黒の章

ツクヨミいない夜の空 草木眠ると現れる
存在しないその場所は 坂を下った先にある

存在しないその坂は 普段は岩に隠れてる
山に行くなら子の刻に 岩が退くのは丑の刻

灯り持たずに静かに進め 鬼に見つかりゃ食べられちゃう
行灯代わりに狐花 闇夜を正しく照らすから

遂に見つけた堅洲國 わいわいガヤガヤ楽しそう
さらに奥には黄泉の国 みんなそこからやってくる

賑やか宴会気をつけて 食べたらみんなの仲間入り
命を守る黒い百合 なければ呪いに侵される

あっても長居は禁物だ 死者を見つけて早く去れ
命を守る黒い百合 坂に向かって投げ捨てろ

眠る草木を起こさず下山 これで晴れて黄泉帰り 


 息子である真也が亡くなって以来、妻の美月は度々こんな歌を口ずさんでいた

 聞いたことのない歌だったが、その頃はショックに対する防衛規制だと思い気にも留めなかった

 息子の一周忌を迎え、少しずつではあるが日常を取り戻しつつあったある朝のこと

 起床して廊下に出ると、妻が玄関で靴を履いているところだった

 こんな朝からどこに行くのかと尋ねた俺に妻は短く答えると家を出ていき、二度と帰ってくることはなかった

 この時、すぐに追いかけなかったことを俺は今でも後悔している

 俺はというと妻の言葉を真に受けず、休日なのをいいことに二度寝をして、次に目が覚めたのは12時を少し過ぎた頃だった

 ご飯を食べようとキッチンに向かっていると、ダイニングテーブルに置き手紙があることに気がついた

 そこには今朝、妻が言っていたのと同じ言葉が書かれていた

真也を連れ戻してくる

まさか…真也の後を追う気じゃ

 ようやく事態の深刻さを理解した俺は、急いで妻の携帯に電話をかける

 プルルルと呼び出し音は聞こえるが一向に出る気配がない

 留守番電話には切り替わらない設定のようなので、諦めて受話器を置く

ちくしょう…

 焦る頭でどうしたらいいのかを考えつつ、無意識に手紙を裏返す

 そこには何故か、妻が口ずさんでいたあの歌が書かれていた

この歌が何なんだ…なんでこんなのを?
あぁいや、今はそんなことよりも…

 あまりに突飛な内容のお陰で逆に冷静になり、義両親や共通の知人に連絡をすることが出来た

 だが結局妻とは連絡が取れず、足取りも掴めぬまま日付が変わってしまった

 このままでは埒が明かないため、直ちに警察署へ向かい捜索願を提出した

 届出は無事に受理され、手紙の内容が遺書ともとれることから特異行方不明者としてすぐに捜索が行われることとなった

 警察の捜索により、いくつか目撃証言を得ることが出来た

昨日13時30分頃、花屋で買い物をしたというのが現時点で判明してる最後の目撃証言となります

 昨日に引き続き妻の捜索を行っている俺へ、警察から情報共有の連絡があった

ご報告頂きありがとうございます
あの、そこまで足取りが掴めてるなら後は警察犬で探せたりしませんか?

 ふと湧いて出た疑問をぶつけたが、それは無理だと言う

臭いも時間の経過で消えてしまうので、訓練された警察犬でも5時間前の臭いを嗅ぎ分けるのが限度なんです

そうですか…手紙を見つけた時点で通報すべきでしたね…
考えすぎかもしれないと楽観視しなければこんなことには…

あまり気を落とさないでください
我々も最善を尽くしますので
また新しい情報が入り次第ご連絡致します

 そう励ましてくれたが、それから数日が経過しても妻の足取りは掴めず、状況は何も変わっていない

 新たに得られた唯一の証言は「22時頃、畑道を山の方へ向かって歩く女性を見た」という不確かな内容

 目撃者は外見的特徴を覚えていないため、それが妻かどうかも分からない

 そして何も進展がないまま一ヶ月が経過した

 もう妻は見つからないのではないかと半ば諦めかけていたが、ある時ふと思い出した

 置き手紙の裏に歌が書かれていたことを

 この歌にも何か意味があるのではないかと何度も読み返し、そして気がついた

黄泉帰りって蘇りのことか?
ってことはまさか…

美月は真也を生き返らせようとしているのか…?

