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結婚ものがたり11「訪問着で軽トラに乗ってあいさつ回り」
なぜ、実家に5日間滞在したのでしょうか
挨拶周りもそうですけど
結婚式のあとに、実家で過ごすのが「しきたり」
だったんではないでしょうか、と今思うのです。
正直、素直な、本当の気持ち
能面両親との、島での時間は30分でもいやでした。
ひとりで自由に好きに生きてきた私には
そういうよく知らない人との生活とか
あり得ないわけです。
順応性ゼロなのです
朝は能面母に合わせて早く起きて
能面父と配偶者の世話で
女性は後回しのあり得ない家での時間
夫が毎日、電車で何分かけて本州に通勤していたか
知ることもないですが。。
日中は、午前中、掃除洗濯、そして買い出し
昼食後には2時間くらいは昼寝タイムがあり
その時が何よりの楽しみ
苦痛でしかなかった5日間
あいさつ回りの1日目はまだよかったです。
訪問着で、軽トラの助手席に乗り
家のまわりの所謂○○家一族の家に挨拶しに行ったのです。
それはそれは、けっこう感じよく愛想よく
親戚の方々、対応してくれました。
「○○くんのお嫁さんねえ」とニコニコ顔で
みんなひとまず感じよかったけど、自分の笑顔は引きつり通しでした。
本家とか分家とか
わっけわかんな~いと思いながら親族の家回りは終了しました。
着物だし
軽トラだし
気も使いまくりだし
すっごい疲れていましたが
能面母が言いました
「お世話になっているお店にも行く」
店とは普段通う場所で、島の中のことだし
昔からよく知っている店の人でした。
「うちの嫁です、よろしくお願いしますね」
「○○です、よろしくお願いします」
どんどん着崩れる訪問着を気にしながら
言われるままに動いてました。
嫁って言葉が大嫌いになったのはこの頃でしょう。
こうして
「嫁」として披露することがこの地域の普通のことでしょうけど
てか、ここで暮らすわけでもないのになぁ
って思ったりもしました。
この5日の間に、買い出しの途中で
挨拶の時に不在だった親戚の女性と会った時に
「○○くんのお嫁さんなの?年はいくつ?」と聞かれて
私ではなくて、能面母があわてて
「○○くんと同級なんよ」と答えてました。
本当は1歳年上なんですよ、たった1歳でも、それがいやだったのか
なぜか同い年と答えた能面母でした。
そんなことしたら
こちらの対応も変わってくるに決まってますよね。
大人しくしているからと、何も思わない娘とでも
思っていたんだと思います。
とにかく
何か勘違いというか、すごく偉そうなんです。
猫かぶりすぎて、なめられましたかね。
毎日、料理をする時も、面倒くさい時間です。
こちらの家族は砂糖をたくさん入れるのが好きで
卵焼き、煮物、お寿司、オムライスと
砂糖をかなり使ってました。
ある日、甘い卵焼きを作るときに、やったことがないけど
卵焼き器で、作ってみろと言われて作ることになりました。
能面母の作り方をそっくり真似して
卵を割りいれ、砂糖をザバザバ入れて、砂糖のみでかき混ぜて
焼くのですが
砂糖が入ってるので新しくないフライパンに
めちゃこびりついてしまいました。
能面母はたぶん、油の量が多くて、焦げなかったのでしょう。
油を控えめにしてしまった私は、こびりついて上手く焼けなくて
思わず
「いやー、できなー」と呟いてしまったら。。
「できないじゃないでしょ!」といきなり怒鳴られました。
なに?今なんつった?てか何様?
私はあんたの元で調理の修行してんじゃね~んだよっ
って心で思い
胸糞悪い思いをして、焦げ付き卵焼きを焼きました。
卵焼きごときで、あほくさ
なんで、怒鳴られなきゃなんないんだよ!!!
毎日、どんどん嫌になり苦痛も増して最悪
毎晩、もう、自分の家に帰りたいと、泣いてました。
この5日間が半年くらいに感じるくらい、あとにも先にも
1日が過ぎるのがこんな長いと思うことは他になかったでしょう。
5日間が過ぎ
やっと、本当に、新婚生活が始まるのです。
「あととり」攻撃が待っているのも、知らなくて。。
それでも、好きな人として、配偶者をまだ頼りにしていた
若かりし私でした。
つづく。。。。。。。