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「損な役回りばかりする…」と悩む人ほど読むべき話

▼ はじめに


今年は長いお正月休みを取れた人が多かったことで、逆に増えてしまったものが「退職代行サービスを利用する人」でした。

緊張の糸が切れてしまったのか?もしくは、今までの働き方や会社の理不尽さに気づいてしまったのか?時間に余裕ができたことで冷静に自分を客観視したことで、

「今の会社って、やっぱりおかしくない!?」

と思う人が増えたようです。

退職代行のサブスクも人気で、サービスを受けられない人も出てきているとか…

その理由が、1度退職代行を頼むと数万円かかるのでサブスクなら年に2,3回利用すればサブスクのほうが安くなったり、

「いつでもすぐに辞められる」

という安心感を得られるからというのが理由にあるそうです。

月曜日になると

「会社行きたくない」

というXのポストを見かけない日はないでしょう。

それはまさに会社という組織内での理不尽さや不条理にガマンできなくなっている証拠でもあるでしょう。

組織の利益にのために自分を犠牲にする…という考え方は、今の時代とはミスマッチしているのでしょう。

そこで今回は、世の中の理不尽さや不条理について考えていきます。

小説家のカフカひろゆきさん、メンタリストDaiGoさんや中国の孔子など…不条理な世の中にたいしてどう感じているのか?それをどう受け止めて生きているのか?

そして、なぜ正しいことをしている人ほど理不尽さや不条理な目に合うのか?

その理由を詳しく説明していきます。


▼ 不条理って何ですか?


まずは、不条理とは何でしょうか?

「不条理(ふじょうり)」とは、筋道が通らないことや道理に合わないことを指します。具体的には、常識や理屈に反する状況や出来事を表現する言葉です。

この言葉は、実存主義の文脈でも使われることがあり、特にカミュの哲学においては、人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的な状況を示すために用いられます。

また、「不条理」は文学や芸術の分野でも重要なテーマであり、シュールレアリズムの作品などで不条理な世界観が描かれることがあります。
例えば、「不条理な話」や「不条理な社会」という表現が使われることがあります。
これにより、現実の矛盾や不公平さを強調することができます。

そして不条理と似た言葉で「理不尽」という言葉もあります。


▼ 理不尽と不条理の違いは何ですか?


「理不尽」と「不条理」は、どちらも「道理に合わないこと」を意味しますが、ニュアンスや使用される場面に違いがあります。

まず、「理不尽」は、個人的な感情や状況に基づく不合理さを指します。
具体的には、他者からの不当な要求や扱いを表現する際に使われることが多いです。例えば、「理不尽な要求」「理不尽な扱い」といった表現が典型的です。
この言葉は、道理や情理を無視した行動や要求に対する反発を含んでいます。

一方で、「不条理」は、より広いスケールでの不合理さを示します。
これは、個人の枠を超えた社会的、または存在論的な状況を指すことが多いです。
例えば、「不条理な世界」や「不条理な社会」といった表現が使われ、善人が救われないような不公平な状況を描写することがあります。

このように、理不尽は個人の感情に根ざした不合理さを強調し、不条理はより普遍的な状況や存在の不合理さを示す言葉として使われます。
したがって、両者は似ているようでありながら、異なる文脈で使われることが多いのです。


▼ 「絶望名人」と呼ばれた小説家のフランツ・カフカは不条理をどう考える?

フランツ・カフカの人生や作品、そして彼の「希望を捨てることこそが救い」とする考え方についてまとめてみました。

カフカの作品は「真剣な態度で読んですべてを理解しようとしても無理…」という話をよく聞きます。

カフカは意図的に誤解させたり矛盾する表現を多用するからという意見もあります。

なので、カフカを読むときはリラックスして不条理でグロテスクな冗談として受け止めることも大切という人もいましたが、今のZ世代にカフカの本を読むのは難しいかもしれません。

(Z世代に限りませんが…)

