約6年前の思い出②
指定された席を見つけ腰を下ろす。
それと同時にゆっくりと列車は立川駅を発車した。
外を見渡すと「桃太郎」と書かれたドラゴンボールのようなキャラのネットカフェかなんかの看板が目に入る。これぞ立川。
10年近く住んだのにこんなに思い入れのない街というのも珍しい。
ラッパーは自身の出身地をアイデンティティとすることがよくあるが、私がラッパーだったら出身地を濁すと思う。「えぇ、はい、あの東京の西の方出身ですね、はい。たぬきとか学校でたまに見たんでマジで大したことない街です。」って言うと思う。
そんなことを考えた。
静まり返った車内の中で身体に伝わるガタンゴトンという心地のいいリズムは徹夜明けの私にはこれ以上ない子守唄となり、いつの間にか私は眠りについていた。
本当は生まれてから6年間住んだ江戸川区あたりをもう一回車窓から眺めたかったが、小岩駅を通過していたであろうころ私の意識は深い沼に沈みきっていた。
「着いたよ」
母に言われ、目が覚めた。
列車は既に成田空港に到着していた。やっとのこと立ち上がったが身体は粘土のようにずっしりと重い。昨日徹夜したことを強く後悔した。
地下に位置する空港駅から駆け足で空港の出発ロビーに向かった。
空港のだだっ広く開けた出発ロビーは出発前の独特な高揚感とも不安とも言える感情を一層引き立てる。
学校は終わり、髪も切った。メールアドレスも変えた。服もいくつか新しいのを揃え、謎にジャンプーも自然派のやつから「良い匂いのするだけの化学的なやつ」に変えてみたりもした。
そして一時的ではあるが18年間育った母国を去る。
間違いなく、おぎゃあ以来18年ぶり2回目の人生における大きな転機であったし、自分でもそうしたかった。
心拍数はどんどん増えて足取りもどんどん早くなる。
今回私が利用する航空会社はロシアの国営航空「アエロフロート」だ。今だからこそロシアの国営航空会社と聞くと忌避感を覚える人も多いだろうが、2018年当時、アエロフロートは他の航空会社のチケットに比べ圧倒的な安さを誇り、私のような一文なしには事実上、唯一の選択肢となっていた。
アエロフロートのチャックインカウンターには既に多くの人が並んでいた。そこに並ぶと、このチケットを取った時のことを思い出さずにはいられなかった。
二ヶ月ほど前、私はドイツ出身の先生と教員室でパソコンの画面を眺めていた。
先生は僕の飛行機のチケットを取るのを手伝ってくれると言うのだ。
インターネットの比較サイトを見て、その先生は言った。
「アエロフロートが安イです。アエロフロートでイインジャナイデスカ?」
たしかに成田空港発モスクワ経由ミュンヘン行きのチケットは今じゃ考えられないくらい安かった。
飛行機会社にこれといってこだわりもない私は、その提案を二つ返事で受け入れた。
先生のタイピングは僕のそれと比べたらとても早かったので、先生に入力してもらう。
「パスポートは持ってキテマスネ?」
カタカタカタ…
「生年月日を教えてクダサイ」
カタカタカタ…
一通り個人情報をサイトに入力する。
「メールアドレスはナンデスカ?」
この質問の時に一瞬ハッとした。そういえば、ドイツ国内用に新しくメールアドレスを作ったのだった。
その名も「jungfrau1999@gmail.com」(だったと思う)。スイスにある山の名前を拝借した。この名前の読み方は「ジャンフロー」で意味は「誇り高きタカ」だと勝手に解釈していた。
名前の響きもかっけーし、なんせスイスの名峰から名前を拝借してるってのがかっけーべ。
そう思っていた。
実際にスイスの山々に登るのは私の兼ねてからの夢であり、以前にもスイスの名峰の一つmonterosaから名を借りてメールアドレスにしていた事がある。
