の在る家
バキバキガシャン
バキバキガシャン
大きな音をたてながら重機が少しずつ家の形を変えていく
思えば、この家で過ごしたのはたった五年間だった
五年…
この五年で俺は妻と娘を失った
この家の解体はそんな俺に出来る唯一の復讐だ
妻の妊娠を期に家を買うことにした
フリーランスのエンジニアなので、住む地域はどこでもいい
妻の希望を採用し、地方都市で家を探すことにした
妻は家自体にこだわりはないらしいので、必然的に家探しは俺の役目になる
子供が出来る上に憧れもあったので、戸建てに条件を絞って探すことにした
家を探し始めて三ヶ月ほどたった頃、不動産サイトでびびっとくる物件を見つけた
築年数はかなり古いがリフォームされている
広い庭があるのも魅力的だ
一番気に入ったのは昔ながらの広い日本家屋だと言うところ
流石にキッチンと浴室は最新のものに変えられてているが、囲炉裏と掘りごたつがある
一階は続き間になっており、襖を取り払えば大広間として活用できる
もとは地主だの、名家だのが所有していたのだろう
どういう経緯で手放したのかは知らないが、面白そうだ
広さや設備の新しさの割に価格も安い
写真からも良い雰囲気が感じ取れる
妻にもサイトを確認してもらい、早速内見の予約を入れた
やっと着いたか、初めて来たな
あくびをしながら座りっぱなしで固まった体を伸ばす
内見と町の下見をかねて旅行に来たが、昼間なのにかなり暗い
濁った空から今にも降り出しそうだ
せめて内見が終わるまでは降らないでくれよ
そんなことを思いながら駅前で借りたレンタカーを走らせる
物件に到着すると既に車が一台止まっていた
その後ろに駐車し、門扉の前まで行くと二瓶と名乗る不動産屋が出迎えてくれた
お待ちしておりました、早速ご案内させていただきます
二瓶に着いて行くと何故か玄関ではなく庭に案内された
雨戸とガラス戸に障子、襖が全て開け放たれており、大広間と呼ぶに相応しい、俺の求めていた景色がそこにあった
庭は敷地を囲うように生垣が植えられているだけで他には何もない
広い庭を芝生が覆っているので走り回るのに良さそうだ
長旅でお疲れだと思いますので、縁側にお掛けください
この場で簡単に物件の説明をさせていただきます
こちらをどうぞ
二瓶から物件の資料を受け取り、説明を受ける
告知事項?
大抵がサイトで確認した内容だったので聞き流していたが、突然出てきた覚えのない言葉に思わず聞き返す
サイトの方にも漏れずに記載されていたと思いますが…
二瓶が不安そうにこちらの様子を伺う
あぁすみません、気がつきませんでした
ちなみに告知事項ってどんな内容ですか?
人が死んでるとか、幽霊が出るとかそんな感じですか?
いえ、心理的瑕疵に該当する事柄は特にありませんし、幽霊が出るという話も聞いたことありません
告知内容に関しては説明するより見てもらった方が早いので案内させていただきますね
そう言うと靴を履き、庭から玄関へ向かった
玄関の引き戸を開けると広い土間があり、向かって左は真っ直ぐ延びる廊下に、右側は掘りごたつのある茶の間に繋がっている
茶の間側の土間にはシステムキッチンが備え付けられている
塗装で誤魔化そうとしてはいるのは伝わるが、それでも少し浮いているように感じる
それに冬場は寒そうだ
まぁ寒さを言うなら続き間なんてもっての他だが
そんなことを考えながら土間を見渡していると妙なものを視界に捉えた
上がり框と廊下の板張りの境目、壁に沿うように何かが置かれている
石の像だろうか、2Lのペットボトル程の大きさがある
これは何ですか?
あぁ、これがまさに告知事項です
はぁ?
