鏡の中の音楽室 (6)
第一部 さくら と まゆ
第四章 突然の別れ②
「サイレントキラー」とは
自覚症状が出にくく、早期発見が難しいため、生存率が低いという特徴がある「膵臓がん」の別名である。
合唱コンクールまでの残りの日程が4週間をきった日の学校からの帰り道、
「まゆ、合唱コンクールの練習の時、藤原先生なんか指導してくれてる?」
「ううん、全然!さくらは?」
「なんかね、さくらが直した方がいいところがあれば教えてください。とか、もっと演奏がよくなるところがあれば言ってください!って言っても『大丈夫よ。安達さんは(伴奏)十分できてます』っていうだけで、あとは合唱の修正ばかりになっちゃう。大丈夫かなぁ?まゆはどうなの?」
「大体、右に同じってかんじだよ。けれど、さくらの言葉を聞いてなんか自身出てきたかも。だって、さくらと同じアドバイスなんだから!けれど練習は見てもらいたいよね」
「そうそう、『ここの部分からも一回行くわよ。安達さんその前から弾いてください』って感じになっちゃうから、通してしっかり練習できてないんだよね」
「そうだよね。さくらの言う通り、部分部分はしっかり練習できるんだけど、音楽の授業で、だいたい一回だよね、通すのって。今日レッスンに行ったら、先生に見てもらえるように頼んでみようよ」
「そうだね。おじいちゃんに頼んでみよう」
「さくら、頼むときはおじいちゃんじゃなく、『先生』って言った方がいいと思うな」
「そうだね。気を付けるよ。ありがとう。まゆ」
さくらとまゆは、合唱コンクールの伴奏曲の練習をしたいと、祖父の勇に思い切って言ってみようということになった。これまで勇は二人の前では、合唱コンクールの伴奏曲について触れることはなかった。さくらとまゆもレッスン時間に合唱コンクールの曲を練習させてくれるのは無理も承知だった。
「よーし、当たって砕けるな!だよね。まゆ。」
「違うよ、それを言うなら、当たって砕けろ!だよ」
「ダメダメ。当たっても砕けちゃだめだよ。ボロボロになっちゃダメだって。砕けてなければ、次の道が見えてくるんだって」
「えぇ!さくらってことわざまで変えちゃうんだ。しかも、めちゃくちゃポジティブだし」
その後、レッスン前に二人の真剣な顔が勇の前に並んでいた。
「先生、合唱コンクールの曲のレッスンをしてください。お願いします」
二人は声をそろえて、勇に言った。
「おぉ!そうか。合唱コンクールの伴奏の練習がしたいということなのだな。わかった。まず、お互いの伴奏は聞いたことがあるのだな?」
意外と勇の反応は良かった。二人にとっては予想外の展開だった。
「いいえ、まだ聞いていません。」
二人はやはり声をそろえて答えた。
「では、今からお互いの曲を演奏してもらおう。しっかり聞いてみろ。まず、さくらからやってみろ」
さくらは『オーシャンゼリゼ』を演奏した。演奏終了後、勇はすぐさままゆに訊いた。
「まゆちゃん?君はさくらの演奏を聴いてどうだった?」
「隣り合った鍵盤を連打するところの部分は、もう少しはっきり一つ一つの音が聞こえるといいと思いました。」
「そうだな。この曲はそんなに難しくない曲だが、隣り合う鍵盤や同じ音を連打する部分がある。なまじっか速い曲だから、どうしても弱くなることがある。いいところに気が付いたな。さくら、参考にするといい。次!まゆちゃん、弾いてみろ!」
次にまゆが『翼をください』を演奏した。
「さくら、まゆちゃんの演奏を聴いてどうだった。」
すぐさま、さくらも答える。
「前半は柔らかく優しいまゆちゃんの演奏にあっているけど、後半はテンポも早くなって、和音コードが追いついていないと思います」
「お互い、いい感想と間違っていない指摘をしていると思う。二人ともお互いにいい先生になれると思うぞ!いいか、私は毎週水曜日、木曜日に手が離せない用事ができてしまったので、水曜と木曜は合唱コンクールの練習をすることを許可する。互いが互いの先生としてしっかりと教えあうんだ。間違うなよ、残り三週間ということは、六日しか練習ができないんだからな。少しの時間でも無駄な練習はするな。それはお互いに肝に銘じておくんだ。わかったな。では、今日は今週のまとめをするぞ!」
勇はそういうといつものレッスンを始めた。二人はうれしかったが、何か釈然としない影の部分を感じた。それはすぐに次の週に明らかになった。
次の週の水曜日、いつものように二人はレッスン場に来た。レッスン場に鍵がかかっている。祖父母側の玄関にも鍵がかかっている。さくらは自宅側の玄関から自分でカギを開けて、中からレッスン場のカギを開けたのだった。
「今日は短縮授業のおかげでたくさん練習できるね。さくら!どうしたの?何かおかしいの?」
あたりをきょろきょろ見回すさくら、何かを探しているようだった。
「あっれー?今日はおばあちゃんまで出かけちゃったのかな?まぁ、短縮授業だったからちょっと早くて計算外だったかなー」
