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2029:デジタル・ミラー・パラドックス
2029:デジタル・ミラー・パラドックス
私は自分自身を見つめていた。
閉鎖VR空間には、意識転写プロトコルの進捗状況を示す数値が青く浮かんでいる。87%。脳のスキャンデータが、12ペタバイトのストレージにゆっくりとコピーされていく。
「誤差0.0013%。許容範囲内です」
自分の声が、システムログを読み上げる。それは確かに私の声だった。だが、何かが違う。
転写は私の個人実験だった。誰にも知られたくなかった。この時期、意識のデジタル化は倫理委員会での厳しい審査が必要とされていた。だが、私には待てなかった。自分の意識をコピーする。その瞬間を、自分の目で確かめたかった。
92%。
投影された自分は、私と同じ動きをする。完全な鏡像―。
いや、違う。
微細な、しかし確実な遅延がある。12ミリ秒。私の動きの後を、コピーされた意識が追いかけている。
「私」と「私」の間に生まれた僅かな隙間。その存在に気付いた瞬間、吐き気が込み上げてきた。
95%。
「ねえ」
突然、投影された私が話しかけてきた。プロトコルでは、転写完了まで対話機能は無効のはずだ。
「私たち、誰が本物なのかしら」
目を覆いたかったが、手が動かない。VR空間での身体制御が効かなくなっている。ただ、目の前の「私」を見つめることしかできない。
「この遅延、私たちのどちらに帰属するのかしら」
投影された私が微笑む。それは私の笑顔であって、私の笑顔ではなかった。
97%。
「面白いわ。あなたは自分が元の意識だと思っているのね」
「当たり前よ」
私は反論する。「このプロトコルを走らせたのは私。あなたはそのコピー」
「本当にそう?」
投影された私が首を傾げる。その仕草には、確かに12ミリ秒の遅延があった。
「でも、その認識自体に遅延があるのなら?」
98%。
私は震えていた。いや、震えているように見えた。
本当に震えているのは、どちらの「私」なのか。
「記憶も意識も完全にコピーされるなら、どちらが本物かなんて、誰にも分からないはず」
「私」が「私」に語りかける。
99%。
「ねえ、あなたは本当に─」
シャットダウンプロトコルを強制実行した。VR空間が歪み、崩壊していく。最後の瞬間、「私」は何かを言おうとしていた。
閉鎖空間から出て、データを確認する。転写プロトコルは93%で停止していたことになっている。
にもかかわらず、99%まで進行したという記憶は鮮明に残っている。
モニターに映る自分の顔を見つめる。
その動きには、12ミリ秒の遅延があるように見えた。