母親の呪縛

母親だってちゃんと尊重されるべき1人の人間である。

母親だから我慢しないといけないという考え方は、どこかで頭の片隅に刷り込まれてはびこってるがために、母親たちは苦しむ。

なんでか。

自分たちが子供の時に、お母さんたちが献身的に自分を育ててくれた記憶があるから。

もしくは、あなたのためにこうやって我慢/頑張ってきたのよと母親の呪いをかけられてきたから。

自分は母親に一生懸命愛された「はず」という記憶。現実そうだったとしても、そうじゃなかったとしても、ちゃんと愛されて育ったはずじゃないと、自分の根本的な部分がスコッとスカスカになる。

だから、お母さんたちが辛そうに育児をしている、文句を言いまくってる、子供にあたってる光景を見ると、母親を責める人がいる。母親自身もそう。

そんな光景なんて見たくない。母親は子供のために献身的であるべきなんだ。

だから、母親を責めたくなる人は…男も女もマザコンでしかない。

自分は愛されたはず。母親が一生懸命いろんなことを犠牲にして私を育ててくれたはず!!そういう人の場合、子供の福祉なんてほったらかしの議論してる😅

あなたのために私はこんなにいろんなことを犠牲にしているという「母親の呪縛」は、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の中で書かれていて、正直ドキッとした。

あなたのためにやってることなのよ…

あなたのために、あなたのために…。

言うたことある…

母親を見てどうこう言いたくなるっていうのは、やっぱり理屈じゃない。理論立ててあーだこーだいうてる人も、実はそうじゃない。

自分は母親に愛されたはず。そうじゃない姿を見せないでくれ!!頼む!!という心の叫びじゃないかな。

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