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「きみの色」 感想 神は細部に宿る!山田尚子の言語に頼らない映画ならではの演出手法
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「きみの色」感想記事の続きと
山田尚子監督の、言語に頼らない演出技法についての記事です。
一つ目の感想記事です!↓
なにかを作る楽しさ
「きみの色」の物語の展開は淡々としていて、倒すべき敵や、物語を盛り上げるための対立がない。
その代わりに日常の細かな描写やキャラクター同士の関係、感情の機微に重きが置かれている。
そして何より、バンドを組み、音楽を作る過程を丁寧に描写していて、キミちゃんの色を音楽にしたい!という目標設定から、歌詞のインスピレーションを学校の授業から受けるというのがよかった。
アイデアというのは、ふとしたことから思い浮かびますからね。
何かを作ることの楽しさを丁寧に描写しているからこそ、終盤の3曲連続演奏という歪な構成でも、3人の演奏がクライマックスの盛り上がりどころとして機能してるんだと思う。
キミちゃんの話 ツッコミどころ
キミは親にバレずに学校をやめるなんてことできるの?という脚本上のツッコミどころをネットで読んだ。
詳細に家庭環境が描写されないため、これは憶測でしかないが、母親が登場せず、登場するのが叔母だけだったため、何かしらの事情で叔母とキミは一緒に暮らしていて、親とは別居してるんじゃないかと思う。
親はキミが辞めることを知っていて、でも叔母だけは知らされていないってことなのかも?
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男がいない世界
山田尚子監督が手がけた、原作のないオリジナルの作品がいくつかあるが、今作も含めてそのどれもが男がほとんどいないようにみえる世界観だと思う。
その理由が今作を見てわかった気がする。
今作で唯一の男性キャラであるルイがいい奴なんだけど、まあまあ無自覚に無神経な奴で、急にハグしたり、女の子2人は危険だからとか言って自分も古い教会に泊まるとか言い出したりします。
3人は友達だし、中性的な雰囲気でバランスをとってはいるが、とはいえノイズになるっちゃなる。
山田監督は10代の大人でも子供でもない時期をえがくのが得意な監督だが、この年齢になるとどうしても色恋沙汰の話になるんじゃないか?ということをどうしても意識してしまう。
こういうノイズを発生させないために「けいおん」「リズと青い鳥」などの学園ものでは、女子校という男の存在しないセットアップにこだわっているのではないかと思う。
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山田尚子の演出技法
やっと本題、山田監督の演出技法
まず、実写の撮影技法をアニメで再現することを好む。
カメラの揺れ、被写界深度、レンズフレアなどだ。
そしてキャラクターの体の一部分に極端にクローズアップし、その動きでキャラの感情や個性を表現する。
物語は日常を淡々と描写するものが多く、どんでん返しがあるような作品はない。
昔のディズニーアニメは、「アニメーションの12の原則」といって、キャラの動きの型を考えた。
ストーリーもハリウッド的な、わかりやすい盛り上がりところがある脚本が多い。
日本を代表するアニメ監督宮崎駿は、自分の好きをひたすら前面に出し、なぜかそれで大成功してしまった変な人だ。
アニメ的な、見ていて爽快感のあるキャラの動き、ミリタリー趣味、ロリコン趣味、自然を崇拝するようなテーマや物語内での扱い方などだ。
君たちはどう生きるかのドキュメンタリーがNHKで公開されたとき、この話って高畑勲と宮崎駿の話なんかい!と「君どう」考察班は椅子から転げ落ちていた記憶があるが、昔から宮崎駿は自分の狭い世界の中の話を映画にする監督なので、驚くような話ではない。
彼らと比較して、今を代表するアニメ監督、山田尚子はどうか。
ディズニー的な誇張されたポーズや表情は描かれないし、宮崎駿的なダイナミックな動きやアニメ的なフェティッシュはない。
ただひたすら人物の動きをリアルに描写する。高畑勲や片渕須直タイプだ。
そして物語はその細部に宿る。
繊細な体の動きと、それを見つめる極端なクローズアップによって、キャラクターの性格が描写される。そして物語が展開し、キャラクターの感じている感情や思考も、動きを見ればわかる。
観客を信頼しているという発言をインタビュー記事で読んだ。観客を信頼し、言葉を頼らずに映像の言語で物語を語る語り口は実に映画的だ。
そして今作ではキャラの動きだけじゃなく、色や音楽を使ってキャラクターを描写している。
山田尚子インタビュー
わたしはアニメーションを作っているので、映像の言語で伝えられるものを探りたかったんです。言葉に頼りすぎなくても、なにかを伝えることはできるんじゃないか、色や音をテーマにした映像作品を作りたい、というところから制作がはじまりました。
トツ子の心が輝くときは画面の中の色が輝き始める。キミが突然学校からいなくなった時はトツ子の心と連動するように画面の背景はグレーになる。
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山田尚子インタビュー
テーマが見つかって、トツ子という人物が見えてきたんですね。トツ子が「色が見える女の子」であることは、物語にどう作用していますか?
山田監督:すべての意味を限定してしまわない描き方ができたんじゃないかと思います。例えば、感情に「好き」って名前がついていたとして、その名前がつく前の、気持ちが芽生えた瞬間から感覚として感情を描いていくことができたというか。難しかったですが、映画にとってはいいテーマになったかなと思います
抽象的なことを抽象的なまま描写するためには、言葉じゃなく色だったり音楽だったり、はたまた体の動きだったりを使って演出している。そういった細かな描写の積み重ねで物語は彩られる。だからどんでん返しや劇的な物語展開などは必要なく、むしろ何も起こらない日常を淡々と描写するからこそ、観客は細かな色や動きに注目するようになる。
スタンリーキューブリック
かつてキューブリックはインタビューで「あなたがこの映画で伝えたかったことは?」と質問された時、「それが口で言えるなら、映画で伝えたりしない」と答えたといいます。
以上!