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サンタの顔色
クリスマスが近づいている。街はきらめき、たのしげな歌で満たされている。空いた隣に寂しさを感じつつも、そんな街を歩いていると、思わず踊り出したくなるような軽快な気分になる。
だがこれは、サンタクロースを信じていた頃の浮き立つような気持ちとは比べものにならない。
あれほどのわくわく感はもう二度と味わえないのだと思うと悲しい。
小学6年生だったある日、母に呼ばれ、小さい弟たちに聞かれないようこっそりと真実を明かされたあの瞬間、世界はがらりと変わってしまった。サンタのいない世界は、限りなく現実的で、無味乾燥だ。
とはいえ小6でその正体を知るというのは遅い方だと思う。私はだいぶ夢見がちで、恵まれた子どもだったのだ。
さて、みなさんは子どもの頃、サンタに何を頼んでいただろうか?
私の小学生時代はDSの全盛期だったため、友だちの多くはそのソフトをもらっていた記憶がある。
しかし、私は一度もサンタにゲームをリクエストしたことがなかった。ゲームは人並みに好きだったのだが、親にねだることはあっても、サンタには決して頼めなかった。
なぜか?
幼き日の私はこう考えていたのだ。彼はすごく長く生きていて、いろんな時代の子どもを知っている人だから、ゲームばかりやっている現代の子どものことをよく思っていないだろう、と。言うなれば私はサンタを、「まったく近頃の若いもんは…」と小言を言う巷のじいさんと同じようなくくりで捉えていたのである。
ゲームなんて頼んだら、サンタさんにがっかりされる。そう考えてゲームを我慢し、色鉛筆やらぬいぐるみやら、じいさんの感覚に合いそうな物を選んでいたわけだ。
今思えば、サンタからどう思われようがプレゼントをもらえないわけじゃないんだし(現に友だちはふつうにゲームをもらっている)、好きな物頼めばいいのに、と思う。
サンタに好かれたからなんだというのか。呆れられたからなんだというのか。
そしてそもそも、彼がゲームを悪しきものと考えているかなどわからないではないか。なんてったって、私は彼に会ったことがないのだから。
会ったこともないサンタの顔色を伺おうとするなんて、馬鹿馬鹿しい話だ。
だが考えてみれば私はいつもそうだ。
よく知りもしない相手について、「きっとこの人はこういうものが好きでこういう態度は嫌いだから、こういうテンションでこういう話をしよう」というように先入観で相手の人物像をつくり上げ、それに合わせてコミュニケーションをとってしまう。少しでもプラスの印象を残そうと、媚びているのだ。
俗っぽいものを好まなそうな先輩に、無理して高尚な文学の話を振り撃沈。実際、彼はふつうの馬鹿話も通じる等身大の大学生だった。
ギャルに話しかけられたので、知る限りの若者言葉を駆使してテンション高めにしゃべるも、疲労困憊。彼女は見た目よりもずっと思慮深い人だったし、別に私に同じテンションで話すことを求めてもいなかった。
ぱっと見の印象とその人の実情が違うというのはよくあることだ。だから相手の人物像を想像で決めつけることは、互いの関係の発展を阻害してしまうだろう。
そして、相手に合わせすぎるというのもよろしくない。相手によって振る舞い方を変えるのではなく、もっと確固たる「自分」を持ち、それを堂々と見せていきたいものだ。
私はサンタのことを何も知らない。彼もひょっとしたら最近はゲームにハマっているかもしれないし、もしくは、別に子どもが何を欲しがろうが、さして興味はないのかもしれない。
何もわからないのだから、意向を読み取るなんてことはあきらめて、私は自分の欲しい物が何なのかきちんと考え、それを素直に伝えるしかないのだ。
そう思える強さを、私は持ちたい。