予想外のことに間の抜けた声が漏れる
これは道祖神と呼ばれる石の像です
道祖神?あの交通安全か何かで道に置かれてる地蔵みたいなやつですか?
厳密には少し違いますが、まぁ似たようなものですね
廊下の先を見ていただくと分かるのですが、廊下に面している各部屋の入口にも一体設置されています
何でそんなものが…?と言うか告知事項にするってことは何かあるの?
この土地に家が建った頃から廊下に道祖神が設置されていたみたいです
なぜ道祖神を設けるようになったのかは売主様もご存知ないとのことですが、道祖神がないと良くないことが起こると話されておりました
家を売るのに道祖神について注意して欲しいとのことで告知事項を設けさせていただきました
詳細は分からないが、どうやら民間信仰的な何かのようだ
ちなみに道祖神って処分しても問題ないでしょうか?
売主様は触らずそのままにして欲しいとおっしゃっていましたが、購入してしまえば所有権は移ります
ですので処分費用は別途でかかってしまいますが、処分して頂いても問題ありません
ただ、あくまでも自己責任
それがきっかけで何か起きても責任は取れませんのでご理解下さい
そう言うことなら安心しました
その後は一通り物件を見て回り、家自体かなり気に入った
ここに来るまでに見た町並みもかなり良い
妻の体調が悪く、今日は来られなかったので申込は妻が内見をしてからということになった
後日、無事に妻からも許可が下りたので契約に至った
契約から約二ヶ月後、物件の引き渡しを終えた
家に合う調度品を揃え、邪魔な道祖神も処分し、生活できる環境は整った
だが、現在生活しているのは俺だけだ
妻が引っ越し先での産院探しを危惧していたので、里帰り出産を勧めた
義両親が快く引き受けてくれたこともあり、妻は義実家で出産の準備をしてくれている
仕事があるので頻繁には顔を出せないが、俺もなるべく義実家に足を運ぶようにしていた
新居での一人暮らし、寂しくないと言えば嘘になる
だが、ご近所さんが気にかけてくれるので、それ程でもなかった
引っ越してから約三ヶ月、遂に待望の娘が生まれた
母子ともに健康で安心したと共に、出産に立ち会い、生命の神秘を目の当たりにすることで親としての自覚を持つことが出来た
義両親の勧めもあり、体力が回復するまで妻と娘は義実家で過ごしていた
娘が生まれて一ヶ月、妻と娘が新居に越してきて新生活が始まった
その頃には道祖神の事はすっかり忘れていた
元々妻も俺も信心深くはないので気にかけてはいなかったし、引っ越してきてから何も起きていないのだから無理もない
初めての子育てに四苦八苦しながら、忙しくも楽しい日々を過ごしていた
子供の成長は思っていたよりずっと早い
気づけば娘は三歳になり、幼稚園に入園した
入園すると友達ができ、我が家の庭と大広間では子供達が走り回るようになった
その光景を見るたび、心からこの家を買って良かったと思う
ただ、付き添いの親御さんが挙動不審なのが気になる
理由を聞くと、広くて落ち着かないと言うので納得した
ある日、仕事が上手くいかずにイライラしていると、幼稚園に娘を迎えに行くよう妻に頼まれた
これは妻なりの気遣いだ
気分転換にもなるので二つ返事で引き受ける
娘が話す幼稚園での出来事を聞きながら帰宅する
玄関を開けると廊下の先に倒れている妻の姿が目に飛び込んできた
どうした、大丈夫か?
