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久しぶりにお昼を食べに出た。
向かったのは会社の近くにある火鍋屋で、結構人気のあるお店だ。
スパイス好きの私は"無性にスパイスを摂取したくなる日"があって、それが今日だった。
そのお店のスープには、これでもかというほどスパイスが浮かんでいる。中でも山椒と胡椒が実のままゴロゴロ入っているところがお気に入りで、銀色のレンゲで掬うと嫌でも一緒に掬ってしまう。
スパイス回避不能。スパイスの宝石箱や~。
12時20分頃に店に着くと、何人か並んでいる。
回転率がいいことは知っているから、その列の後ろに回り、換気扇からゴウゴウ流れるスパイス臭の下で文庫本を開いた。
程なくして、何組か出てきて中に通される。
やはり少し遅めに出てきて正解だった。
店内にはボックス型の席が8つ程あり、私は座ると早速いつもの火鍋を注文し、首から紙エプロンを掛けた。
そして再び文庫本開いて違和感を感じる。
しまった、エプロンを掛けるタイミングが早すぎた。何だか馬鹿みたいで本を読むことを諦めると、隣の席から若い女性の声で
「いい感情のお客さんしか来ない場所で働きたい。例えば…、花屋さんとかケーキ屋さんとか?」という会話が聞こえてきた。
(へぇ、面白い視点)
〇〇になりたいとか、〇〇に興味があるではなく、その先にある相手を選んで仕事を決めるところに今時を感じる。
丁度、テレビに佐藤栞里ちゃんが映っていて、今後テレビ業界で生き残っていけるのは佐藤栞里ちゃんくらいじゃなかろうかと、彼女の向日葵のような笑顔を眺める。すると、佐藤栞里ちゃんが停止して画面にノイズが走った。あれっ佐藤栞里ちゃんが!と心で思ったら、さっきの女性が「あ!佐藤栞里が止まってる」と口にした。
(そうなの、佐藤栞里ちゃんが止まってるの)
火鍋が運ばれて来る。
銀鍋に、豚肉、豆腐、白菜、茎わかめ、えのき、きくらげ、長ネギ、春雨がスパイスとごっちゃになって煮えたぎっている。
店員によってテレビは直され、画面では佐藤栞里ちゃんがいつも通りに笑っていた。
ふぅふぅと火鍋を口に運ぶ。油断してうっかり豆腐や長ネギの中心部分が喉を通過したら、きっとただじゃす済まない。それに加えてこの辛さ、数時間後にお腹が痛くなろうと構わない覚悟がいる。
何だか命がけのように言ったが、それ含めての美味しさなのかもしれない。スパイスを多く摂取すると、少しハイになる気がするのだけど、そんなことはないのかな。
隣の女性たちは、相変わらずお喋りで「この間、友達の付き添いで占いっていうか、霊能者みたいな人に見てもらった」と話している。
4人居るようなのに、これもまたさっきの女性の声だった。
「そしたらね、おじいちゃんがもう少しで向こうに逝っちゃうから、挨拶しておいた方がいいって言われたの」
(ええ!)
咄嗟に例えそれが見えたとして、占い師は伝えるべきなのだろうかと疑問に思う。これは結構ショッキングな言葉だ。
すると、友人の女性が「そのことおじいちゃんに伝えたの?」と問いかけた。その子は伝えなかったのだという。
その理由がこう。
「おじいちゃん最近植物に興味持ち始めて、庭に色んな植物育てたいってネットで鉢を買ったの。プラスチックの植木鉢。そしたら間違えて500個届いちゃったの。ただでさえ落ち込んでるのに、こんな時に言えないよ」
(笑)
笑ってしまった。
おじいちゃんはきっとまだまだ死なない気がする。
4人が順繰り話していたけれど、この子の話ばかりが耳に届いていた。
壁の向こうのその子は、どんな子なのだろう。
文庫本は読めなかったけど、隣の話を盗み聞いて笑う。
それぞれにドラマはあって、世の中に面白いと思える人はきっとまだ沢山いるのだろう。
火鍋は美味しい。
スパイスは神。
この先、悪いことばかりでもないのかも。
まだまだ話の花が咲いていて、名残惜しいような気もしたが、紙エプロンを引きちぎるように取って席を立った。
東京もよく冷えている。
サウナから出るような脱力感と爽快感。
唇だけがじんじんしている。