本当の声をあげられない弱者とは何か
このようなツイートを目にした。
で、正論がぶつけられていた。
この一連のツイートを踏まえて今回私が述べたいことがある。まず、選挙権が与えられていない人たちは力を持てないとすると、現状選挙権を与えられていない未成年は、政治的に虐げられていると結論付けることができるということである。次にこれが肝心なことであるが、未成年は選挙権を与えられていないということにおいて政治的な意味で声をあげられていないではいるが、まだ生まれてもいない人たちは政治的な意味どころか物理的なそのままの意味でも声をあげることができないのである(これは生まれている人たちであっても意味のある会話ができない赤ん坊ならば物理的に声をあげられないとは言えるだろうが)。現行の手厚い高齢者福祉制度を維持するためにまだ生まれてもいない人たちに対して国債という形で彼らに負担を増やしていっている今、彼らが声をあげられないという事実は問題である。子どもやまだ生まれてもいない人たちに対して負担を増やすことは「財政的幼児虐待」と言われ、許されざる行為である。また、「ザオラルさん」という輩が「例えばあなたが65歳になった瞬間に『社会のお荷物だから死刑』って法律通されても抵抗する手段がないってことなんですよ。」と述べたが、現行の手厚い高齢者福祉制度を維持するためにまだ生まれてもいない人たちに対して国債という形で負担を増やしていっているだけではなく、18歳から40歳くらいまでの子どもを生産する年齢の人たちに対しても税や社会保険料という形で負担を増やしていってもいるわけである。これにより負担を増やされた子どもを生産する年齢の人たちの中には子どもを作ることを躊躇ってしまう人たちも出てくるので、現行の手厚い高齢者福祉制度を維持しなければ生まれてくるはずだった命を「ザオラルさん」のような輩は間接的に殺しているのである。
高齢者、少なくとも65年も生きている連中が何が何でも生に執着する様は醜悪極まりない。「65歳になったら健康でもすぐに死ね」とする社会はやり過ぎであり私もそんな社会には反対だが、後期高齢者はガンになったらガンの治療は全額自費で支払えないのであれば諦めるべきであり、要介護の高齢者は要介護になって数ヶ月ぐらいで生きることを諦めて安楽死する社会は今後必須だろう。