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東京寸景:おっさん放浪記 1

こんにちは!
先日、用事で東京に行くことになりました。
最初は、天候も良くないので一泊にしようと思ってたところ、何と晴天になるとの予報を見てギリギリで心変わりしました。
雲を吹っ飛ばすような青空は、天与の幸運と勝手に解釈して、折角のお上りなので思い切って3日間の休みを取り、東京にディープダイブしようと決心しました。

東京をご存じの方には、何の参考にもならない投稿ですが、読み飛ばしていただけたら幸いです。

1日目
払暁の高山駅から、濃飛バスでスタートしました。
駅前の水鏡です。

山間地を通り長野県の松本市へ抜けます。
上高地の周辺の地形は、とても峻厳で山肌から源泉が噴き出しています。
焼岳を擁しているので温泉の宝庫で、原始の姿が見られます。

高速に乗ると、段々雲が晴れてきました。

山梨県を通過する時には、富士山ウォッチチャンスがありました。

背高のっぽなので、頭が隠れています。

昼過ぎに新宿バスタに到着しました。観光客であふれています。

テラス

一日目は、皇居に近接するホテルに泊まりました。
やはり自然が近くにいると落ち着きます。

早速、皇居周りを散策しました。

法務省のレンガ棟です。

皇居のお堀です。

桜田門

あの井伊直弼が、暗殺されたかの地です。

風が止み、お堀が水鏡になり、現代の象徴都会の景色を古(いにしえ)の文化歴史が映し出しています。
日本ならではの景色ですね。

暫し、見惚れながら皇居外周を反時計回りに歩きました。

残念ながら「大手門」「平手門」も、閉まっていたので外から眺めました。

楠木正成像です。

皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の武者像が楠木正成の銅像です。この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもので、高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年7月に完成し献納されたものです。
本体の高さは4mあり、台座を加えると約8mになります。また、本体部の重さは、約6.7tと言われています。

環境省

左から。
作成に10年かかったそうです。

和気清麻呂像です。

和気清麻呂の銅像は、大手町一丁目4、大手濠緑地内にあります。

 奈良朝期末の廷臣、地方の豪族出身で藤原仲麻呂の乱で天平神護一年(765)右兵衛尉となり、姉広虫とともに信任を得た。神護景雲三年(769)道鏡が皇位をうかがった時、宇佐八幡の信託をきき道鏡の野望を挫いた。清麻呂は別部穢麻呂と改名され大隅(鹿児島)に配流、天皇の死後、道鏡失脚により復帰した。光仁・桓武天皇深く信頼され、平安遷都を推進、造都に活躍している。
この像は、昭和15年、紀元2600年記念事業として建立、楠公銅像とともに文武の二忠臣を象徴したものである。 

千代田観光組合

ぐるっと回ります。

竹橋御門

北の丸東の出入り口で、1620(元和6)年、平川門と同じく仙台藩主伊達政宗らによって築かれた。天下祭り(神田明神と日枝神社の例大祭)の山車行列が通過したのもこの門だった。門は撤去されてしまったが、平川門へつながる細長い帯曲輪は健在。
御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されるが、明治3年再開通し、今の通称代官町通りへと変遷する。沿道の様子は、時々の社会情勢を色濃く映し、戦後は、都心の交通・文化・観光のアクセスとして発展し、この地を巡る皇居周回ジョギングは、全国的な健康増進機運を高め、親しまれている。
現在のアーチ型竹橋は、大正15年、帝都復興事業で架設され、平成5年3月、周辺景観との調和や補強を目的に改修を受け、白・黒・桜のみかげ石の橋に、装いを新たにした。

千代田区観光組合

皇居周りでは珍しい女性の像です。
「森の調べ」籠瀬満夫作です。

駐日英国大使館

うろうろしながら5~6キロ踏破しました。
結構、疲れましたが、これから夜の部に入ります。

お付き合いいただきありがとうございました。
続く

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