獣道と言っても差し支えない程に自然と一体化した旧道。砂利が使用されたおかげか、予想よりも植物が育っていないので何とか走れている。とは言え、所々道が分からなくなる場所があり、その都度二種類の地図を開いて確認する。

 そんな事を何度か繰り返していると、しばらくして開けた場所に出た。朽ちたものもあるが十数棟の木造家屋がそこにあった。乗っていたバイクから降りてヘルメットを脱ぐ。

ここが…本当にあったんだ

 感動のためかそんな言葉が口から自然と漏れ出る。はやる気持ちを抑えるためにヘルメットをハンドルに掛け、伸びをしながら深く息を吸う。新鮮な空気が鼻腔を通って肺の中に充満する。

 歩いて村を見て回るとやはり人影はなく、どの家もボロボロで扉や窓が無いのは当たり前の様だ。戦後すぐに捨てられたのだからこんなものか。

 そんなことを考えながら歩みを進め、ある建物の前で足を止めた。表札には「菅原」と書いてある。つまりここが我が家の本家らしい。

 この村に来た事に大した理由はない。強いて言えばずっと気になっていたからだ。

 子供の頃、爺ちゃんに聞いた話の中で時折出てくる村の話。その話に妙に引き込まれた。まぁ内容はあまり覚えていないが。

 村そのものは終戦してすぐに捨てたらしい。

 村の成人男性のほとんどが戦死し、帰還した者も四肢の欠損等がみられ、生活するのに男手が不足してしまい村を捨てるしかなかったのだとか。

 爺ちゃんの親父も戦死し、一族も解散の流れとなった。村を出てからは爺ちゃんの母親の実家で世話になっていたらしい。


 三ヶ月前にその爺ちゃんは亡くなった。親父と遺品整理をしている時に日記と手紙がみつかり、それらに村の名前と住所らしきものが書かれていた。

 親父は村について詳しいことは知らず、興味も無いようで手紙と日記は俺が預かった。

 手紙は戦後のもので古く、差出人は手紙の住所に住んでいなかった。探すことができず、村について聞くことは出来なかった。そのため日記と手紙の内容を頼りに古い地名と地図を照らし合わせる事で、ようやく場所が判明し、今に至る。


 爺ちゃんは本家の長男だったため、血筋的には俺は本家の長子にあたる。そのため、この探索は合法の筈だ。

 そんな事を考えながら扉のない玄関をくぐる。窓もなくなっているので案外明るく、床には埃こそないが、砂や硝子片、葉っぱ、獣の糞などが落ちている。みるからに風通しが良く、その為かカビ臭さは感じなかった。

 意外だったのは家財道具が少なくない数残っていた事だ。しかし箪笥などの収納の中はほとんど空だった。

 一階は一通り見終わり、二階に上がろうと思ったが二階の床が抜けているようで、上階の天井が見えているので庭に向かった。

 庭は背の高い雑草に覆われているため歩くのが大変だ。庭には井戸、祠、蔵、それと無駄に大きな岩がある。

 井戸はつるべ井戸と呼ばれるタイプだが蓋はなく、桶は屋根と一緒に井戸の中に落ちているようでかろうじて柱と枠が残っているのみだ。

 祠はボロボロだが他に変わったところはない。中を覗くが御神体の様なものは残ってなさそうだ。一応持ってきていた水とお菓子を適当に供えて手を合わせる。

 大きな岩の周りには以前巻かれていたのだろう、注連縄だったものが転がっていた。

 庭の隅にある蔵には、ゴツい錠前が付いていた。だが錆て脆くなっていたのか、その辺に落ちていた木の棒で簡単に壊せた。

 重厚感のある扉を開けると埃が少し舞ったがそんなに積もってはいないようだ。多少カビ臭いが気になるほどではない。中は外観からのイメージより狭く感じたが、それでもそれなりの広さがある。なんせ蔵内にはガラス戸付きの本棚がポツンと残されているのみだ。

 本棚に近づくとガラス部分は汚れか何かで曇っているため中がよく見えない。取手を引いてガラス戸を開けた。中には一冊の古い本と大きい巻物、小さい巻物の計二巻があるのみだ。どれもそれなりに紙が劣化していて、外側の文字は消えているようだ。

 まず本を開こうとするが湿気の影響か紙同士がくっついてる。また紙自体も古いので破れそうになったが、なんとか一ページのみ開くことができた。

 紙の劣化の影響か文字は判読できなかったがそこには絵が描いてあった。角の生えた人間の頭、四本の足と垂れ下がった尾っぽ、それらを併せ持つ生き物とそれを取り囲む四人の人間の絵。明らかに件と言う妖怪だ。それを取り囲んでなにかの儀式をしている様にみえる。

妖怪の図鑑か何かか?

 面白そうだが内容が分からず、他のページも開くこともできないのでそのまま閉じて本棚に戻した。

 次に大きい方の巻物を手に取ると本とは違い、すんなりと広げることができた。文字は上の方は達筆過ぎて読めなかったが中程から読めるようになり、家系図だと言うことが分かった。俺と親父と爺ちゃんの名前はあるが兄弟の名前がないことから本家を継ぐ人間のみが書かれているのだろう。

 そこで気になる点がある。わざとなのか潰れた自体で書かれているので読めないが俺の下にも名前が続いている。どうやら俺の曾孫までの記載があるようだ。

終戦後すぐに捨てられたのに何で俺の名前が書かれてんだよ?

