハブの輝きは、より穏やかに、しかし確かな意思を持って光り続けている。
「新しい数式が届きました。」ファラデーが声を上げる。「今度は...座標のようです。」
「彼らの母星の位置?」
「いいえ...」シュミットがデータを確認する。「これは...出会いのための座標です。私たちに、正確なドッキングポイントを指定しているんです。」
「艦長。」チェンが前に進み出る。「これは間違いなく、平和的な接触の意思表示です。」
ハワードはゆっくりと頷いた。「そうね。彼らは数式という、最も普遍的な言語で私たちに語りかけ、最大限の配慮を示してくれている。」
彼女は立ち上がり、ブリッジの中央に立った。
「諸君、これは人類にとって重要な瞬間になるでしょう。数式を通じて対話する未知の知的生命体。空間を折り畳む驚異的な技術。そして何より、この平和的な接触の意思。」
「距離5万キロメートル。」ライリーの声が、静かに響く。
「シュミット少佐、観測を継続して。ファラデー少尉、通信チャンネルを開いたまま。クズネツォワ医官、生物学スキャンの準備を。」ハワードの声には、確かな決意が込められていた。「チェン副長、接触プロトコルの最終確認を。」
「了解。」全員が一斉に応答する。
プロメテウスは、光の道を進み続けた。未知の存在との出会いに向けて。数式が紡ぐ対話の先にある、新たな発見に向けて。
そして、人類の宇宙における新たな章が、今まさに始まろうとしていた。
時間は、人類初の数学的生命体とのファーストコンタクトへと、着実に刻まれていった。
Space... the final frontier.
STAR TREK: PROMETHEUS
"The Silent Equation"
★ ★ ★
To be continued...