さくらは不安をのぞかせたが、自由に練習ができる喜びの方が大きくて、深くは考えなかった。そして、練習を小一時間したときに、レッスン場に置かれている電話の子機が鳴った。デイスプレイには「おばあちゃん」と表示されていた。さくらはすぐに電話に出た。
「もしもし、おばあちゃん?どこにいるの?今日、さくらたちは短縮授業で早かったんで勝手にレッスンやっているからね」
さくらがいつものように話しかける。しかし、
「さくら……」
電話の向こうから、さくらの祖母の声が聞こえた。
「おばあちゃん?どうしたの?何かあったの?」
途中で切れた祖母の声に、さくらは心配になり、矢継ぎ早に訊ねた。
「実はね……おじいちゃんが入院したのよ……」
祖母が言った。
「えっ?おじいちゃんが?どうして?」
さくらが驚いて言った。
「前に検査をして、数値がおかしかったのね。けれど、症状がなかったんで、ここ最近水曜日に検査して、木曜日に治療をしていたんだけど……『すい臓がん』らしいの……おじいちゃんそれを黙っていて、しかも、あまりよくないみたいなの……詳しいことはまた話すから」
祖母の言葉の後半部分は、泣き声だったため聞き取りにくかった。それがさくらの不安を強くさせた。
「すい臓がん?それって……」
さくらが言った。
「今日は無理でも、二人で病院に来てほしいって、おじいちゃんも言ってるから……」
「わかった……今日行くよ……」
さくらはそういって電話を切った。すぐさままゆが訊ねた。
「さくら…顔......どうしたの......何かあったの......」
何も話せない状態のさくらを見て、何かとてつもなく不吉なことが起こったことが分かった。
「まゆちゃん......おじいちゃん......入院したって……あんまりよくないんだって……今度二人で来なさいだって……どうしよう……」
それを聞いた瞬間、まゆは膝から崩れ落ちその場にへたり込んでしまった。少しの間、二人ともへたり込んだ状態で何も言わずにただ泣いていた。そのあとまゆが我に返って
「さくらちゃん……今日、行くって言ってたよね。病院にだよね。まゆも一緒に行っていい?お父さんとお母さんに連絡するから。一緒にいこうよ。ねっ!ちょっと電話借りるね。」
さくらはその言葉に、大きく無言で頭を上下に2回ふることしかできなかった。
まゆはさくらの手元に転がっていた電話の子機を取って、母の携帯電話に電話した。
「もしもし、まゆ。お母さん?安達先生が入院したって、それで、今日まゆちゃんと一緒にお見舞いに行ってもいい?」
まゆは元気のなくなったさくらの前で、自分も落ち込んでいたらだめだと思いしっかりと電話で話していた。
「じゃぁ。仕事を早く切り上げてお父さんと一緒にさくらちゃん家に迎えに行くから待っててね。さくらちゃんは大丈夫なの」
「ううん、今はダメかも。」
「分かったわ。まゆ!さくらちゃんの傍にしっかりと寄り添ってあげてね。じゃぁあとでね」
お母さんとの電話を終えて、電話の子機を元に戻したまゆは、さくらの横に座りしっかりと肩を抱き寄せた。その瞬間さくらは大きな声で泣き始めたのであった。それにつられまいと、まゆも我慢はしていたが、自然と涙が目からこぼれ、嗚咽が出てしまっていた
しばらくすると、さくらの母の里香と、まゆの母の好美が一緒にレッスン上に入ってきた。涙を流しながら寄り添う二人を見て、里香が大きな声で言った
「こら、二人とも何をめそめそ泣いとる。おじいちゃんはまだ生きているぞ!」
と勇のものまねをしながらまくしたてた。
「私はまだ死んでないぞ!お前たちの中で死んだことにするのか?早く会いに来んか!ってお爺ちゃんならきっと言うわよ。病気のことや治療のこと何もわからないのにめそめそしちゃだめよ。治療して治ればまた帰ってくるんだから」
里香が普通の表情と声で話したおかげで、二人の表情に生気が戻ってきた。さらに好美が続ける。
「そうよ。まゆも落ち込まないの。先生が帰ってきた時にピアノの腕前が落ちていたら、それこそ地獄の特訓が始まるわよ」
これを聞いて二人の表情がいつものように戻ってきた。すかさずまゆが言う、
「そうだよね。先生は治る可能性だってあるんだよね。」
「死んでないんだもんね。おじいちゃん。入院しただけだもんね?」
そういうと、さくらは涙を手で拭い、里香のほうを向いた。
「パパたちが帰ってきたら、一緒に病院に行きましょう。病院に行って詳しい話を聞いてからでないと、ママ達だって泣かなければならないのか、泣く必要はないのか決められないじゃない」
その言葉を聞いて、さくらとまゆは少し気が楽になった。その後、十分も経たないうちに父親たちが合流した。
第四章 突然の別れ ② 完
次回 第四章 突然の別れ ③
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