 普通に考えてあり得ないことではあるが「連れ戻してくる」と言っていたことを踏まえると、そうとしか考えられない

 どこでこの歌を知ったのか分からないが、精神的に弱ってる状態でこんなことを知ったとしたら縋るのも頷ける

 失踪との関係性を見出だした俺は、この歌について調べることにした

 だが図書館やネットでいくら調べてみても同じものどころか類似した歌すら見つからない

 妻の地元に伝わるものではと考え、義両親や妻の友人にも聞いてみたが知っている人は見つからなかった

 あれこれ調べて新たに分かったことは、狐花が彼岸花の別名であるということだけだった

そう言えば最後に目撃されたのって花屋だったな

 花の名前が歌詞に出てくるのもあり、その花屋に話を聞いてみることにした

 歌については知らないとの事だったが、妻が黒百合の花束と赤い彼岸花を一輪購入したことを教えてくれた

 やはりこの歌を調べることで妻の行方が分かりそうだ

 確信を得た俺は島根県にある黄泉比良坂へと足を運んだ

 だがここでも妻の行方も、歌についての情報も何も得ることが出来なかった

 そこで改めて知っているモノも含め、歌詞を調べ直してみると面白いことが分かった

 ツクヨミのことを月の神だとばかり思っていたが、黄泉の神だという説もあるのだとか

 だが、分かったことはこれくらいで完全に行き詰まってしまった


あの時、すぐに追いかければなぁ

 公園のベンチで煙草を吸いながら途方に暮れる

 そんな俺の耳に下校中の子供の声が聞こえてくる

 子供達の元気な姿が亡くなった真也の姿と重なり、目頭が熱くなる

 姿勢を前のめりに変え、右手で目元を押さえる

おじさん大丈夫?

 そうして涙を堪えていると子供に声をかけられた

ん?あぁ、大丈夫だよ

 涙を拭いながらありがとうと伝える

そっか、じゃあね

 そう言って公園から出ていく子供の背中を見送っていた俺は、その少年の口から出てきた言葉に我が耳を疑った

ツクヨミのない暗き空 草木寝(い)ぬると現るる

存在のないその所 坂を下った先にあり


 少し違和感あるが、あの歌でまず間違いない

ちょっと君!待ってくれ

 呼び止める俺の声に気づいた少年が足を止めて振り返る

俺?

今歌ってた歌について教えてくれないか

あ、えっと…

 俺の言葉に少年は困ったような素振りを見せる

ごめんなさい
お婆ちゃんにこの歌は他の人に教えちゃいけないって言われてるから

俺、その歌について調べてるんだ
ほらっ、これがその証拠

 そう言って手紙を見せる

お願いだ、君のお婆さんに会わせてくれないか?


 公園で出会った少年、悠介くんの案内でたどり着いたのは、とある老人ホームの一室だった

お婆ちゃん、会ってくれるって
じゃあ俺は帰るから
バイバイおじさん

 そう言って手を振る悠介くんに感謝を伝え、姿が見えなくなるまで見送った

 一度深呼吸をしてからドアの前に立ち、コンコンとドアを叩く

どうぞ

 返事を確認し、扉を開く

失礼します

 軽く頭を下げ、室内を見ると窓際の椅子にサングラスを掛けた老婆が座っている

始めまして、相川 拓海と申します

始めまして、岩月 シキです
さぁ、そちらにお掛けになって

 お婆さんに促された通り、テーブルを挟んで向かいの椅子に座る

さっき悠介から聞いたよ
シカエシノウタについて聞きたいんだってね

シカエシノウタ?
この歌はシカエシノウタと言うんですか?

んん?違うのかい?

