"私"の見ている世界
"私を動かしている私は、本当に存在しているのか?"
小学4年生くらいのある時期、この考えに囚われていた。
自分という人間を動かしている意志は、自分のものなんだろうか。今こうやって考えている私の、本当に本当に一人ぽっちの決断なのか、
そんな孤独があり得るんだろうかと。胸がキュッと締め付けられる感覚を、
今はもう思い出すことができない。
私が操っている私は、他の人みんなが見ているようにはどうしたって見ることができない。動かしているのは他ならぬ私なのに。
それってすごく理不尽ではないか?と考えたりもする。
でもきっと、世界は認識する人の数だけある。
私たちは所詮生物だから、その世界は似たり寄ったりのものなんだろう。
他人の「世界擬き」も、共生できないほどかけ離れてはいない。
それでもきっと一つの同じ「世界」を見ているのだと信じたいから、
私たちはいちいち孤独に陥る。温かい孤独。
これらの世界が少しでも重なったと勘違いできたとき、
大きな喜びを噛み締める。
私たちはそうやって明日も明後日も生きていくんだ。
あたたかい孤独を抱きしめて。