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習慣を作るのは難しい、日記を思い出せたことが奇跡のようだ。それは置いておく。

結果論という言葉はあまりいい言葉ではないかもしれない。

WBCでガッフェ栗山監督率いる侍ジャパンは優勝を収めた。準決勝の劇的勝利や決勝の継投リレー、大谷翔平対Mike Troutの勝負は痺れるものがあった。

栗山監督は村上宗隆を使い続けた。正直彼は昨シーズンの彼とは程遠い打撃成績であり、三振にセカンドゴロを重ね、挙げ句の果てに守備でもミスをするという最悪の状態だった。

私自身も村上に批判的であったかもしれない。前年の日本シリーズ、テレビのヤクルトスワローズ推しが強く、オリックスファンの私はイライラしながら試合を見ていた。注目の的は三冠王であった。

準々決勝でも彼はやはり打てず、9回に打席に立った彼を半分諦めた気持ちで見ていた。

打った。

外野の頭を越えるサヨナラタイムリーであった。

彼が打たなかったら正直日本は負けていたかもしれない。結果打てたからいいじゃないかと言われるが、もし打てなかったら相当な批判が彼と栗山監督に向くだろう。

もし他の打者を使っても打てなかったらどうだろう、村上なら打ったかもしれない、と言われるだろう。

結局は選手を変えることによって確率を上げることしかできない。源田を替えなかったのもそうだ。他のショートが守備でミスをしたら、批判が来るだろう。ミスをしないとは限らないのだから、結局は現実として起こった結果でしか判断できない。

サッカー日本代表は前年のワールドカップでドイツ、スペインを破った。森保監督の采配は選手任せで戦術があまりないと言われる。戦術を選手に徹底させる監督を用意してドイツ戦、スペイン戦を行った時、勝利する確率は高くなるかもしれない、しかし、負けたら批判されるだろう。確率が高まったのみである。

我々は結果を見ることしかできないのかもしれない。もちろん、代表のサッカー監督には私も不信感を抱いてはいるが、良い結果、悪い結果、どちらも出る可能性がある。結果で批判することは本質的ではなく、過程を見なければならないのかもしれない。過程というものをを見づらい野球ではこれはなかなか難しい。サッカーは得点にたどり着くための過程が見やすいから、ある意味ボロが出やすい。

頭がこんがらがってしまった。過程を見ると、わかりやすい、ということ。

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