いやぁ、実は歌のタイトルは分からないんです
妻の残したこの手紙を頼りに調べているのですが、見ての通り歌詞しか書かれていないので

 テーブルに手紙を出すがお婆さんは見向きもしない

すまんね、アタシは目が見えなくてね
だから夫が亡くなってすぐ家を追い出されちまったのさ

 ほれと言いながらお婆さんは掛けていたサングラスをずらし、白く濁った眼球を露にする

これは大変失礼しました

えぇのよ
そしたら一度歌うから、同じかどうか比べてみてな

 そう言うとお婆さんはシカエシノウタを歌い始めた


ツクヨミのない暗き空 草木寝(い)ぬると現るる
存在のないその所 坂を下った先にあり

存在のないその坂は 常に岩に隠れ居る
山へ行くなら子の刻に 岩が退くのは丑の刻

灯り持たずに静静(しずしず)進め 鬼に見つかりゃ喰われちまう
行灯代わりに狐花 闇を真(まこと)に照らすゆゑ

遂に見つけた堅洲國 わいわいガヤガヤいと楽し
奥を見てみりゃ黄泉の國 皆はそこから現るる

賑わう宴にゃ気ぃつけろ 食ったら皆の同朋(どうぼう)に
命を守る黒き百合 なければ呪いに侵さるる

あっても長居は禁物だ 死者を見つけて早う去れ
命を守る黒き百合 坂に投げたら見返るな

寝(い)ぬる草木を起こさず下向(げこう) 
これより晴れて黄泉帰り


 お婆さんが歌ったのは手紙に書かれているものと同じ内容に思えるのだが…

どうだったかね?
アンタの知ってるのと同じだったかい?

聞かせていただきありがとうございます
かなり似ていると思うのですが、歌詞が少し違うというか…お婆さんの歌に比べて手紙に書かれた歌は現代風な言葉遣いになっています
こうも違うと似た別の歌なのかもしれません

そんじゃあ一度歌ってみてくれんかね?
アタシがアンタのを聞いたら判断がつくからね

分かりました、では

 一つ咳払いをしてから歌を歌う

 それが終わるとお婆さんが拍手をしてくれた

うまいもんだね

ありがとうございます
まぁ読み上げただけですが

それでいいのよ
シカエシノウタには音階や旋律と言ったものはないからね

では、やはりこの歌はシカエシノウタと言うことでしょうか?

まず間違いないね

では何故私のとお婆さんのでは細部が異なるのでしょうか?

 俺の問いかけにお婆さん少し考える素振りをみせた

アンタはこの歌を奥さんの手紙から知ったんだったね?

はい、その通りです

じゃあ恐らくアタシとアンタの奥さんは遠縁の親戚なんだろうね

え?歌だけでそんなことが分かるんですか?

分かって当たり前よ
なんせこの歌はその昔神職であった祖先、その中でも本家にのみ伝わる歌だからね

 門外不出の歌と言うことか、どおりで調べても分からないはずだ

 そう納得しかけたが、ある疑問が頭をよぎった

調べても情報が出てこない理由は分かりましたが、それでも二つほど不明なことがあります
一つは妻の両親がこの歌について知らないということ
まぁ門外不出なので部外者の私には教えられなかったのかもしれませんが
もう一つは歌詞の内容が違うことです
先程も伺いましたが、私にはそれらしい理由が思い付きません

なぁに、簡単なことよ
奥さんの両親が知るはずないからね
この歌も含め神職の頃から残る伝承は、自身の孫の代に引き継ぐことになってるのさ
それに文献なんてものは残ってないから口伝で継承しててね
どうしても全く同じには伝えられないのさ
細部が変わってしまうのは仕方のないことよ
アタシが知るこの歌も、どこまで原型が残っているのか

 ここまで話すと喉が渇いたと言うので、お婆さんの指示に従いお茶を用意する

 ぬるく淹れたお茶をお婆さんの前のテーブルに置き、手を湯呑みに誘導する

ありがとね

 俺も自分用に少し熱いお茶を淹れてから椅子に座る

そう言えばまだ理由を聞いてなかったね
アンタは何でシカエシノウタを調べてるんだい?

実は…

 お婆さんの問いに対し、息子が亡くなってからこれまでの事を全て話した

それで奥さんを見つけたいと…

はい、この歌を私に残したってことは、自分に何かあった時の保険の様なモノだと思うんです
なので門外不出なのは重々承知しておりますが、私にシカエシノウタについて教えて頂けないでしょうか?

 目が見えないのは分かっている

 それでも俺は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた

そこまでせんでも教えられることは教えてあげるさ

 だから顔を上げてくれと言うお婆さんに再度頭を下げてから椅子に座った

まぁ教えるとは言っても本来は門外不出のモノだからね
全てを教えるわけにはいかないから、シカエシノウタとアンタの奥さんに関係してそうなことについてだけになるけど構わないかい?

