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初日記から1年のイマ

毎日同じナイトルーティンを繰り返しながら
子供の成長を1日1日きちんと感じ
連子に対しては悪いながらも良い方向に向かってると思いながら
今を生きてます。

生活面では
昔から絶対にマイホームなんて買わないと
心に決めていたのにマイホームを購入し
近所付き合いとかそこまで気にした事なかったのに挨拶とかゴミ出しや関係を色々気にし
政治とか子育て関係が気になるようになりました。笑

その反面芸能スキャンダルや流行など何もわからなくなり
家ではしまじろうとベベフィンや働く車が延々と流れており感性は幼児化しております。


そして俗に言う人生の墓場とかしてます。
……が、よく言う人生の墓場とは何でしょう?
おれはこの生活が嫌いじゃないんですね。
何でだろう……

この感覚に最近やっと言語化でき納得できる答えが出ました。

……多分だけど

"2度と逢えない人"

がいるって事実を理解した事が大きいと思う。
この感覚って人によると思うんだけど
なんか言葉にすると恋愛みたい。照

そんな若い人の恋愛の話しではなく
シンプルに死んじゃった人がいて
記憶にしか存在しなくて
どこを探しても逢うことはなく
悲しかろうが楽しかろうがそんな事は全然関係のない存在で
ただただ記憶の中から見守ってる人がいる状態。
それは自分次第の受け入れ方が必要で逃げる事はできなくずっとずっと延々に続く。
そして自分が死んだらこれらから解放される。


無理ゲー。笑
辛すぎ鬼畜すぎ。笑


これは自分にとっては親であり
親に対して思うのは子供を見せる事も相談も思い出話も聞く事も何もできず
自分がその家族の中で割と大切にされてた事実だけ突きつけられる状態。
その反面お互い生きていて親子で喧嘩してたり仲悪かったりする人もいるけどね。笑
そんな事はおれには関係ない。

この".逢えない人"の存在って
ふとした瞬間の寂しさや後悔になるし
逆に失う事への喪失感になる事で
気持ちの支えになる。
起きた事象を俯瞰してみれるテクニックになり
噛み合うと相手の欲しい言葉を狙って使える時がある。
相手の気持ちを代弁できる時もある。
だからと言って自分の立場が少し良くなるだけどね。

結局世の中は汚くても綺麗でもまずはカネ。泣


話しが逸れてるから本題に戻すと
人生の墓場とはその通り。よく言ったもんだ。
おれもみんなも歳をとっていき墓場に行くんだけど墓場がないよりあったほうがいい。

歳をとった時、
年月が経った時、
疲れて後ろを振り返った時、
思い出話をする相手がいるかいないか。


1歳半のイマのキミはめちゃくちゃ可愛いくて
今のキミには2度と逢えないから
楽しく見守るし毎日同じルーティンをするからその中で見せてくれる変化を楽しませておくれ。
そしていつかキミからみたおれの話しを聞かせておくれ。

ではまた。

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