教員室ではそのドイツ人の先生にドイツ語訛りで質問される。このアクセントに在学中もなかなか苦労した。
分かりにくいかと思ってその新しいメールアドレスを紙に書いて先生に渡した。
「jungfrau1999@gmail.com」
…
一瞬変な間ができた。
まぁ、このドイツ人の先生と話すときこういう空気によくなるし、変な間でもないか。
数秒静寂が流れた後、そのドイツ人の先生が紙を指差し口を開いた。
「ソレドイツゴデショジョッティミディスヨw フー、フー(鼻息)」
ちょっと何言ってるかわかんなかった。
「はい?」
一回聞き返してみる。
先生は間髪入れずに
「ソレ、ドイツゴデショジョッティミディスヨw フー、フー(鼻息)」
と言った。
1回目を完全再現してくれたが、逆に完璧すぎてピンとこなかった。
「すいません、もう一回言ってもらえますか?」
2回も聞き返すと流石に申し訳なくなってくる。
先生は言う。
「アー、モウ、ドウデモイイ事デスヨ、ホントハ」
なら言うな。
そうも思った。
だが、一応気になるので追い質問。
「もう一回言ってもらえますか?」
流石に3回目は少しイライラした口調に変わっていた。
先生は小さなため息をついた後、大きめのイライラした口調で
「それ、ドイツ語で処女って意味ですよ!!」
とはっきり言った。
……
……
…………えーーーーーー!!!!!!!
腰が抜けた。
あんなにかっこいいと思っていたメアドは「Jungfrau」(ジャンフロー)ではなく、「Jungfrau」(ユングフラウ)で、意味は「誇り高きタカ」ではなく 「処女(童貞)」だったのである。
つまり、そのドイツ人の先生目線で言うと、自分の母国に向かう教え子のメアドが「処女(童貞)1999@gmail.com」だったわけである。
「かっけーべ?」みたいな顔&雰囲気でメールアドレスを伝えてしまった
待て、
ちょっと待ってね、
え〜っと、
、
、
これ現地だったら死んでた〜
どこが「アー、モウ、ドウデモイイ事デスヨ」ですよ!!
生死に関わるわ!!
あぶね〜
百歩譲って「童貞@gmail.com」なら「一周回って逆にこれにしてます。友達とのノリでメアド作ったのがまずかった笑」感が無くもないけど、いくら何でもその後に来る1999がホンモノすぎる。あまりにもイカつい。殺傷能力がある
よかった〜
ふぅ。
ちょっと待った
「ふぅ」ちゃうわ
なんか、イライラしてきた。
は?
え?
え、普通、山に「処女(童貞)」って命名する?
なんなんそれ、どういう神経?
日本の山には何回か登ってきた。白馬岳、槍ヶ岳、雲取山、高尾山など。言っちゃなんだが全部超絶無難な名前である。高い山であれば雲は手の届く距離にあるだろうし、見ようによれば全て山である以上ある程度は標高が高いんだからどの山が高尾山でも雲取山でもいいはずである。所詮、山の名前なんて全て無難界のダライ・ラマ、安パイ和尚が付けた無難ネームなのだ。
ではそこに「童貞山(1862m)」があるとしよう。
人は何が楽しくてこの「童貞山(1862m)」に登ろうとするだろうか。
なんの誉もない。登った瞬間社会からハブられてしまいそうだ。
なんならそのすぐそばには「素人童貞山(1740m)」が連なっているのだ。世界に誇るチェリーボーイ連峰。
尾根に沿ってチェリーボーイ連峰を縦走しましょう!じゃないんだよ
前述の通り、いつかスイスの山々を登るというのが私の夢である。
ただ、スイスは高物価の国なのでそれなりに費用もかかるだろう。つまりは早くても数年先、遅かったら10数年後という可能性もある。
もしかしたら僕は既に結婚しているかもしれない。
満身創痍、山から帰ってきた私に奥さんは質問するのである。
「どの山に登ってきたの?」
そして私はこう答えなければならない。