そんなカフカの作品ですが、絶望名人であったカフカを理解することは世の中が不条理で理不尽だと考える人が多い今の世の中でも大切なのです。

フランツ・カフカ(Franz Kafka)は、絶望に満ちた人生を生きたチェコの小説家として知られています。
彼の作品や思想は多くの人に影響を与え、現代においても彼の存在感は色あせることがありません。
しかし、彼の人生はその作品同様、非常に暗く、自己否定的であり、「希望を捨てることこそ救いだ」と主張する彼の哲学がその中心にありました。


▼ カフカの生涯と絶望

カフカは1883年、現在のチェコ・プラハで生まれました。
父親は強い意志と社交性を持つ商人で、一方のカフカは内向的な性格で父親に対して生涯強い抵抗感を抱いていました。
彼は哲学を学びたいと望みましたが、父親の命令で法律を学び、大学卒業後は保険会社で公務員として働き始めます。
しかしその職場環境は過酷で、10時間労働に加えて残業や日曜出勤もあり、彼はこの仕事を早々に嫌悪しました。
その後、比較的勤務時間の短い保険局で働くことになりますが、彼にとって仕事は常に苦痛であり、日記には不満が綴られています。


▼ 創作活動と人間関係

カフカは、公務員として働く傍らで創作活動を続けました。
彼は親友であるマックス・ブロートの助けを受け、小説を雑誌に発表する機会を得ましたが、生前は大きな評価を得ることはありませんでした。
また、恋愛面でも複雑な状況が続きます。
フェリーツェ・バウアーという女性と婚約しましたが、結婚が創作活動を妨げるのではないかという懸念や、自分の病気などから婚約を解消。
その後再び婚約するも、同じ理由で破談に至りました。
このように、彼の人間関係は常に自己否定と迷いに満ちていました。


▼ 「変身」と絶望の哲学

カフカの代表作『変身』は、理不尽で残酷な世の中を象徴する作品です。

カフカ「変身」


この物語では、主人公ザムザがある日突然巨大な虫に変身してしまいます。家族の生活を支えるザムザは、自身の変化によって家族から疎まれるようになり、最終的に孤独の中で死を迎えます。
この物語の核心は、希望を抱き続けることの辛さと、それを諦めることで得られる解放感にあるとされています。

ザムザの家族は、彼が元に戻ることを期待していましたが、その期待が叶わない現実に苦しみます。
最終的に家族がザムザを「息子」として諦めたことで、彼らは新たな生活を始めることができました。
このように、カフカは希望を捨てることの重要性を描いています。


▼ 絶望が示す救い

カフカは「幸福になるための方法は一つだけある。それは自分の中にある核を信じ、それを磨こうと努力しないことだ」と語っています。
彼の思想によれば、才能や目標に期待を持ち、それを追い求めることは、失敗や挫折によって自尊心を傷つける要因となります。一方で、最初から努力をせず、期待をしないことで、失敗の苦しみから解放されるという考え方を持っていました。

この哲学は、一見するとネガティブで現実逃避的に思えます。
しかし、カフカの言葉や作品は、挫折や失敗に直面した人々にとって救いとなる場合があります。
努力や希望が重荷となる場合、カフカの思想は「諦めることの解放感」という視点を提供します。


▼ 死後の評価

カフカは生前、自身の作品が評価されることを見ぬまま40歳で亡くなりました。
彼は死の間際に親友マックス・ブロートに「作品を全て焼き捨ててほしい」と遺言しましたが、ブロートはこれに従わず作品を発表。
結果としてカフカの作品は広く評価され、20世紀を代表する作家としての地位を確立しました。


▼ カフカの影響と現代的意義

哲学者ジャン=ポール・サルトルや映画監督ウディ・アレンなど、多くの知識人がカフカの作品に影響を受けています。
彼の作品は、現代社会の不条理や個人の孤独感、無力感を鋭く描き出し、多くの人々に共感と洞察を与えています。


▼ 結論

カフカの人生と作品から読み取れるメッセージは、「諦めることによる自由」です。
希望や期待に縛られることなく、絶望や不条理をそのまま受け入れることで、新たな視点が得られるという彼の哲学は、現代社会のストレスやプレッシャーに苦しむ人々にとって重要な教訓となるでしょう。


▼ メンタリストDaiGoさんの理不尽にたいする考え方とは?

理不尽な攻撃を受けたときにすべきことトップ5

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