短編小説「雨宮」
宮殿と呼べば大層立派な建物だと伝わるのだろう。国王の住む建物1つだけを指して宮殿と呼ぶこともあるのだが、この場合はその建物に付随する城下町までの範囲を宮殿と呼ぶが近しいと私は思う。
そう定義することで私には大きなメリットを得られる。
「宮殿で働いている」
という何にも変え難い不変的でありながらも特異性を持つこの肩書きは私の女性としての人生に1つの美点を植え付けている。だが、最近はその美点にすがるだけで生活に楽しさを覚えてない。
ちなみに、私の国の国王を私は見たことがない。
洛陽という立地に構え国の名を清と呼ぶ私の住む国はかなりの強大な力を持つと聞く。私はこのよつな場所で働いて健全たる生活をものにしている。
そんな私は今買い出しに行くために町を歩いてるのだが、何かがおかしい。
「この道を知らない…そんなわけない。通い慣れた道なのだから迷う要素なんてない」
私はそう言い聞かせて自らの間違いを気のせいだと言うことに落ち着かせる。
さて、それが気のせいであればどれほどよかっただろうか。歩けば歩くほど自らの偽の正当性に泥をつける始末。迷ったと結論付けるが早い。
「見慣れた赤をベースとした壁に簡単な瓦の屋根…どこも同じだから目印になんてならないか」
近所で迷うなんて考えられないのだが、いかんせんこれが事実として起きてる以上現実を受け止めるしかない。
景色に変化は無い。
だが、異変はある。
人通りが無い。
この道は別に裏道でも路地でもないただの表通りのため、人っ子1人歩いていない景色には違和感しかない。表通りに1人しかいないことを天文学的な数字で算出すれば奇跡的に有り得るのだろうが、残念ながら奇跡的に有り得ることを人は異変と捉える。
「音もしないからほんとに誰もいないのね」
静寂は私を少しは焦らせる。
見渡せば誰もいないし耳をすませど誰の声も耳には届かない。私に何かあったのだろうか。
すると、誰もいないはずなのに私を呼ぶ声が聞こえる。
「そこのお姉さんや!傘売ってるぞ!どうだい?」
私は声のする方向に目を向けて驚愕した。
先程までそこに店なんて出てなかったはずなのに、男の店主が店を開いては物売りを行っていた。
「な!?店主よ。先程までそこにいなかったはずでは」
「変なことを言うお姉さんだな。私はずっとここにいましたよ」
「そうか…失礼しました」
「さて、傘どうだい?」
「傘だけの物売りですか?いえ、生憎雨も降らなさそうですし家に傘はあって足りてるので」
「雨降ると思いますよ!保険で買われたらどうですか?」
「お気遣いありがとう。そこまで長く外にはいませんので大丈夫です。では」
私は謎の傘の店員を後にあってるかも分からない道を進むことにした。
数分進んだだろうか。
未だ見慣れた道も無ければ人っ子1人も現れない。これはもう現と認識するのは間違いだろう。
そう結論付けると前からとある声がした。
「そこのお姉さんや!傘売ってるぞ!どうだい?」
「な!?!?」
先程の店主が再び現れた。まったく同じ店にまったく同じ店主。売るものは傘。屈託のない笑顔。間違えるはずがない。店を後にして真っ直ぐ歩いたはずなのに同じ場所に戻ったのだろうか。
頭に浮かぶ仮説は全て常軌を逸してしまい真だとは思えない。
「店主…先程も私に声をかけなかっただろうか」
「何言ってるんだ!初めてだよ」
「そうですか。売ってるのは傘だけですか」
「そうですとも!雨降りますからね!保険で買っておいた方がいいですよ」
私に声をかけてない。
嘘をついているとは考えにくいため、本当なのだろう。何が起こっているのだ。
宮殿が私に如何様な試練を与えてるのか私が無意識に私へ試練を課しているのか。この謎の状態を完走しきれば元に戻るだろうか。
買わねば進まぬと言うならそれに従うまでではあるのだが、如何せん確証を得られるほどの状況とは言い難い。
「店主よ。また次私にあったら初めての振りはしないでくれ」
「え!?それはどういうことで・・・あ!お姉さん!」
これで次出会った時に答えが出る。次またあの店主に会って且つ出会うのが初めてだと言ったらずっとスタート地点に戻ってるのだ。
記憶の継続無い店主から初めて出会って傘を買うというターニングポイントを踏まねば先には進めない。気味が悪いし意味はわからない。
「無機質な宮殿の壁よ。そなた私を見てあざ笑うか?」
「・・・」
私は何を血迷ったのか先ほどから変わらぬ景色に多少の苛立ちを見せて目の前の壁に話しかけた。ほのかに赤い壁が私を小馬鹿にしていると捉えてしまったのだ。当たり前のように壁から返事は返ってこない。