はい、妻に関わる事さえ分かるのであれば、それ以上は望みません

あまり期待されても困るけどね
アタシの知識を伝えたところで奥さんが見つかるとは限らないから

 それでも構わないと答えると、お婆さんは残りのお茶を飲み干してから話を始めた

まず、シカエシいうんは死から帰ると書く

それで死帰しの歌…もっと分かりやすく蘇りの歌なのかと思ってました

アタシも始めて教えられた時に同じこと思ったよ

 そう言うとお婆さんは少し笑った

前提として死帰しの歌には、読んで字のごとく死者を蘇らせる方法が示されてる
だけど場所について歌われてないね

そう言えばそうですね
今の今まで気づきませんでした
でも場所は島根か広島ですよね?
黄泉比良坂や千引の岩があるので

 先日訪ねた黄泉比良坂を思い出しながら質問するが、どうやら違うらしい

そんな遠くへ行くなら、アンタの奥さんもこの辺で花を買ったりしないんじゃないかね?

うーん、そうとは言い切れない気がしますが…
と言うか、今の言い方だとこの辺にあると言っているように感じるのですが、流石に違いますよね?

実はね、この辺にあるんだよ
なんせ場所は鏡山だからね

鏡山!?鏡山ってすぐそこじゃないですか

そうだね
まぁ単純な話、この地には古事記や日本書紀とは別の神話があったってことよ
それらについては教えてあげられないけどね

 俺はこのやり取りの最中、とある証言を思い出していた

 それは「22時頃、畑道を山の方へ向かって歩く女性を見た」という内容である

 この話に出てくる女性が向かった先にあるのが、何を隠そう鏡山なのだ

 俺はお婆さんの話から、この女性が妻であることを確信した

それで鏡山のどこから黄泉の国へ行けるのでしょうか?

それは…アタシにも分からんのよ
こうなる前はよく鏡山へ行ったもんだけど、それらしい場所は見なかったから

 そう話ながらお婆さんは自身のサングラスに触れる

まぁその当時は歌どころか神職の家系だったことすら知らされてなかったんだけどね

ですが場所が分からないと困りますね
歌の舞台が鏡山であるなら、妻はそこにいると思うんです

 俺は先ほど確信を得た証言について話した

黄泉の国が本当にあるかは別として、妻は確信をもって鏡山へ向かったはずです

 いくらなんでも広大な山をしらみ潰しに探すのは不可能だ

 仮に警察へ協力を求めたとして、こんな情報を頼りに動いてくれるとは思えない

安心しな、場所を見つけるのはそんなに難しいことじゃないよ

本当ですか?
でもどうやって?

歌にある通り、坂を塞いでる岩があるはずさ

千引の岩ですよね
でも岩なんて山にならいくらでもありますよ
その中から特定の岩を探すなんて

歌には、も一つヒントがある
山へ行くなら子の刻に 岩が退くのは丑の刻
子の刻とは23時から午前1時まで、丑の刻とは午前1時から午前3時までを指してるのさ

つまり麓から2時間以内にたどり着ける場所と言うことでしょうか?
それでも範囲が広すぎますよ

アンタの奥さんが目撃された辺りから、探す範囲は絞れるんじゃないかい?
それに草木を起こさぬよう、鬼に見つからぬように静かに登る必要があるんだ
明かりも持たずにね
そんな先へは進めないハズさ
まぁ狐花のおかげでそこまで暗くはないだろうけどね

狐花って彼岸花ですよね?
それがあると何故暗くなくなるんですか?

彼岸花は別名 狐の松明、所謂(いわゆる)狐火のことさ
狐火は闇よりも暗い、そのおかげで周囲が明るく見えるのさ

よく分かりませんが…彼岸花を燃やせば良いってことでしょうか?

いんや、そんなことしたらいけん
彼岸花は持ってるだけでいいんよ
まぁその時になれば分かることさ

はぁ…
では鬼と言うのは何でしょうか?
野生の獣のことでしょうか?

いんや、鬼っちゅうんはモノノ怪のことよ
草木が眠れば奴らの時間だからね
まぁ信じられないだろうけど、夜に行けば分かることさ

 黄泉の国を探しているとはいえ、俺は黄泉だの、怪異だのを信じているわけではない

 妻を見つけるための手がかりを探しているに過ぎない

 お婆さんにはそれが見透かされているようだ

捜索範囲が狭まったのはいいんですが、結局千引の岩を特定出来なければ妻の足取りを追えません

その昔、アタシの祖先は鏡山にある神社を管理していたとされている
その神社では代々大きな岩を祀っていたのだとか

ではその岩が千引の岩で、神社の痕跡が残っていると?

