敵は味方にあり
翌年の4月に長女が幼稚園入園。5月には出産を控えていました。
母が亡くなったのは8月で、9月に祖父が他界。
私には時間がありませんでした。
自分の気持ちと葛藤しつつも、「いる、要らない」を分別していると、二世帯住宅の下に住んでいる祖母がひ孫に会いに上がって来ては、
「それも捨てるん?いつか使えるが」
「いつかいる時が来るよ。いらないなら貰うわ」
と、私の手を止めるのです。
父は片付け始めた当初から
「なんでも捨てる」
と文句を言っていたので、父が居ると視線が気になってはかどらない為、父が仕事で居ない日中を狙って片付けをしていました。
祖母は、母のようにマキシマリストという程ではありませんが、そこは戦時中を生き抜いて来た人間。
「もったいない」
精神の塊なのです。
スーパーで貰う割り箸や袋のストックがどれ程ある事か…。
私も初めは
「まだ使えるし、もったいないなー」
と思う物があると、一応祖母に
「これいる?」
と聞いていました。
しかしそれは大きな間違い行為。
祖母は九割九部
「いる」
と言うのですから…。
縁起でもありませんが、年齢の順でいくと私よりは祖母の方が先に亡くなる可能性は高い訳で、そうするとまたそれらを片付けるのは私。
自分で自分の首を絞める行為だと言うことに、しばらくして気付きました。
それからというもの、私はなるべく祖母の目も避けるようにして、ゴミ袋をこっそり車に積み込み、環境センターに足繁く通うのでした。
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