「壁に話かけるとは私も気持ちのコントロールができていないのかな」
少しの反省と多少の不安を心にして時に身を任せて闊歩する。
そのまま数分進んだだろうか。
当たり前のようにかの店主は店を構えて傘を売っている。私は文字通り頭を抱えた。
「そこのお姉さんや!傘売ってるぞ!どうだい!」
「店主よ1つ答えてくれ。私に先ほどあいましたか?」
「さっき?いや?会ってないな」
記憶の継承無き店主が目の前に現れたことで私はこの現象のスタートラインに戻ったことを決定付ける。もう迷わない。
「そうですか。では、1本もらいましょう」
「へへっ!毎度あり。この傘は一級品でっせ。どんな雨でも耐えて見せますよ」
「そうか。期待しましょう」
お金を支払い私は傘屋を後にした。
特に変わった形とは思えない傘を雨の降りそうのない晴れの時に買うとは何とも稀有な日である。特に楽しいと思わない生活を送り、無駄をモノ消費するなんて怠惰ではないだろうか。
「太陽さんよ。私は怠惰だろう?ゆとりのない生活に身を委ねて改善しようとする気力を呼び寄せられてないんだから。それに意味のない買い物までする」
答えを求めているのか話を聞いて欲しいのか。太陽に問うている時点で後者だろう。抱える疑問への改善を聞いているのではなく、私の中のどこからとなく住み着くやるせなさの発散場所に迷走しているだけか。
自らの中で成長するやるせなさに恐怖をしているのかもしれない。
「太陽は輝くだけで答えはくれないわよね」
私は肩をがっくりと落として目を瞑って下を向いた。
ゆっくりとその目を開けて再びを太陽がある方向を見たが、そこには一瞬であり得ない状態へと変貌していた。
「なに!?空一面雲!?一瞬目を瞑った刹那に太陽が消えて天気が変わったのか!?」
冷静になれない頭は目の前の奇想天外な視覚情報にわかりやすくパニックを起こす。脳内の神経細胞は急いで情報の会議を行って少しずつ仮の答えを導き出そうとする。できる限り頭の力になるために心は平静を保っておく。
天気は晴れから雲に変わった。
赤い壁はあるから場所は変わっていない。
歩いても傘を売る店に出会っていない。
あの店主は雨が降ると言っていた。
晴れ、曇りと来れば次は雨だろう。
つまり、これは「この現象の次の段階へと進んだ」ということだ。
脳内のこの仮の答えにスポットライトが当たった。
傘を買わされた意味が何となく分かった。この曇りの状態でも何かをすれば雨の状態へ進むはず。この世の異変が先ほどを同じようなものであれば気が付くことは他愛もないだろうからさっさと終わらせたいという一心で歩みを進める。
異変はすぐに視界が捉える。異変と呼ぶには言葉の大きさが足りないかもしれない。不気味でありながら常識ではありえない光景に笑いさえこみ上げる。
「兵馬俑のおもちゃが列を成して行進するのか!なんとも可愛らしい。頭には星の被り物までして非常に可愛らしい!」
明らかに奇妙とも呼べるこの光景を誰とも共有できないのは残念で仕方ない。この行進が本物の兵馬俑であれば物騒でこの世の終焉を思い描いてしまうし見たら驚きで心臓が止まってしまう。
兵馬俑のおもちゃは星の被り物をしているので、なにも怖さを感じない。この行進自体が異変なのだからこれをどうにかしないといけないはず。
試しに近づいてみた。
「近くで見たらより滑稽だな。兵馬俑が星の被り物すると怖く見えないのは大発見かもしれない。うちの店にも置こうかしら」
お店を嫌いになりかけていた私にとってこの出会いは意外な転機になるかもしれない。
「俺では先には進めない。残念」
「え?」
誰かが言葉を発した。いや、誰かではないか。
辺りを見渡しても誰もいない。その言葉の音は目の前の兵馬俑から発せられたものである。
「俺では先に進めない。残念」
「うるさい。なんなんだ君は」
この兵馬俑は言葉を発する。だが、発するだけでコミュニケーションは取れない。急にこの兵馬俑達が可愛くなく見えてきた。
「俺では先に進めない。残念」
「さっきから何でそればかり!私はこの兵馬俑達に何をすればいい!暴言を吐く兵馬俑を捉えるのか?そんなことはできない!」
どうすればこの状況を進めるのか理解ができない。
再度頭を抱えるが何もわからない。
先ほどもらった傘を見たがこの場で使うものだとは思えない。傘はこの後雨が降ったら使うものなのは間違いない。
「あの兵馬俑だけ星の色が違う。あの子なら」