いんや、そんなものは残ってないよ
でも神社があったのなら、それなりに広くて平坦な場所のはずさ

なるほど、これだけヒントがあれば何とか自力で探せそうです

それじゃあ歌の解説に入ろうか
と言っても大体は歌詞の通りだから、補足しか出来ないけどね

 正直場所が分かれば妻の足跡をたどれるのだが、まだ何か俺の知らない秘密が隠されているのかもしれない

 俺はお茶を飲み干すと、居住まいを正して聞く姿勢を整えた

歌詞の初めに書かれてるツクヨミ様は、知っての通り月の神様とされているんだけど、実は黄泉の神様でもある
ツクヨミのない暗き空ってのは、ツクヨミ様が黄泉の国を訪れているとされる新月の夜のこと
草木寝ぬるって言うのは、後にも出てくるが草木が眠るとされる丑の刻のこと

ちょっと待ってください
草木が眠るのは丑三つ時なのでは?

他の地域ではそうなのかい?
祖父は丑の刻だと言っていたんだけど…
まぁ少なくとも鏡山では丑の刻だろうね

 お婆さんが空の湯呑みを口につけたので、お茶を淹れ直す

歌詞に存在のないとか、現るるとか出てくるのは、ツクヨミ様が千引の岩を退かすまで、生者が通れないことを表している
岩の下には黄泉比良坂があって、根之堅州国へと繋がってる

根之堅州国は知っています
地下にあるとされる世界で、たしかその中に黄泉の国があるんですよね?

よく知ってるね
生者は黄泉の国には入れず、逆に死者は自力で葦原中国には戻れない
互いに行けるのは根之堅州国までとされている
でも死者が共食を済ませてさえいなければ、生者の手で連れて帰ることが出来る

蘇りですね

奥を見てみりゃ黄泉の國ってことは、黄泉の入り口で宴が行われているって事だろうね
もし行くなら何も口にしちゃいけないよ

えぇ、食べたらみんなの仲間入りですもんね
そうそう、黒百合が命を守るとはどういうことでしょうか?

黒百合には呪いの力があるとされている
だから黄泉の瘴気や死の穢れから守ってくれるのさ

目には目をってことですか
でもその黒百合を最後、坂に向かって投げ捨てろとあります
これは何のために?

これは想像だけど、蘇りをよく思わない者達から身を守るためじゃないかね?
イザナギ様もイザナミ様から追われてたとは言え、髪飾りや桃で時間稼ぎをしていたからね

黒百合がその代わりってことか

坂を抜ければ葦原中国だから、追っては来られないだろうさ
でも油断しちゃいけないよ
なんせ鬼がいるからね
眠る草木を起こさぬよう、来た時と同じ様に静かに下山しないと、喰われて黄泉に逆戻りさ

これで晴れて蘇りと…
仮に本当に蘇ったとしたら、今の時代 大変なことになりかねませんね

そうだね
黄泉帰りの歌について教えられるのはここまでかね
他に聞きたいことはあるかい?

いえ、気になることは全て聞くことが出来ました
本当にありがとうございました

 そう言って俺は深々と頭を下げる

今日話したことは別に信じなくてもいい
でもね、もし奥さんを探すために夜の鏡山へ行くなら、今日の話を思い出してちゃんと準備するんだよ
そうしないとアタシみたいに代償を払うことになるからね

 そう言うとお婆さんはサングラスをずらし、濁った瞳で俺を見つめた


 お婆さんから話を聞いて以来、俺は毎日鏡山に通っている

 もちろん、妻を探すためだ

 何度目かの捜索の後、ついに俺は広場に横たわる大岩を見つけた

 だが、その周囲をいくら探しても妻がここに来たと分かる痕跡は見つからなかった

 肉体的にも精神的にも疲れ果てた俺は、広場に横たわり空を眺めた

やれることは全部やったよな…
これ以上はもう…

 ボーッとそんなことを考えていると、何か声のようなものが聞こえた気がした

 急いで体を起こして耳を澄ますが、何も聞こえてこない

 気のせいかだったかと思い再度寝転がると、どこからか笑い声が聞こえてきた

 気になるので体を起こすが、そうすると聞こえてこなくなる

 そんなことを何度か繰り返している内に気がついた

 声が地面の下から聞こえていることに

 学生の頃、地面に耳を当てると遠く音を聞くことが出来ると教わったのを思い出す

 だが今起きていることは、それとはまるで違う

 俺は仰向けに寝転がっているため、地面に耳などつけていない

これは…まさか…!?

