バズリズム LIVE -10th Anniversary- 感想

バズリズム LIVE -10th Anniversary- に参加してきました。

目当てはイエモン、フジファブリック、そしてもちろん櫻坂46。

ただ、今回は櫻坂がどうこうというより、イエモンとフジファブリック、そしてこのフェス自体のラインナップで語りたいことが出来たので筆を執った。

イエモンが目に止まったのは2016年紅白。
それまでは正直バンドブームで出てきた1バンドと言うイメージしかなかったが、そこで演奏された"JAM"が少しだけ心に残ったのが始まり。
そのあとは結局特に興味なく過ごしていたが、最近EIGHT-JAMで特集されたことがもう一つのきっかけだった。

そこで流れた曲のメロに心惹かれ、AppleMusicでプレイリストをながら聞きしていたところ、偶然今回のバズリズムLIVEに参加できることになり、意気揚々と馳せ参じた。

果たしてそこにいたのは、語弊を恐れず言うと「旧態依然」のロックバンドの姿だった。
SEが終わると、ロン毛の男性が二人でてくる。衣装はド派手でギラギラしている。
一人がドラムに座り、一人がベースを持つ。リズム隊のみでジャムをする。
ジャムが響く中ギターとボーカルがでてくる。合図を決めるとイントロが響き、一曲目の"ソナタの暗闇"が始まる。

SSWやダンスボーカルグループがオリコンを席巻し、バンド自体が珍しい昨今、そもそもリズム隊だけが出てくる世界が成り立たない。
ましてや曲でもないジャムを行うなどというのはここ最近で私が記憶にあるバンドはレッチリぐらいだ。
彼らはそれをなんの衒いもなく行う。時代錯誤のファッションで、自身に満ち溢れた表情で。
吉井和哉は曲中に寝転んだ。落ちサビでもないサビをフェスなのに観客に預けた。ギタリストはローディーにケーブルを捌いてもらいながら客席に近づいていってギターソロを響かせていた。

音楽的にもこれ以上ないほどオーソドックスなロックンロール・バンド。
トリッキーな曲構成も別ジャンルから引っ張ったリズムも凝ったコード進行もなし。
ギターとベースとドラムとボーカル、8ビートと歌謡曲コードで艶やかなメロディを歌い上げ客を熱狂させる。
もちろん今日のベストヒットセットリストが彼らの全てではなく、もっと曲のバリエーションがあるであろうことは想像できるが、今回披露された8曲は本当にこの2024年に「ロックンロール」という死語を蘇らせるのに十分なエネルギーがあったし、それはクリシェでもオマージュでもなんでもなく、全盛期を生き抜き、一度離れてもなお舞い戻った彼らだからこそ可能なステージだったのだと思う。

間違いなくフロアは盛り上がっていた。
2階席から見ると櫻坂のステージにおいてのサイリウムの点灯具合からアリーナの半数は櫻坂ファンだったように思うが、それでも皆手を上げ、手を叩き、歌える部分は歌っていた。
それはとても私の胸を打った。
時代に取り残されたロックンロールは、それでもまだ老若男女を熱狂させられるのだと。
くだらない流行り廃りとは別の、タイムレスな価値というものが確実に存在しているのだと。

そして次はフジファブリックである。

こちらも同様で、今まではほとんど通ってこなかったが、パートナーの影響で"若者のすべて"を聞いたのが始まりだ。

今回もイエモンと同様に予習をしていったが、曲目は大きく外れた。
イエモンとは違い、代名詞とも言えるスクウェアなリズムの上で弾けたギターとキーボードが突き進んでいく曲だったり、性急なフロアタムから勢いのあるギター、開放的なサビに進む曲、沖縄民謡まで見えてくるプログレ的な曲など、非常に多種多様な彩りのある曲群を聴かせてもらい、不満はまったくなかった。
バンドメンバーもイエモンのようなシンプルなロックンロール・バンドというよりは、キーボードが主体だったりパーカッション担当がいたり、衣装もシンプルな私服という感じで、ゼロ年代以降を強く思わせる佇まいだった。
ただ、逆に言うとポップス的なアレンジでも決して打ち込みなどに頼ることはなく、全ての音を演奏で鳴らすという大前提はもちろん変わっておらず、さらに言えばポップス的な複雑な構成をしっかりと生バンドで(しかも当然だがバンドが主体となって熱をもって)鳴らすことの美しさはフジファブリックゆえの魅力だと思うし、イエモンと同様に日本の音楽を彩ってきたもののプライドを見た。

彼らの苦難は傍目で見ていた私にも見えており、活動休止についてもニュースだけは見ていた。

だがその話は全くすることなく、感謝を述べてラストの"若者のすべて"に入った。

ゼロ年代〜2010年付近で数々の日本のインディバンドが雨後の筍のように生まれ、そして近年のポップミュージックの隆盛の横で良いものも悪いもの淘汰されていった。
その中で、メインライターであるボーカルがなくなっても、それでも別バンドを組むことも大きな路線変更もなく突き進む選択をした彼らが、この2024年までサバイブできたことは確実に彼らの才能/センス/スキルそして情熱が成せるものだと思うし、その珠玉の結晶が富士吉田の夕方のチャイムにもなった"若者のすべて"なのだと思う。
それは道のりの苦労や悲劇、それを乗り越えたというストーリーによるものでは決してない。音楽そのものの素晴らしさなのだ。

本イベントの主催者が興味深いツイッターをしていた。

この時代にタイムテーブルを発表しない。理由は「全員で1ステージを作るから」。

ここから少し今回のラインナップ、イベント自体の話をしたい。

まず本イベントは4日開催だが、私が行ったDay2のみチケットが売れ残っていた。
その理由は様々あるだろうが、私はシンプルにラインナップの差と考えた。
それはもちろんDay2のアーティストが集客できないということではなく(なにせドームを埋めるアーティストが2組いるのだ)、以下の2つの理由からだ。