玄関から声をかけるが反応がない
嫌な予感がしたので駆け寄ろうとする娘を制す
娘を土間に残し、廊下に上がり電気をつける
妻に駆け寄るとあまりの光景に俺は言葉を失った
妻は廊下で死んでいた
病死ではない
複数箇所の骨折と裂傷
手足が不自然に折れ曲がり、皮膚が裂け、骨が露出していた
検死では内蔵の損傷も確認された
車との衝突でないと説明のつかない外傷である
警察の見解では、交通事故に巻き込まれた後、犯人によって廊下まで運ばれたのではないかとのこと
だが、家を囲うように設置している防犯カメラにはそんな姿は写っていなかった
俺が出掛けて娘を連れて帰るまでの間、妻も含め誰も出入りしていない
警察も手がかりを掴めず、唯一の情報は‘’我が家の方からドンという音が聞こえた‘’という近隣住民からの情報のみ
しばらくすると何故か事件性はないと判断され、捜査は打ち切られた
抗議したが再開されることはなく、マスコミに情報提供しても取り上げられることはなかった
人生に絶望し、いっそ死んでしまおうかとも思ったが、娘を独りにさせないために何とか思い止まった
娘も妻が帰ってこないことは理解している様で、よく泣くようになってしまった
時間が全てを解決するとはよく言ったもので、半年も経てば以前と変わらない笑顔をみせるようになった
幼稚園から帰ると仏壇に向かってその日の出来事を話すのが娘の日課になっている
妻の死から二年が経過した
結局捜査が再開されることはなく、妻が亡くなった理由は未だに分かっていない
正直なところ仕事に家事に育児、これらを一人でやるのはかなり大変だ
今はご近所さんや娘の友達の親御さんが何かと気にかけてくれるので何とかなっている
だが、この広い家を一人で維持するのは流石に骨が折れる
手放そうかとも考えたが、娘にとっては妻との思い出が詰まった唯一の場所だ
せめて娘が高校を卒業するまではここに住み続けたい
そのため家事代行サービスの使用を検討している
色々あったが、娘の五歳の誕生日を迎えた
朝から遊園地で遊び、夜に焼き肉を食べて帰宅した
一日中遊び回ったのもあり、帰りの車内で娘はぐっすり眠っていた
そのまま布団に運んでもよかったが、まだプレゼントを渡していない
そこそこ荷物もあるので、娘を起こして玄関まで歩いてもらった
荷物を茶の間に置くと、上がり框に腰かけている娘にプレゼントを渡す
寝ぼけてボーッとしていた娘の表情がパアッと明るくなった
プレゼントはずっと欲しがっていた戦隊モノのおもちゃの銃だ
今日はお風呂入って寝て、遊ぶのは明日にしよう
えぇ、誕生日だしちょっとでいいから遊びたい~
予想外の返答に、俺は少し泣きそうになった
妻が亡くなってからと言うもの、娘は駄々をこねなくなった
聞き分けがいいと言えば聞えはいい
だが年相応に甘えられていないのではないか、俺が頼りないのではないかとずっと不安だった
だから、今すぐに遊びたいと要求されたのが凄く嬉しかった
しょうがないなぁ、お風呂が沸くまでな
俺の言葉を聞き、娘は嬉しそうに銃持って大広間に走っていった
しばらくして、お風呂が沸いたので娘を呼びに向かう
娘は廊下におり、茶の間に向かって銃を撃っていた
お風呂沸いたから準備して
廊下の奥から娘に向かって声をかける
はぁい
娘は返事をすると、こちらに向かって走り出した
直後、娘は前のめりに転んでしまった
それと同時にドンッと大きな音を立て、家が揺れた
地震の揺れとは異なる、何かがぶつかったような音と衝撃に反射的に身構える
ビビりながら周囲を見回すが、変わったところはなさそうだ
外で事故でもあったのだろうか
何が起きたのか気にはなるが、転んだ娘が優先だ
大丈夫か?