 根の国は地下にあるとされている

 そしてここは、そこに繋がる黄泉比良坂の目と鼻の先

 試しに岩に近づき、耳を澄ませる

 僅かではあるが、先程よりも声が大きくなったのが分かる

試してみる価値はあるか

 その日の夜、帰宅した俺はすぐに次の新月の日を調べ、カレンダーに印をつけた


 腕時計が11時を指したのを確認し、ポケットに入れる

 暗所で文字盤が光ってしまうので、こうする他ない

 既に携帯電話の電源も切ってあり、準備は万端だ

 空を見上げると星々が転々と輝きをみせる

 それとは対称的に、目の前は闇に包まれている

 文明の象徴である灯りも、何億年も夜空を照してきたはずの月も、今はない

 今宵、地を僅かに照らす星の光は、木々に阻まれ影を落とす

 闇は怖い

 その理由は、聞かれても答えられるものではない

 強いて言うなら生物としての本能、根源的な恐怖だろうか

 今から俺はそれに耐えつつ、山を登らなければならない

 大きく深呼吸をし、覚悟を決めると山の中へと足を踏み入れる

 途端に空気が変わったのを感じた

 野生の獣でもいるのかと警戒するが、暗くてよく分からない

 そのまま一歩も動けずにいると、突然周囲が明るく見えるようになった

 暗順応かとも思ったが唐突すぎる

 視線を落とすと、右手に持つ彼岸花が艶のないカラスのように黒くなっていた

買った時は…いや、さっきまでは赤かったはず

 眉唾だと思っていたが、お婆さんの言った通りになったことに驚いた

 だがグズグズしてはいられないので、慎重に歩みを進める

 歌にある通り、山には本当に鬼がいるようで、木々の隙間から時折、異形の影がこちらを伺う

 それらに見つからぬよう、草木を起こさぬよう慎重に山を登り、ついに目的の広場へとたどり着いた

 驚いたことに広場にある大岩の場所が変わっており、元の位置には明らかに岩よりも大きな穴が開いている

 穴に近づくと声は聞こえてくるが、中は真っ暗で何も見えない

行灯代わりに狐花 闇夜を正しく照らすから

 歌詞の内容を思い出し、穴に彼岸花を近づける

 すると闇の中に地中へと続く坂道が浮かび上がった

 俺は恐る恐る穴に、坂に足を踏み入れる

 足の裏に伝わる感覚から、それが存在することを理解した

 彼岸花や異形の化物までなら勘違いや幻覚で説明出来るが、こればかりはどうしようもない

もう、認めるしかないか

 そんなことを考えながら坂を進んでいく

 地中だからだろうか

 坂を下れば下るほど体が重く、呼吸も苦しくなっていく

 さらに体中を包み込むように、ねっとりとした嫌な空気が纏わり付くのを感じる

 これが瘴気と言うやつだろうか

 左手に持つ黒百合を見るが、特に変わった様子はない

本当に効果あるのか?

 疑いつつ、半ば無意識にその香りを嗅ぐ

 すると体の重さや呼吸の苦しさ、恐怖や不安といった気持ちが少し和らいだ

 効果を実感した俺は黒百合をマイクのように持ちながら歩みを進め、やがて広い地下空間へと辿り着いた

 そこからは声を頼りに歩みを進め、しばらくすると先に明かりが見えてきた

 明かりに近づくにつれ声は大きくなっていくが、その内容は判然としない

 ようやく宴会場だと思われる場所に到着すると、そこに広がる光景に我が目を疑った

 松明が照らすその空間では、5mはありそうな巨人、鬼や天狗、狐や狸、その他にもこの世のモノとは思えない魑魅魍魎が各々楽しそうに盃を傾け、食物を食らっていた

 割合で言えば人間の方が多いのだが、どうしてもそれらに目を奪われてしまう

 呆気に取られ、宴会場をボーッと眺めていると、奥に巨大な扉があることに気がついた

 扉は中途半端に開いており、人々の往来する様子が見て取れる

 どうやらここが目的の場所で間違いなさそうだ

 それを理解した途端、ふと疑問が湧いてきた

俺…ここに何しに来たんだ…?