  1. アーティスト同士のシナジーがない

  2. アーティストのロイヤリティがない

まずDay2のアーティストはそれぞれ活躍している世代が10年単位で大きく違った。
sumika/櫻坂は2020年代、秦基博/フジファブリックは2000〜2010年代、イエモンは1990年代…というふうに。
それに比べて他の日はまっすぐに今流行っているアーティストを集めたというところで、今よくフェスなどに行く若い人からするとDay2だけよくわからないアーティストが多いと見えたのだろうということと、じゃあDay2だけで見て客層が被っているかというとそうでもないだろうと思うこと(Day4はうまく客層が被ってそうなアーティストを集めたなという印象)。
また、アーティストのロイヤリティというか、有り体に言うと推し活の対象となっているアーティストが少ないなとも感じた。
他の日だとBE:FIRSTとNiziu、INIとFANTASTICSなどかなりロイヤリティが高いファンがいるので、もはやそれ目当てのファンだけでアリーナクラスであれば売り切れるはずだ。

そう考えると、だいぶDay2は異質…もっというと「この日だけ5年ぐらい前のロックフェスのラインナップに櫻坂が突然突っ込まれた」というイメージを持った。

そこで冒頭の前田氏のツイートである。
この櫻坂の異質さにおいて、もしタイムテーブルを発表した場合、確実に櫻坂まで来ないファンがいるだろう。
実際現地で見ていて櫻坂終了後アリーナでもまとまっていなくなっている席があったし、私の両隣のBuddiesは一人は帰りもう一人はフジファブリックで寝ていた。
マナー違反ではあるが強く咎める気は起きない。櫻坂の音楽性とは全くといっていいほど違うし、普段サブスクや音楽番組などで櫻坂を聞いていてイエモンやフジファブリックが目につくことなどありえないだろう。
そんなマナー違反を覚悟しても前田氏はこの日に櫻坂を入れた。

「この文脈の中で是非出演して頂きたかった」のだ。

愚かだろうか?主催者のマスターベーションだろうか?
その側面はあるだろう。実際先述したようにチケットは売れ残り、マナー違反の客もいた。
それでも私は今日櫻坂が呼ばれたことを誇りに思った。

イエモンもフジファブリックも、時代に迎合しない、時代を生き抜いた自らの価値を貫いたステージングをした。
数十年前から続くバンドという形態の意味を信じて、でもバスティーユやリファレンスに耽溺せず、アイデンティティを持って歌う。
そしてそれはフロアに届いていた。Buddiesにすら届いていた。Xのポストにその証跡はある。
サブスクでもTikTokでも届かない人たちに、音楽が届いた瞬間を見ることが出来た。それはくだらない流行り廃りの一瞬の輝き、SNSマーケットという名のお遊びでは思いもつかない奇跡なのだと考えるのだ。
マクロの数字で見たら愚行なのだとしても、ミクロの主観でスマホを見ていてはできない体験を出来たんだとしたら、それがフェスというリアル空間で実現すべき価値であることは間違いなく、そこを目指した主催者には称賛の言葉しか無いし、その一員として櫻坂を信じてもらえたことはこれ以上無い名誉だと断言できる。

では、櫻坂46は、そのフロアに何かを届けられただろうか?

わからない。
少なくとも明確に届けられたと信じる何かは私に見えなかった。
そもそもかなりBuddiesが多かったのもあるし、Xでは書いたが少し流れが悪い部分があり、外野にまで届けられる強度があったか疑問が残るところはある。
ただ、一つだけ言えるのは、確実にDay2で出たどのアーティストも実現していない価値観を届けられたということだ。
ダンスボーカルグループとして楽器ではなく身体性での楽曲表現。
ゼロ年代ポップミュージックをベースにしつつバラエティ豊かな曲群。
観念的かつ重苦しい歌詞。
そして何より繰り返し書いている演者の熱量。
特にラストブロック"摩擦係数"→"マンホールの蓋の上"→"自業自得"は熱演と言えたし、ライティングや揃った振り、鬼気迫った表情からなにか異質なものを感じ取った人がいればと思う。

櫻坂は坂道の中でもかなりファンダムとしての動きを意識しているグループである。
Youtube/Spotifyの再生数、Xでのトレンド、Instagram/TikTokの運用などを運営/グループ双方で重要なアクションと考えており、それ自体は素晴らしいことだ。
だが、私がバズリズムLIVEを見て思ったのは、その前にある音楽とステージそのものが持つ力だ。
当たり前だが20年前はSNS/サブスクという概念自体がなかったし、音楽においてSNS/サブスクが力を持ち始めたのは2015年以降だ。
それより前は、(もちろんその時代も広告/テレビなどの業界はあったわけだが)音源/ステージの力がマスの人気を呼び込み、ヒットチャートを駆け巡っていた。
そしてそのヒットチャートとも無縁な世界で、それでも音楽の力を信じて続けた結果何十年も愛されるアーティストが世の中にはたくさんいる。
櫻坂もその一員となってほしい。
特にメンバーとクリエイターは、SNSやサブスクのマーケット戦略実装をする現場部隊に成り果てるのではなく、時代を超えて愛される作品を制作し、それをファンダム以外にも届けるようなステージングを行う集団であってほしい。
日本の音楽史の一員として名を残すようなグループとなってほしい。
それが10年より先を見た場合正しいと思うし、彼女たちにはそれができるからこそ、今日呼ばれたのだと信じたいのだ。

今日参加したBuddies以外の音楽ファンに、10年後、「あのとき櫻坂見たんだよ!」と音楽ファン同士で語り合えるような存在になれますように。

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