見出し画像

「きみの色」感想 変えることのできないものを受け入れる力をください



山田尚子監督の過去作「けいおん」からの進化


けいおんでは大人という存在がほとんど不在でした。その点で今作では、むしろ大人という存在が、でしゃばりすぎるほどに登場し、子供である主人公たちを陰から見守る存在として描かれます。

主人公たちは子供といえど、高校生で親離れする年齢です。そのため、作永きみは学校を勝手にやめたことを親には隠していますし、影平ルイは、まるで医者という職業を継がなきゃならないというプレッシャーから逃げるように、母親から隠れています。

子供だけのファンタジーな世界だったけいおんから、子供と大人の関係もしっかり描写した今作は10代の少女たちを見る山田尚子監督の視点の解像度が上がっていると感じました。

いい子症候群


キリスト教系の学校ということで、規則を破ったら反省文をかかされ、奉仕活動することになるという厳しい学校です。

特にそれに不満を抱いていたのがキミで学校では一番のいい子だったために、演じるのが辛くなり学校をやめてしまうと説明されます。しかしそのことに罪悪感も抱いており、行き場のない反抗心や葛藤を発散する方法が音楽なのだと思います。




ロックとキリスト

音楽については詳しくありませんが、セックスピストルズのAnarchy in the ukの歌詞に「俺は反キリスト、俺は反権威主義者」とあるように、主人公たちが組むバンドとロックというのは、アンチ宗教、規則、枠組みのように感じます。

そして10代というのは、どちらかというとロック寄りの思想をもちやすいです。
ドパミンに敏感になり、刺激が好きで危ないもの、新しいものに興奮を感じるようになります。自我が芽生えて、親や大人、社会に反発したい気持ちが芽生える年齢です。

そのためか、ルールが厳格なキリスト教系の学校で、規則を破ってキミを学校に招待したり、親に隠し事をしたりします。
そして終盤の演奏でキミは、わかりやすく背中にrockと書かれた服を着て、音楽という形で抑圧してくる大人たち、学校の規則に対して自分の気持ちを表現しているように感じました。

色で人間を見て、音楽で自分を表現するということ


色を美しく表現できるのはアニメならではだと思います。水彩ぽいタッチで色を表現していて、もし実写でやるとしたらどう表現するんでしょうね。ダリオアルジェントみたいな画面にするとまた繊細な綺麗さとは違った感情湧いてきますし、水彩の繊細さで表現できるのはアニメならではだと思います。

トツ子は人を色で捉える独特な感性を持っていて、トツ子の視点や考えを音楽という音にこめます。

山田尚子監督の話によると、

「感覚的なことになってしまうんですけれども、映画として映像で見ていただくために言語化するということをしないように時間と色と、何かこう感覚的なものを受け取って帰っていただくというフィルムにしたくて、それであの、トツ子の世界の受け取り方はどんなものかなぁという風に想像した時に、色で人を感じる受け取る、彼女がどういう人なんだろうと想像した時に色で表現してみたいなぁという風に思いました。」

https://m.youtube.com/watch?v=tZQUCXAJs9w

とおっしゃっていて、その人を色で表現したり感情を音楽で表現したり、10代の言語化できない感情を、色で音楽で映画で表現しています。映画が終わるころには主人公の世界の見え方は単色ではなく、虹色になっています。



さらにインタビューでは、

「この子たちが演奏する音楽は、プロが作っているものという映画の裏側が見えるような音楽にはしたくなかったんです。この3人が作った音楽だと観ている人に納得してもらえるように、音楽家の牛尾憲輔さんと何度も話しました。難しい展開を組み込むのではなく、練習すれば誰でも奏でられる音楽にしたいと思っていたので」

とおっしゃっていて、水金地火木土天アーメン、昨日のごはんはあったかソーメンというバカバカしい歌詞もトツ子(作詞)のフワフワした性格を表してると思いました。

3人の特別な関係


物語前半、親に学校やめるなど色々内緒にすることで、若干のハラハラサスペンス要素が生まれていましたが、それぞれの秘密を唯一共有してるのがトツ子たち3人だけです。
出会い方は恋愛ぽい関係から始まりそうになったものの、最後まで色恋沙汰の話にならないのはそれは3人が好き(音楽が)と秘密を共有した関係で、特別な関係だからだと思います。とはいえ、キミは最初のルイへの恋心を忘れていないようなので、そこのところは曖昧で、よくわかりませんが。


けいおんから続く、刹那的な青春の思い出とその終わり


古本屋で出会い、バンドを組み始めた3人は最初で、もしかしたら最後の演奏を学校で披露します。
ここにはボヘミアンラプソディ的なカタルシスがあり、ほぼ全編を通して音楽を作り、終盤の盛り上がりところでその音楽たちを披露する、音楽アゲ映画です。
その演奏後、ルイは2人のもとから去ってしまいます。青春の思い出は刹那的で、それぞれの道に進みます。しかしそこに悲しみの感情やエモーショナルな展開はありません。
映画冒頭、
「変えることのできないものを受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして変えられないものを変えるべきものを区別する賢さを与えてください」と祈っていたトツ子ですが、10代の終わり、子供からの、学校からの卒業という変えられない時間の流れを受け入れます。


演奏が終わり、トツ子は踊りながら自分の色を見ます。音楽を通して自分の感情を表現たトツ子は、自分の色が見えるようになりました。自己理解が進んだのだと思います。
抽象的な話を抽象的な色で表現したために、わかりずらい、解釈の難しい映画になっていると思います。

エンディングでミスチルの曲が流れます。
「去年の上着のポケットに迷いは置いてきたんだ今日からまた新しい私が始まる。心はまだ不安定でカーテンのように揺れるけど吹き抜ける風の心地よさを感じる」

まさに今のトツ子の青春の終わり、その切なさ、迷い、そして迷いを経て大人になる心の成長過程を謳ってる曲だと思います。



その後も続く人生


エンドロールが終わったあと、3人の思い出とともに映画は終わりますがそこで永遠の別れというわけではないことがわかますよね。
see you またね
で終わります。



友人関係の終わり、学校の卒業、思春期の卒業は避けられない、変えられないものかもしれないけど、それを受け入れて大人になる、超王道の青春物語なのだと思いました。


感想記事の続きと、山田尚子監督の演出技法についての記事です!⤵︎

いいなと思ったら応援しよう!