私は急いでその兵馬俑の元へと向かった。他の兵馬俑のおもちゃ達は黄色い星の被り物をしているのに対してこの兵馬俑は綺麗な青の星を被っている。薄くもない。どちらかというとかなり濃い部類に入る
この濃い青に見惚れてしまった。理由はわからない。でも、こんなに濃い青はなかなかお目にかかったことがない。私にはこの青がとても綺麗に映るしこれ以外を青と認めたくはないとさえ錯覚させる。
「君。綺麗だね」
「そうだよ。僕が正解」
「君を見つけることが次の雨へと移行する鍵なんだね?」
「そう。じゃぁ次に行くよ。でも、これだけは言っておくね」
「なんだい?」
「天を見上げて休むんだ。あなたが思い詰めていることの改善点は難しくないんだよ。心の休憩だけ。そのためにも天を見上げるんだ」
「そうか。ご指摘ありがとう」
呆気ないと言えばそれまで。思いのほか早く雲の段階を抜けられることになったけども、青い星の兵馬俑は私に大事なことを教えてくれた。それがあっただけでも雲の段階は私にとって有意義だった。
会話を終えた兵馬俑は眩い光を放って消えていった。その光の明るさ故に目を瞑ってしまったが、目を瞑っていてもとあるものが私に当たっているのが皮膚から信号として伝わってくる。
ひんやりとした液体が何度も身体を打ちザーザーという音が耳から伝わる。これは間違いなく雨だ。目を開けると確信に変わった。
「雨ね。やっと傘の出番かしら」
晴れの時あの店主から買った傘はようやく花開く。
傘に当たる雨の音は心地よい。
傘の外側はザーザーという音が鳴るのに、傘からはボツボツという音が聞こえる。同じ雨なのに異なる音を奏でることは不思議かな。
「次は何なんだろう」
私の前に異変は無いからここで何をすればいいのかがわからない。ただただ雨を楽しむだけの女になっている。
雨を聞いて時を忘れては音の陰に1人きり。
「ん?雨が強く・・・なった?」
歩いているだけで雨が強くなってきた。先に進んでるだけで雨が強くなるというのはこれが異変なのかもしれない。雨の段階は異変を見つけるものではなく異変に従うものということか。
ならば、私は歩みを止めずにこの道を進むまで。相も変わらず赤い壁は景色を変えないし宮殿という場所を抜け出していないが、移り変わる天気に世間は装いを変化していると錯覚させてくる。
「雨が・・・これは強い」
降りしきる雨は威力を増して視界をぼやけさせてくる。
ここまでの雨を体感したことはないかもしれない。
それでも歩き続けないとならない。
「まだ先に」
雨は更に威力を増す。
もうここまでくると雨に狂気さえ感じてくる。
それでも尚足を止めれない。
「そろそろ」
傘にかかる水が重すぎて手の筋肉が悲鳴をあげてきた。
もうこれは雨とは呼べない。
足を止めたい気持ちが芽生える。
「※※※!」
私の声は雨音に完全に隠れるまでになってしまった。
この世の音は全て雨音に支配された。
私は足を止めたい気持ちに鞭を打って無理やり進んだ。
「※※!」
「※※※!」
「※※~~!!」
「いい加減にしてくれ!!・・・・・・あ」
雨音が消えた。
雨音は消えて雨粒も見えなくなり手にかかる重さは消えた。
雨の段階はこれで終わった。次は何の天気なのか想像する前に私は目下の光量の少なさに気が付いた。
「夜だ」
先ほどまでは昼間だったのに急に夜へと時間軸が変わった。そんなことよりも天気の方が気になって仕方ない。私は思いっきり傘を閉じて空を見上げた。
「あぁ・・・なんてことだ。美しい」
天には無数の星々が漆黒のパレットに彩りを重ねて唯一無二の景色を生み出している。
私は膝から崩れ落ちた。こんなにも綺麗な夜空を見たのは初めてだ。それぞれは小さな光の粒ではあるのにも関わらず、何千何万の命宿る光を地球に降り注いで存在を表現してくる。
「最近夜空を見る余裕さえなかったな。こんな夜空がこの世にあったのか。私はなんてものを見てしまったんだ!こんなもの一生忘れられない」
あの兵馬俑は天を見上げろと言っていたが、こんなにも素晴らしい天が用意されているとは考えもしなかった。
私の目からは勝手に涙が零れ落ちる。この夜空をずっと見ていたい。
私はこの夜空の壮大さを見てしまっては、自らの悩みがいかに小さいのだと思うようになった。
「この夜空のように私は壮大な心を持とう。ありがとう。私にこの天を見せてくれた全ての物達よ」
雨降る宮殿は天高く敷き詰められる星々の前座である
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