 確かに妻は行方不明だが、死んでいるわけじゃない

わざわざ手掛かりを残したんだ、誰か妻のことを知ってるのかも

 そう考えた俺は聞き込みを行うことを決め、近くにいた人間に声をかけた

見ない顔だな~、あんた新入りか?

 新入りという言葉に少し引っ掛かったが、気にせず話を進める

人を探してるんですけど、この人を知りませんか

 ポケットから手帳を取り出し、挟んでいた家族写真を見せる

いや、そんな人は見たことないが…アンタもしかして生きている人間かい!?

え?まぁそうですけど、よく分かりましたね

そりゃ分かるさ
死者が黄泉に持って来られるのは、死ぬ時に着てた服だけだからな
話には聞いてたけど、生者を見たのは始めてだわ

何だぁ?生者が来てんのか
生者なんて何百年ぶりだぁ?

 会話に割って入ってきたのは、妙に頭の長い老齢の男性だった

おい若いの、良いこと教えちゃるわ
あそこにいる白無垢のヤツ
アイツは隣山の神様なんだぜ

 彼の指差す先には、目の模様が描かれた白い布で顔を隠す女性が座っている

そうなんですか?
でも神様なら穢れを嫌ってこんな所には来ないんじゃ?

 俺の疑問を聞いた彼は、カッカッカッと高笑いを上げた

よく知ってるなぁ~若いのぉ
でもあれは間違いなく神様よ
山や海の神様ってのは特別なのさ
なんたって穢れを浄化する役割があるからなぁ

 そう言うと彼は愉快そうに盃を煽る

それで若いの
お前さんはわざわざ何をしに来たんだ?

実は人を探してまして
この人なんですが、ご存知ありませんか?

 そう言って彼にも妻の写真を見せる

見てはおらんなぁ
このオナゴはいつ死んだんだ?

いえ、まだ生きていますよ
行方不明なので探してはいますが

はぁ?ここは根の国だぞ?
ここにいるのは死者でなければ化物ばかり
さっきも言ったが、最後に生者を見たのは何百年も前だ
死んでないならここにはおらんし、知るはずなかろう

確かにそうなんですけど、ここに何か手掛かりがあると思うんです

まぁよい、お前さんにも詮索されとうない事情があるのだろう
ワシはもう行く
あまり長居はするでないぞ

 そう言うと頭の長い男性は人混みに消えていった

今の、人間だと思うか?

 最初に話しかけた男性が俺の耳元で囁く

そう聞くってことは違うんですか?

ああいう人型の化物もいるってことさ
話しかける時には気をつけろよ
皆が皆が俺みたいに良いやつじゃないからな
達の悪いヤツだと、こっちに引きずり込まれるぞ

 そう言うと彼は、くるりと後方に宙返りしたかと思うと、一瞬にして狐の姿に変わってしまった

じゃあな

 右前足を上げてから立ち去る狐の後ろ姿を、俺は呆気に取られたまま見送った


もしかして拓海…?

 あまりの事にしばらく動けずに固まっていると、突然背後から名前を呼ばれた

 その声には聞き覚えがある

 まさかと思い、俺は勢いよく振り向いた

美月…美月なのか…?

 そこにいたのは思った通り、妻の美月だった

 妻は走って俺の胸に飛び込み、俺は彼女を抱き止めた

拓海、会いたかった

俺もだ
ずっと探してたんだぞ

 再開の喜びを噛みしめるよう、互いが互いを強く抱き締める

でもなんでお前がこんな所に?

実は…ここに来る途中、鬼に見つかって食べられちゃったんだ

じゃあ死んでるってことか?