 急いで巻物を元に戻して深呼吸をする。カビの臭いのせいか、顔をしかめる。

きっと爺ちゃんが俺の生まれた後にここに来て俺の名前を書いたんだ。だから親父の名前も書いてあるんだ。

 そんな理論で自分を納得させる。

 気を取り直して残った小さい巻物を広げると、こちらもすんなり広げる事ができた。

1887年6月7日 餓死
1921年11月8日 病死
1945年4月17日 墜落死
2020年6月2日 失血死
2026年3月13日 圧死
2083年2月29日 中毒死
2090年10月30日 病死
2094年1月2日 凍死 窒息死

何だこれ?命日と死因?だとしても先の事が書いてあるなんておかしいだろ

 とは言ったものの 2020年6月2日 失血死 この一文がどうしても引っ掛かる。この日付は三ヶ月前のもので爺ちゃんの命日だ。熊に襲われたことが原因で失血死をしていた。

 それにその上に書かれた墜落死。日付をみるにまだ戦時中だ。戦闘機の操縦をしていればあり得る事だ。それに爺ちゃんの親父は戦争で亡くなっている。

 死因が二つ書いてある最後の一行。その日に二人死ぬと仮定すると、俺の曾孫までの死因と命日が書いてある事になる。

いやぁ、ないないないない、有り得ないって。そもそも家系図の人数と書いてある死人の人数が合わないのが謎じゃん。

 家系図には約30人の名前が書かれている。年表には未来の事とは言え9人分の記載しかない。1887年から突然こんな文書を残すのは違和感しかない。

 こんな辺鄙な所にあった村だ。娯楽として未来の事を想像して遊んでたんだ。それでたまたま爺ちゃんと爺ちゃんの親父が書いてあるその日に、その死に方をしただけだ。

 そう考えれば家系図に曾孫まで書いてある理由も説明がつく。仮に爺ちゃんがその遊びをしていた張本人なら、わざわざ廃村になってからこの村に来なくても親父と俺の名前が読める字で書いてあって、俺の子孫の名前が読めないような字で書いてある理由も説明できる。

 そもそも錠前は付いていたが、あんなに錆びていたら鍵があっても解錠できないだろう。それが壊されずに付いていたのが、爺ちゃんがこの村に来ていない何よりの証拠だ。

 第一、本物の家系図なら引っ越しの際に持ち出しているだろう。

 ここまで考えると急に疲れを感じた。無理もない、朝からほとんど休まずにここまで来たんだ。慣れない山道も走ったのだから尚更だ。

 巻物と本を持ち帰ろうかと迷ったが、今さら爺ちゃんの墓に備えても後の処分に困るだけだと考え、小さい巻物も本棚に戻した。

 蔵を出てバイクの所まで戻り、最後にバイクで村を一通りみてから帰路に着いた。


 それから六年経った。

 何故か年表に書かれていた2026年と言う数字が頭から離れることはなかった。あの日、娯楽で作られた物だと決めつけていたため、細かい日付は覚えていない。だがあれがもし本物なら、年表通りなら今年は身内に死者が出る。

 俺はずっと2026年に死ぬとしたら親父だと高を括っていた。一昨年、俺は結婚していて、今年一歳になる子供がいる。家系図通りなら最低でも曾孫までは子孫が残る。つまり、今年死ぬのは親父か俺だと言うことに気がついた。有り得ないとは思いつつも厄年の様なものだと言うことにして気をつけて生活することを心に誓った。

 3月13日、その日に親父は居眠り運転のトラックと建物に挟まれて事故死した。言葉が出なかった。書いてあった日付と同じかは分からないが、少なくともあの巻物に書かれた年に亡くなったのは分かる範囲でだが、これで三人目だ。

 あの巻物の内容は本物だと言うことか?分からない。だが何かしら対策をとらなければいけないのではないか?

 親父が亡くなってからと言うもの、何か、に取り憑かれたかの様に様々なオカルト関連の事を調べた結果、ある答えに辿り着いた。


 俺が死ねば良いんだと。少なくとも2026年に死ぬのは一人だけだった。と言うことは今年俺が死ねばあの巻物の内容は嘘だと言うことになる。

 2026年12月25日、俺は自室の収納に遺書を残して家を出た。確実に死ぬなら高所からの飛び降りだ。なるべく人通りのない場所にある鉄塔を登り、念のため薬を大量に飲んで飛び降りた。

 一定の感覚で音が聞こえる。ぼんやりした意識の中、俺は生きていることを理解し、絶望した。

 病室で再開した嫁は少し老けており、その隣にいる少年には面影を感じた。

 どうやら運命は決まっているらしい。俺は、あの巻物は正しかったのだと結論づけ、あの村と蔵にある書物についての一切を忘れることにした。

 リハビリのお陰で前と同じとはいかないが、それなりの生活ができている。

 運命には抗えない。受け入れるしかない。抗えば代償がつきまとうのだ。

 あれから何年経ったか。俺はそろそろ死ぬだろう。94年間生きてきた。その今際の際、最後に浮かんだのは、あの村の蔵にあった本の事だった。妖怪の図鑑と決めつけた本。件を囲い、儀式をしている人間の絵。

…まさかな。

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