「童貞山って知ってる?」と。
将来の奥さんは「なにそれ。男根崇拝てきなやつ?」と言うだろう。
私は必死で説明する。「違うよ、女人禁制とかじゃなくてね、なんなら結構女の人も登っててね…ちなみに僕は童貞でもなくて…頂上付近までリフトかケーブルカーでいけてそこには風俗が乱立してるセックス版高尾山みたいなやつでもなくて…男根を模した巨木をみんなで担いで練り歩いてもいなくてね…」
「私、青森の実家帰る」
「は、話し合おうじゃないか」
まで想像できる。
まぁいいや。 おそらくキリスト教系の因果でそう言う名前なんでしょう。そう勝手に納得した。
話は成田空港出発ロビーに戻る。
チェックインを済ませた私は保安検査場に向かい、母にしばしの別れの挨拶をした。
「はいじゃあね」
母のあまりに簡潔な挨拶からは、落ち着いたと思っていた今朝のイライラの片鱗がうかがえる。一瞬で駅の方に向かっていった。
「はいじゃあね」からはなんか、小学生が人をケナしたい時とかに使う「はいダメ〜」「はい終わり〜」「はい乙〜」みたいなイヤラシさを感じた
保安検査も終え、やっと搭乗口に向かう。ほぼ空港でしかお目にかかれない、でお馴染みのベルトコンベアーに少しテンションが上がり、なぜか一定数いる頑なにベルトコンベアーを使用しない人たちを横目に「ほら、俺はこんなゆっくり歩いてるのに君たちよりスピード早いよ?ほらほら なんて愚かなの? 君たちは自宅でまだ頑なに洗濯板で洗濯してる派?」って内心でマウンティングして、そうこうするうちに搭乗口についた。
搭乗口付近では日本人が4割、外国人が6割くらいの割合で待機していた。僕はその時点で6割くらい外国にいる気分になった。何も起こる訳ないのに何かが起きそうな気がする。もちろん一人で海外に行ったことなんて一度もない。言葉にできない高揚感と共に搭乗許可が出るのを待つ。時間は実際よりずっと早く過ぎた。
搭乗許可が下り、ファーストクラス、ビジネスクラスの人たちが優先的に搭乗する。「何億円持ってるんだろう」「あの人もしかしたらオリガルヒの人かも」なんて観察しながら自分はエコノミークラスの列に並んだ。
「Hello」
機内に入ると美男美女のキャビンアテンダントさんが溢れんばかりの笑顔で挨拶してくれた。
「へろー」
僕も最高の笑顔と完璧な発音で挨拶を返して「差し迫った状況下で不本意にもエコノミークラスに甘んじているセレブ」を完璧に演じ、キャビンアテンドさん達を「こいつ、ほんもんだな」とアッとさせた。
僕の席は真ん中の4列シートの端で、既に隣にはいかにもアメリカ人といった様な恰幅の良いおじさんが座っていた。
ちょっと狭いな、と感じつつも数分後には慣れた。300円くらい払うからスキップさせてくれって毎回思う「緊急時の動画」を見させられ、飛行機は滑走路に向かう。
ジェットエンジンが起動し、身体がシートに押しつけられる。轟音と共に飛行機は離陸した。機体が方向転換のため何度か斜めに傾く。その度に3席先の小さい窓から外の景色が一望できた。この景色の中で僕は育ってきたんだな、なんて感傷に浸る。飛行機はその間にもどんどん東京を離れていく。
しばらくすると隣に座っていたアメリカ人のおじさんに話しかけられ喋ることになった。僕は「Yes」「No」「You are crazy!」の三本柱で会話をした。15分後、僕を「とんでもなくつまらないやつ」だと認識したアメリカおじさんは静かに会話を終了させ、いびき発生装置と化してしまった。
それにつられるように強い眠気が襲ってきた。
眠りにつく前に、座席の前に付いているモニターで現在位置を確認する。
飛行機のアイコンは日本海上空を漂っていた。
つづく
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