教員として足りない力

 10年程度教員として働いていながら、「教師」という言葉にずっと違和感がある。教えることは形状できているが、師と呼ばれるような人間になれているだろうか。もちろん判断するのはこれまで向き合ってきた生徒たちなのでただのこだわりではあるが。
 来年度から中学校の教員に戻る(現在は高校)にあたり、教育書を読み漁っている。おそらく自分の中で不安な部分が多々あるからだろう。教育書を読む中で一番感じていることは足りない力が多すぎることだ。少し自分が持っている力と足りない力をまとめてみる。ただし足りない力は多すぎてまったくまとまっていない。これは謙虚になっているわけではなく、本当にそう感じる。

 

持っている力

・1人1人に向き合う力
 学級でも授業でも時間をかけて1人1人に向き合うことは行ってきた。ただし働き方改革とは逆行していることも多かったため、時代に合わせた改善は必要かもしれない。
・授業を進める力
 これまでの先輩方の授業をみてきたこともあり、1時間の授業を進める力は中堅程度についてきている。しかし全体を見据える力や単元ごとのバランスや流れなどまだまだ甘い点もある。
・生徒指導+教育相談的視点をもつ
 様々な生徒に出会えたこと、学校の特性もあり生徒指導や教育相談を行う中で生徒理解に努め、進めることができている。ただし特別支援やカウンセリング、心理に関する専門的な知識は不足している。
・ICT機器を管理し、生徒が使うことができるよう導く力
 情報担当を数年務めてきたため、ICT教育の概要や問題点などが理解できている事が大きい。しかし県を代表するような技術や知識があるわけではないため、今後も修養に努めたい。

足りない力

・特別の教科道徳
 これまで学級経営の中でも誤魔化しつつ逃げて来た分野。おそらく心のどこかで、「学校で道徳を教えることは可能なのか」という疑問があることが原因。諦めているというよりも自分自身が学生のときに道徳が苦手だったことが原因だと考えられる。本当に自分自身が考えられないことを生徒に話していくことに違和感を持ちすぎて授業を組み立てることに苦労してきた印象。
 まずは道徳に関する根本的理解を行い、自分自身が納得したうえで授業の組み立てや学級経営とのバランスを考えていく必要がある。確証はないが、学級経営の一部とみなし、生徒とともに考え成長していく道徳を意識することが現状を打破する気がしている。

・ICTと教育相談に関する専門的知識
 その時々で本気で向き合っては来たため、タスクをこなし日々の業務をこなすことはできたが、専門家とは全く言えない。広い校務分掌を行っていくことは目標ではあるが、すべてが中途半端になるよりも自分の強い業務をしっかり専門レベルで理解していく必要がある。
 研究と修養から逃げないことが必要。読書や資料を読みながら自分の中に落とし込んでいくこと、それを実践の中でいかすことが必要だと感じる。

・語彙力、語る力
 語りたいことや経験は少しずつ増えてきたが、それを生徒に語る語彙力が足りていない。自分の教科や必要事項を話すことは好きだが、いわゆる世間話に苦手意識がある。まずはこれまで通り対集団で語る練習をしながらも1人1人や少人数に対して語れる力を身につけたい。
 そのためには教養を学び続けることや話すことをストックしていく必要がある。普段の生活や家族のこと、これまでの経験から感じること、生徒と話す中で考えていることなどすべてが教育につながることを意識する。

目指していること 

 関わった生徒の人生を少しだけ良い方向に導ける教員になりたいと考えている。それが教科を通してでも学級を通してでも生徒指導を通してでも構わない。社会は複雑化しているといわれ、生きにくい世界になってきている(そう言われている)気はする。また、大人はつまらないもの、教員はつまらないものと認知されている気がする。自意識過剰な面もあるし、自分自身が学生のときにそう感じていたのかもしれない。
 教員から教師になるために多くのことが足りない。そのことを自覚し、楽しみながらも学び続ける教員として過ごしていく。

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