声をかけながら娘に近づく
動く素振り全くがない
打ち所が悪く、気を失ったのだろうか
うつ伏せで倒れている娘の肩を掴み、仰向けにする
な…で…
娘はぐちゃぐちゃになっていた
身体中に裂傷がみられ、手足は不自然に折れ曲がり、皮膚から骨が露出している
まるであの日の妻のように
はぁはぁはぁはぁ
呼吸がうまく出来ない
娘の胸に手を当てるが、鼓動は感じられない
震える手で110番に掛けたが、そこからの記憶はあまりない
気づけば仏壇の前に座っていた
位牌と写真が増えており、それらを抱き抱えながら涙が枯れるまで号泣した
娘は事故死で処理され、捜査されることはなかった
目撃した俺ですら何があったのか分からないのだから無理もない
涙も枯れ、生きる気力も失った俺は死ぬことばかり考えていた
せめて迷惑をかけないようにと身辺整理をしていると、この家の契約書が出てきた
そこに書かれた“道祖神”という文字が目に止まった
これまでずっと忘れていた
内見時に二瓶に言われたことを思い出す
道祖神がないと良くないことが起こる
処分してもいいが、あくまでも自己責任
そうか…そういうことか
妻が…娘が死んだのは俺がこの家を買ったから…俺が道祖神を捨てたからか…
言い様のない感情が胸の中に渦を巻く
内から湧き出るそれに押し潰されないよう、畳に頭を打ち付ける
何度も…何度も…
不意に力が抜け、そのまま畳に倒れ込む
視界はボヤけ、額から血が滴り落ちる
いや、違う…悪いのは俺じゃない…この家だ
こんな家ぶっ壊してやる
解体業者を探していた時に知ったことだが、この家は地元で主様の家と呼ばれているらしい
予想通り元は地主が住んでいたようだ
その地主が亡くなり、遺族は別のところに住んでいるので売りに出したと聞いた
もとから継ぐ気がなく、別の地域に住んでいたのなら何も知らなくて当然か…
道祖神がないと良くないことが起こるというのも、それだけを教えられていたのだろう
数日かかった解体も粗方終わり、残すところ床のみとなった
この復讐が終われば、やり残したことはなくなる
やっと楽になれる
ようやく妻に、娘に会えると思うと涙が頬を伝う
すみません
声の方に顔を向けると現場監督がこちらに向かって小走りしていた
どうしました?
指で涙を拭いながら返事をする
床下から地下室みたいなのが出てきたので確認していただきたいのですが
地下室?
えぇ、土間のコンクリの下にあったみたいで
行ってみると確かに地下に続く階段がある
中がどうなっているか分からないと解体が出来ないらしい
確認のため、現場監督と一緒に階段を下りる
人一人がやっと通れるほどの狭い階段を、車に積んであった懐中電灯を頼りに進んでいく
勾配が急な石の階段を二十段ほど下ると、学校の教室ほどはありそうな空間が広がっていた
冷たく湿った空気に鳥肌が立つ
入る前は防空壕だと思っていたが、どうやら違うらしい
空間の中央には祭壇があり、見覚えのある石の像が祀られている
その祭壇の後ろには直径三mほどはありそうな大きな石井戸がある
井戸には注連縄が巻かれ、周囲には小動物のモノと思われる骨が散乱している
料金は上乗せしていただいて構いませんので地下室と井戸の解体もお願いします
それは構いませんが、神主様に息抜きしてもらわないといけませんね
今日は予定通り床の解体まで終わらせ、地下と井戸は後日ということになった
解体業者が帰ると地下へ向かい、解体用のハンマーを祭壇に向かって振り下ろす
使用されていた木材が腐っていたのか、簡単に破壊することが出来た
祀られていた石の像は地面に落とすと四つに割れた
蓋をずらし、井戸の中を懐中電灯で照らす
どうやら俺はまだ死ねないらしい
それを悟るに十分なものがそこにあった
枯れた井戸の中には五mはありそうな大きな魚が横たわっていた
体中が傷だらけで目も白く濁っているので死んでいるのは間違いなさそうだ
冷たく湿った地下空間だからか、死にたてだと思えるほどに艶がある
俺は妻と娘の命を奪ったこの家の、この生物の秘密を解明することを心に誓った