うん、だから帰れなかったんだぁ
でも、もしもの事を考えて置き手紙を残してといて良かった
まぁリアリストの拓海が来てくれるかは賭けだったんだけどね

俺だってこんな事が現実にあるなんて、今でも信じられないけどな
全く…悪い夢でも見てる気分だ

 俺の言葉に妻が笑い、俺も彼女につられて笑った

さて、無事に再会できたんだし長居は無用だ
さっさと帰ろう

待って、真也も一緒に連れてかないと

そうしたいのは山々だけど…

 妻の死体は俺の知る限り見つかっていない

 そのため妻を連れて帰るのは吝(やぶさ)かではない

 だが、真也は死んでから1年以上経っており、火葬も済ませている

 そんな人間が生き返るのは確実に問題になる

いや、分かった
真也は今どこにいる?

 短い葛藤の末、俺は真也も連れていくことにした

真也には根の国には出て来ないように言ってあるから、今は黄泉の国
連れてくるからここにいて

分かった、なるべく早く頼む

それとこれ

 そう言って妻は俺に何かを渡してきた

桃の種
イザナギ様がイザナミ様から逃げる時に桃を使ったのは知ってる?

あぁ、確か黄泉比良坂に生えてる桃の実の力で追手を退けたんだよな

そう、それから桃には魔除けの力があるとされているの
黒百合だけじゃ危ないから桃の種を渡しておくね

これは持ってるだけで良いのか?

いいえ、効果を得るには口に含む必要があるの

えっ?それだと黄泉戸喫(よもつへぐい)になるんじゃ?

黄泉の竈で作られた料理じゃなければ問題ないから安心して
それにその種は私が黄泉比良坂で見つけたもの
イザナギ様の話に出てくるものと同じだから大丈夫

 黄泉について調べた際に、そんなことが書かれていたのを思い出す

そう言えば美月も神職の家系のなんだもんな
色々詳しくて当然か

何でそのことを知ってるの?

 妻は今まで見せたことのない顔で驚いていた

詳しくは後で話すけど、君の遠縁の親戚に会ってね
色々と教えてもらったんだ
さぁ早く真也を連れてきてくれ、長居はしたくない

 俺の言葉に頷き、妻は黄泉の国へと繋がる扉に消えていった

 手持ち無沙汰なのもあり、何となく妻に渡された桃の種を眺める

そう言えば、お婆さんは桃について何も言ってなかったなぁ
まぁ口伝による影響か

 ふと湧いて出た疑問を自己完結した俺は、桃の種を口に含んだ

 仄かに酸味を感じるのは種だからだろうか、それとも品種改良がされてないためか

 そんなくだらないことを考えている内に、妻は真也を連れて戻って来た

 パパと言って駆け寄ってくる息子を、俺はしゃがんで抱き止めた

パパも死んじゃったの?

いや、パパは死んでないよ
ママと真也を迎えに来たんだ

迎えに?

そう、皆でお家に帰ろうか

 俺は真也を抱き抱え、妻の方を見る

どうした美月?

 何故かこちらに背を向けてうつ向いていた妻は、俺の言葉にゆっくりと振り向いた

ごめんなさいアナタ…

 そう言って妻はその場に泣き崩れた

何だ?どうしたんだ?

 突然の出来事に戸惑っていると真也が口を開いた

パパあのね、オレはもう帰れないんだって
死んじゃってすぐにご飯たべたから

 真也の言うことが本当なら、既に共食は済ませていることになる

 ということは…妻はそれを知らされて、一緒に帰れないから泣いているのか?

 そう考えた俺は妻の肩に手を置いた

共食してしまったなら仕方ない
真也は置いていこう
もともと生き返ったとしても、その後が大変だったんだ
なぁに、俺たちが死ねばまた会えるんだ
それにまた新月に会いに来ればいい

 肩に置いた俺の手に妻は自身の手を重ねた

違う…違うの…
そういう事じゃないの
私はアナタを騙したの

どう言うことだ?

真也が共食を済ませていたことは最初から知ってたの
私は家族で一緒に居たかった…だからアナタを騙したの

騙したって…まさかお前!

 ある答えを導き出した俺は、口に含んだ桃の種を吐き捨てた

 それと同時に頭痛と目眩に襲われた

 何だか呼吸も苦しくなり、立っていられず俺はその場に倒れ込んだ

 美月と真也の声が聞こえる

 胃の内容物がせり上がってくるのが分かる

 朦朧とする意識の中、最後に目に映ったのは真っ黒に変色した彼岸花だった

そうか…俺が悪かったんだな…

 意識が途切れる直前、遠くで扉の開く音が聞こえた気がした



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